日本希哲学の展望と現状

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲8年(2014年)
10月23日 13:41
下描き希哲8年(2014年)
10月22日 23:56
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

私の用語で,フィロソフィアを「哲学」と訳して行う研究活動を「旧訳希哲学」と呼ぶ。一方,フィロソフィアを「希哲学」あるいは(特にソクラテス以前について)愛哲」と訳し,これを「希哲」と「哲学」の併称として用いる研究活動を「新訳希哲学」と呼ぶ。言うまでもなく,希哲館は,この種の希哲学改革を主目的として創立された機関だ。それも約7年前のことになる。

哲学という訳語の問題についてはこれまでも多く指摘されてきたが,新訳希哲学ではこれを単なる誤訳とはしない。むしろ,哲学というのは近代化を急いた日本が生み出した新たな概念だと捉え,これを据え置く。そのかわり,「哲学」が「希哲学」から削ぎ落とした要素を補う概念として「希哲」を導入し,「希哲学」を「希哲と哲学」の意味で使う。希哲は精神的・理念的な側面を,哲学は学術的・蓄積的な側面を表す。やや抽象的に,「動と静」と言ってもいいかもしれない。これなら,「東洋哲学」とか「経営哲学」といった表現もおかしくはない。

フィロソフィアは,古代ギリシャの「ピロソピアー」を音写する形で,今日のヨーロッパのあらゆる言語に伝えられた。そこに実は,意味を歪めてしまった日本語訳とは別の問題がある。この古典古代の権威を咀嚼せずに借りたため,英語の「フィロソフィ」だろうと何だろうと非常に曖昧で,意義の不明確な言葉になっているのだ。日本では「哲学」が必要以上に堅苦しい言葉として捉えられているが,欧米では軽すぎて漠然と使われすぎる。そこで日本の状況を逆手に取る。

つまり,日本の近代化が一種の分離器となって,フィロソフィアを大きく二つの要素に分解したと捉えるわけだ。それがつまり「希哲と哲学」,ラテン語風の造語をあてれば「クエソフィア〈quaesophia〉とソフォロギア〈sophologia〉」だ。

しかし,日本発祥の新訳希哲学には困難がある。日本における希哲学は,導入からつい最近まで近代的な大学を中心に担われてきた。これに対抗する小勢力として在野がある,という構図だ。西洋ではそれこそプラトンアカデメイアに始まり,大学学問の中心でなかった時代も長いので,この点は日本希哲学の特異性だと言っていい。

ところが,ソクラテスに立ち返ってみれば,大学における権威主義的で視野狭窄な研究活動も,在野における商業主義的,あるいは大衆迎合的な言論活動も,希哲の精神に反することになってしまう。全てではないにしても,ソクラテスの眼にはほとんどソフィストとして映るだろう。こと「哲学研究」などというものをしている現代日本人は,いまでいうニートに近かったソクラテスや,貴族だったプラトンとは生活が違う。時間は無さすぎ,守るべきものはありすぎる。どうしても卑怯か,よくても臆病になる。それは無理もないことかもしれない。希哲の精神など,今の「哲学関係者」のほとんどが直視したくないだろう。

ただ,希哲館は,ここでいう大学と在野のどちらにもとらわれない立場を取ることに,辛うじて,本当に辛うじてだが成功している。希哲館は営利企業希哲社としての収益が財源だが,資本的に完全独立であることや,「言論を売らない」という原則を死守している。こうして色々な文章を自社媒体に掲載していても主張に広告は貼っていないし,他社や第三者との資本関係は有形無形に関わらず一切断っているのでしがらみも全くない。これによって,権威にも権力にも,金にも大衆にも惑わされず「希哲」の精神のみに従って活動することが出来る。なぜそんなことが出来るのかといえば,希哲社の売り物が技術だからだ。

希哲館は,営利活動によって糧を得つつ高潔を保つ,ということを「象牙の塔」ならぬ「泥土の塔」などと言い表わしてきた。これは,古来より「泥より出でて泥に染まらず」と讃えられてきた蓮華や,「泥のモスク」などで有名な泥土建築から着想を得て造った言葉だ。泥でつくった建築物は補修作業が欠かせない。それゆえ,その形に人の精神が常に反映されている。例えば泥の宗教建築では,民衆の信仰心によってその形が保たれている。近代建築でも,泥のごときコンクリートから整然とした建築物を築くことが理性の実証であるというような思想があった。希哲館は,まさに泥のごとき資本から人間の知性のありのままを映し出す,理想の新機関を築く試みだ。

この試みは,いまのところ非常に小さな成功を収めている。もっとも,目標が目標なので苦しくないわけはない。新訳希哲学が成功するか否かが,この体制を確立できるかどうかにかかっている。いずれにせよ確かなことは,希哲学の最前線が実は日本にあるということだ。

ちなみに,「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉を残したのは11世紀中国儒学者周敦頤(しゅう とんい)だが,この人物は日本西周(にし あまね)が「希哲学」という訳語を考える際に典拠とした「聖希天,賢希聖,士希賢」という言葉を残したその人でもある。

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