言語の発し手自身を指す文法上の要素(人称)。日本語では「私」が一人称に用いられる代名詞(一人称代名詞)の典型例。第一人称。自称。
転じて,物語や映像などを登場人物自身の視点から主観的に表現する形式(一人称視点)。
長期安定体制の完成に向けた仕上げの月が始まったが,すでに落ち着いて楽しく日々を過ごせているので,早速大成功という感じだ。特に第五次生活習慣改善の進展は目覚ましく,健康面・美容面では毎日何かしら良い変化を感じるので楽しい。
ふと,これこそデライトの完全な成功に至らない最大の理由かもしれないとすら思った。結局,恵まれ過ぎていて切実さに欠ける。俗に言う成功を収めなくても幸せに生活出来てしまうのだから,必死にならないわけだ。そもそも,デライト以前にデルンを一人で使い続けられたのも,そんな生活が楽しかったからだ。その上「デライトの不完全な成功」を果してなお余力があること自体奇跡だ。甘やかされ過ぎている気がしないでもない。
だとしても,いまさら背水の陣という気にもなれないし,方針が変わるわけでもないが,微かな心の揺らぎを感じた。まあいつものことで,妙に冒険したくなるのは安定期に入った証拠だ。
デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。
私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。
これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。
たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。
そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。
デライトが利用者達とどういう関係を築いてきたか,その具体例として,B̅ さん,t_w さん,cat さんを紹介したい。
デライトを公開した2020年から毎日のように使い続け,様々な形で貢献してくれた3名だ。開発上の都合で宣伝活動を抑制せざるをえなかった1年あまりの期間,デライトを日常的に使っているのが私とこの3名だけということもあった。
B̅ さんは,私の次に早くデライトを使い始めた,2人目のデライターだ。
「デライトの歩み」でも触れたように,デライトは2020年2月に「名目リリース」したあと,8月の「実質リリース」まで,ほとんど宣伝せず改良を続ける期間にあった。細かいことを気にしていたら埒が明かない,と公開してみたものの,やはり他人に勧められる出来ではなかった。B̅ さんが現れたのはそんな時期だった。それも,名目リリースの翌月だから,デライトが特にひどかった時期だ。
テスト程度の投稿はちらほらあったが,ある日,明らかに異質な投稿があることに気付いた。「希哲館訳語」に関する内容で,デライトの背景にある希哲館事業についても一定の理解があることが窺えた。しかし,当初は嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。
分かりにくいとよく言われる今のデライトとも比べ物にならないほど,当時は色々な意味でひどかった。
分かりやすいボタンの類はほとんどなく,ダブルクリックで編集欄を開いたり送信したりしていたので,一見して操作方法が分からなかった。デラング(デライト用の軽量マークアップ言語)には最低限の記法しかなかった。遅くて不安定だった上に,エラーやページ移動で入力途中の内容があっさり消えた。いわゆるページャーというものもなく,検索結果の輪郭も引き入れ関係にある輪郭も,最新10輪までしか表示出来なかった。アイコンどころか名前すら設定出来なかったので,自分と他人の区別は内容と知番の利用者番号でしていた。呼び方も当時の利用者番号で「K#9-D657 さん」だった。
設計意図を理解している者が辛うじて使える程度の出来だ。折角興味を持ってくれた人が悩みながら使っているのは見るに忍びなかった。それでも B̅ さんは,開発者が不思議に思うほど,粘り強く使い続け,理解しようとしてくれた。積極的な不具合報告や提案で,開発にも多大な協力をしてくれた。
納豆やウニみたいなものを最初に食べた人は凄いとよく言うが,B̅ さんに抱いている私の印象はそれに近い。普段の投稿でも,分野を問わず耳新しい情報をたくさん集めてきてくれる。知的好奇心の権化のような存在だ。
t_w さんは,B̅ さんが使い始めた何ヶ月か後に現れた。それでも実質リリースの前だから,出来のひどさは大して変わらない。
B̅ さん同様,開発にも様々な形で貢献してくれたが,驚いたのはその行動力だ。色々なことを考え付いてはすぐに実行する。デライトを利用した外部サービスやブラウザ拡張を初めて作ってくれたのも,外部サイトで紹介記事を初めて書いてくれたのも t_w さんだった。ついこの前そんなことをやりたいと言っていたな,と思ったらもうやっている。これはなかなか出来ることではない。
デライターとして外向きの活動は私以上に,誰よりもしているし,デライト内でも私に次いで投稿量が多い。その実験精神と行動力でデライトの使い方を大きく拡張してくれた。
実質リリース後,二度目の宣伝攻勢をかけていた2020年12月に cat さんが現れた。
cat さんも先の2名に負けず劣らず活発にデライトを利用し,開発に貢献してくれている人だが,遊びのような内容の投稿が比較的目立つ。最初は,冷やかしか荒らしかと思ったくらいだ。
それが,だんだんこの人の機械的ではない賢さ,「気が付く力」とでもいうべきものに敬意を抱くようになった。状況や場の空気をよく読んでいるな,と思うことが多いし,不具合報告にせよ提案にせよ,普通は気付かないようなことを的確に指摘してくれることも多い。堅く難解に見えがちなデライトの雰囲気を和らげてくれていたのだと,見ている内に気付いた。いわゆる「EQ」という概念にはあまりピンと来ていなかったが,こういう人のためにあるのかもしれない。
こういうサービスを公開して運営するのは私にとって初めての経験だった。サービスとして風変わり過ぎることもあり,最初は利用者に対して色々な不安があった。
例えば,偏屈な人ばかり集まって近寄り難い場所になるんじゃないかとか,反対に,広く浅く集め過ぎてつまらない場所になるんじゃないかとか,問題を起こす利用者が多くなったらどうするとか,色々なことを考えた。ありがたいことに,全て杞憂だった。
デライター達はそれぞれに良い意味で変わった部分を持っている人が多いが,今のところ,悪い意味で非常識な人はおらず,朗らかで良識ある人ばかりだ。問題という問題も起きていない。それでいてみんな,どこの誰が作ったのかも分からないこんなものを使おうとするくらい,旺盛な知的好奇心と柔軟性がある。リテラシーも高い。知識や技術は後から付いてくればいいものだが,すでに高度なものを持っている人も多い。
この開発者には出来過ぎた利用者達だ。こんな人達が中心にいてくれるなら,デライトの未来は明るいと思える。
こんな文章を書いているのは,デライター達に感謝の気持ちを伝えたかったのと同時に,間違った遠慮をなくしたかったからだ。デライターはまだ少ないので,どうしても開発者や古参に遠慮してしまう人が多いだろう。もちろん,それはデライトにとって望ましいことではない。
デライトが真に知的探究の場として機能し続け,発展し続けるために必要なこととして,平等であることと開放的であることを私は最重要視している。
黒いものでも白と言わなければならない誰かがいるとしたら,そこは知的に自由な場とは言えない。誰でも自由に参加して,誰にも気兼ねなく活動出来る場であり続けなければならないと強く思っている。
だから,デライトに“偉い人”は一人もいない。古参も開発者も,王も神も,デライトでは一人のデライターに過ぎない。そしてデライトの上にはいかなる権威もない。私は,そういう場を世界に広げるために,あらゆる困難と闘う覚悟をしてここまで来ている。
このデライトをこれから盛り上げていくのは,他でもない,全ての等しく尊いデライター達なのだ。
昨日の一日一文では高度経済成長期以後の日本の盛衰について分析してみたが,今日は,そんな日本がどうやって中国を抜き返し,アメリカをも凌ぐ世界史上最大の極大国となりうるのかについて書いてみよう。
アメリカは脱工業化に成功し繁栄を極め,日本は工業にしがみつき凋落した……物語はここで終わったわけではない。ジパング計画という“新しい物語”が始まるのはここからだ。
私は,これまでの世界で起きた脱工業化という現象を「あての無い家出」と表現したことがある。とりあえず工業中心から脱してはみたものの,落ち着ける先が見えていないからだ。脱工業化は世界にとって時期尚早だったかもしれない,という雰囲気は実際に広がりつつある。
それを象徴するような二つの出来事が同じ2016年に起きた。イギリスにおけるブレグジット決定,アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプ当選だ。私はこれらに象徴される英米政治の混迷を「英米政治危機」と呼んできた。
そしてその背景にあったのが,情技(IT)産業をはじめとする知識産業の隆盛に伴う工業の衰退,格差拡大,国民分断だった。世界経済と脱工業化の先頭を走っていたアメリカ,そのアメリカを生み出したかつての超大国であるイギリスが同時に似たような危機に陥ったことは偶然ではないだろう。
産業革命から近現代を牽引してきた両国の産業構造はもちろん,政治や文化にも通底する何かの限界が,ここに来て露呈したのだ。
トランプ政権下のアメリカでは,まさに脱工業化の煽りを受けたラスト・ベルトに支持され“再工業化”の動きすら見られた。それは,あてのない家出から“出戻り”してきた少年少女のような,心細いアメリカの姿だった。
一般に,国民国家や間接民主主義・資本主義といった現代社会の標準的な体制が形作られた,18世紀頃から20世紀頃までの時代を「近代」という。
そして我々はいま,第二次世界大戦などの大きな画期を経て,様々な揺らぎの中で「現代」にいる。現代がどういう時代だったのかは次の時代になってみなければ分からないが,近代については振り返ってある程度概観することが出来る。
この近代化の推進力となったのはイギリスの産業革命だ。ここから世界の工業化も始まった。工業化も含めて様々な要素が互いに影響を与え,支え合いながら近代社会は形成されてきた。脱工業化でいうところの工業というのは,独立して取ったり付けたり出来るものではない。
特に重要なのは,工業というものが実質的な社会保障として機能していた,という点だ。つまり,額に汗して働けば,誰でもそれなりに豊かな生活も社会参加の実感も手に入れられる,という期待が,近代国家に大衆を繋ぎ止めていたのだ。
いま工業に取って代わろうとしている知識産業には,高度な教育を受けた選り人や高度な技能を持った一握りの人々に富が集中する性質がある。GAFAM に代表的な日本企業が何千と束になっても勝てないように,その他大勢がどう頑張っても埋められない差が出来てしまう。
こうなれば,“置き去りにされた大衆”の少なくない部分が,当然のように民主主義における権利を行使して“反乱”を起こすことになる。まさにそういう現象がトランプ政権だった。
世界史の講義のような話になってしまったが,それだけ脱工業化が持つ歴史的文脈は長く複雑だ。脱工業化は,突き詰めれば「脱近代化」であり,新しい産業を中心に社会全体の仕組みを刷新する新近代の創造,すなわち「新近代化」であるということになる。これに成功した国は一つもない。ならば,先走った国々がつまずいている内に,日本でやってしまおう,というのが私が語っていることだ。
ジパング計画とは,工業時代,引いては近現代からの周到な“家出計画“なのだ。
脱近代化という考え方そのものは,昔,「ポストモダニズム」などといって思想界で流行したことがあった。これも今思えば“あてのない家出”で,近代をあの手この手で相対化してみせるばかりで,その先を語れる者がいなかった。
結局,先行した思想の限界でもあったのだろうと思う。世界が混迷に陥っていても,達観ぶった“思想家”達は現状追認以上のことが出来なかった。私が現代思想を批判してきた理由だ。
こんなことを言うと,少なからず,何も出来なくて何が悪い,世界のあり方についての言説なんて虚構だ,とイマドキの思想家や現代思想かぶれ達には言われることだろう。
私はこう言い返す。出来なくて悪いこともなければ,出来て悪いこともないだろう。やらなくて悪いこともなければ,やって悪いこともないだろう。では虚構であることの何が悪いのか。新近代の創造,そこまでの虚構なら立派な演待というものではないか。そんな面白いことが目の前にあってやってみない方が「現代風の考え方」という固定観念にとらわれているのだ。あなたがたは,知の不可能性に屈していたに過ぎない,と。
いま世界に必要なのは,新しい知の可能性を示し,この壮大な“演劇”を演じ切ることが出来る人間だ。
新近代化はいいとして,なぜ日本なのか,というのは先日の一日一文でも主題にしたが,その時は個人的な心情を書くに留めた。私は,日本生まれ日本育ちの日本人だ。まず日本のことを考えるのに理由はいらない。
しかし,世界を見渡し,日本だけではなく世界のためを考えた時,新近代化を起こすのが日本でなければならない理由がある。
まず,日本は現在,「自由民主主義」を標榜する先進国の中で,最も政治的安定性を保っている国だ。それも,落ちたとはいえまだ世界第3位の経済大国としてだ。これは驚くべきことだろう。
自由民主主義というのは,アメリカを筆頭にしたいわゆる「先進国」の体制だ。ざっくり言ってしまえば,かつてのソビエト連邦や今の中国と異なり,経済的にも政治的にも自由を最大化しようとする体制のことだ。冷戦時代は「西側諸国」などとも呼ばれていた。
いま,この自由民主主義は危機に瀕している。“自由な経済活動”が知識産業による脱工業化に赴く一方で,“自由な政治活動”は大衆の反知性主義を煽る政治家を生み出す。この不調和こそ現代政治最大の課題と言っても過言ではない。なぜなら,この問題に対する「独裁」以上の解決手段がまだ知られていないからだ。
言うまでもなく,この問題を反民主的な強権体制で押さえ込み,ハイテク国家として日本を飛び越え,アメリカを猛追しているのが中国だ。中国の一応の成功は,冷戦を乗り越えた“西側”の自信を大きく揺さぶっている。
かつてアメリカと世界を二分していたソビエト連邦が崩壊したのは,結局のところ資本主義と民主主義が相対的に成功していたからだ。「自由でも国は上手く行く」ということが実証され続けていれば,独裁国家はその正当性を緩やかに失っていく。
反対に,「自由は国を分断する」と思われてしまえば,独裁国家は現体制を国民のためだと正当化することが出来る。特に英米政治危機以後,混迷する欧米の政治は独裁国家の権威を高めてしまっている。そればかりか,アメリカのような国にも独裁志向の大統領を生み出してしまった。独裁者は外からも内からもやってくるのだ。
さて,ここで日本に再び目を移してみれば,「旧態依然とした衰退途上国」と評されがちな今の日本が,実は非常な好位置に付けていることが分かる。アメリカが持たない安定と中国が持たない自由を辛うじて保っている国,それが日本だ。
つまり,日本には,分断を伴わない脱工業化,引いては脱近代化,新近代化を実現出来る可能性が残されている。これこそ,「自由民主主義における最後の砦」として私が日本を重視し,ジパング計画を推し進める理由だ。
とんでもないことを言っているように聞こえるかもしれない。しかし,驚異的な速度で近代化を成し遂げた明治維新,自由民主主義を志向しながら成長と平等を高い水準で両立させ,「最も成功した社会主義国」などと呼ばれてきた戦後……歴史を振り返れば,日本は,それに近い“とんでもないこと”を実現してきた国でもあるのだ。
日本人がいま仰ぎ見ているアメリカは,元はといえばイギリスの小さな植民地に過ぎなかった。そのイギリスも,大航海時代まではヨーロッパの辺境の島国に過ぎなかった。どこかの国に似ているとは思わないだろうか。実際,イギリスは産業革命まで江戸時代の日本と比べてもそう大きな国ではなかった。英語は,そんな彼らが世界中に広めた,彼らの母語なのだ。
そもそもヨーロッパ自体,近代化と世界進出に成功したから世界史の中心にいるような気がするだけで,それ以前の世界経済の重心は中国やインドをはじめとするアジアにあった。
「ルネサンスの三大発明」とされる火薬・羅針盤・活版印刷術の起源が全て古代中国にあり,仏教など古代インドの思想が19世紀以後の西洋思想に大きな影響を与えたように,文化的にも決して遅れていたわけではない。中国もインドも「新興国」などと不名誉な呼ばれ方をしてきたが,本来は「再興国」とでも呼ぶべきなのだろう。
歴史を学んで分かることは,未来は常に創造的であり,決まったことなどないということだ。誰もが想像するように日本がこのまま衰退を続け,英語を学んで出稼ぎに行くのが当たり前の国になるか,それとも,米中を凌ぐ極大国となり,日本語を世界中に広め,名実ともに世界の中心になるか,全ては日本人の創造力次第だ。
一つ,日本人にとってこれまでと大きな違いがあるとすれば,今度は“先生”がいないということだ。誰かの後を追うのではなく,日本人自ら,かつて誰も踏み込んだことのない領域で,先頭を切って走らなければならない。現代政治最大の課題の前に,この日本最大の課題が立ちはだかっている。
いまの日本は決して悪い状況にあるわけではない。むしろ,「米中凌駕」を狙うには最高の環境にいる。そう見えるか,ただの衰退途上国に見えるかは紙一重だ。一見,今の日本にそこまでの成長力は無さそうだ。知識産業において成長力を生み出す「独創性」が無かったからだ。
この話は,「自分自身についての研究」という題で書いた独自性についての話から繋がっている。あの話を書き始めてすぐ,私の脳裏ではここまでのことが広がっていた。これに収拾を付けるために書いてきたのが一連の文章だ。
独創性というのは,奇を衒って人の注目を集めることではない。その程度のことが得意な日本人はたくさんいる。世界が抱えている課題を,誰も知らなかったやり方,誰も出来なかったやり方で解決することだ。これが日本人には難しかった。
日本人は「一人」がとても苦手だ。常に,似た誰かと一緒に動きたがる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というやつで,みんなと一緒なら大胆にもなれる。人の注目を集めるために変わったことをするのが得意な人も多い。要は「みんなでわいわい」しているのが大好きなのだ。
ところが,独創というのは,文字通りほとんど孤独な作業だ。独創的であるということは,人のたくさんいる街明かりから離れて,一人で真っ暗闇に飛び込み,何か価値あるものを持って帰ってくるようなことだ。死ぬまで誰も認めてくれないかもしれない,誰も理解してくれないかもしれない,道なき道へ歩み出す。これが自分達にとっていかに困難なことかは,日本人自身がよく知っている。
これまでは,外国人が最初にやったことをみんなで真似していればよかった。これからは,日本人自らが未開の領域に踏み出さなければならない。しかし,誰から行くのか。誰もが周りを見て,後から付いていっても安全そうな流れが出来るのを待っている。だから誰も飛び出せない。これが日本の状況だった。「日本最大の課題」と呼んだが,大和民族における数千年来の民族性にまで遡る問題かもしれない。
もちろん,個々人の性格や能力だけの問題ではないだろう。「世界金融危機は日本人の何を変えたのか」でも似たようなことを書いたが,疲弊した今の日本社会には,個人が自由に好きなことを追求出来るゆとりは無いに等しい。かといって,一か八か,打って出るしかないほど追い詰められているわけでもない。ちょうど,“無難が正義”になってしまうような宙ぶらりんな状況にある。
では一体,日本人はどうすればいいのか,と思うだろうか。別に,どうもしなくていいのだ。わざとらしく過去形を強調したが,外国人の後を付いていくばかりの日本人像は,すでに過去のものとなった。希哲館事業が過去のものにしたのだ。
ジパング計画を含む希哲館事業は,私がほとんど自身の体験のみに基いた思想と発明で始めた「世界初の新近代化事業」だ。どのような哲学で,どのような世界を目指し,どう実践していくのか,その全てを,独自に体系化している。規模・密度といい実践の水準といい,このような事業は世界に類を見ない。
そして,私も希哲館事業も日本生まれ日本育ちだ。不思議なことに,私は外国人の先祖を知らない,いわゆる純日本人だ。日本から出たこともほとんどない。
これはつまりどういうことか。日本には,かつてアメリカを脅かすほどの団結力と勤勉さを持った一億の日本人と,アメリカ人にもいないような自由で大胆な日本人が共存しているということだ。
手前味噌もいいところな結論だが,日本には希哲館事業が足りなかった。そして今,日本には希哲館事業がある。鍵はすでに全て揃っているわけだ。あとはそれに気付くか気付かないかの問題だ。
日本人は云々,という巷の日本人論は,やたら欧米人を礼賛して日本人を貶してみたり,そうかと思えば,空想的に日本人を美化してみたり,いずれにせよ現実離れしたものが多い。論者の世界観も分断し,歪んでいるということなのだろう。
「日本はなぜ繁栄し,なぜ衰退したのか」で書いた通り,私は,個人の性格であれ国民性・民族性であれ,全てにおいて良い性格も全てにおいて悪い性格もないと思っている。
日本は,スティーブ・ジョブズのような史上最大級の革新者を生み出せなかったが,ドナルド・トランプのような史上最大級の嫌われ者を生み出すこともなかった。両者は性格においてそう遠くない。良くも悪くも平然と我が道を行ける性格なのだ。
歴史上数々の大冒険を成功させてきた欧米がコロナ禍で夥しい犠牲者を出す一方,日本が行政の迷走にもかかわらず感染拡大を抑えられていたのは,綺麗好きで協調的で慎重な日本人の性格によるところが大きいと言われる。“臆病さ”も場面が変われば“慎重さ”になる良い例だ。
特に日本人のように自尊心が低く自己評価が極端に振れがちな集団にとって重要なことは,自分達の長所・短所,持っているもの・持っていないものを偏りなく正しく知ることだ。外国の一面を真似て変わろうとしなくていいし,いまさら中途半端な外国かぶれになってどうにかなる状況でもない。自分達についてよく知れば,考えることもやることも自ずと良い方に変わってくる。
自分が鬼であることにも,近くに金棒が落ちていることにも気付いていない──私の目には,いまの日本人がそんな鬼のように映っている。自分の力を知り,自分の武器に気付きさえすれば,まさに「鬼に金棒」だというのに。
さあ,世界と日本がいまどういう状況にあり,日本人はどこをどう目指すべきなのか,外堀を埋めるように語ってきたが,そろそろ本丸の攻め方について具体的に考えてみよう。
結論から言えば,日本が飛躍を目指すのであれば,国全体で,基幹産業へのいわゆる「選択と集中」を徹底せざるをえない。その戦略において最大の問題は,新しい日本の基幹産業として何を選択するかだ。そして,選択すべきは知能増幅(IA)以外にない。
まず,集団としての日本人の特性と人口規模を考えた時,アメリカ型の起業大国を目指すべきというのは経営戦略として下策と言わざるをえない。
アメリカは,日本よりずっと多様な人々が日本の倍を越える人口でいる国だ。多様性はともかく,中国の人口にいたっては日本の十倍を越えている。これに加え彼我の国民性の差を考えれば,鉄砲玉の数で勝負するような起業に向かわせるのは日本人の無駄遣いだ。それで出来るのはせいぜいアメリカもどき,「米中凌駕」など到底叶わない。
日本人はばらけた時よりも固まった時に強い。この日本人の特性をどう活かすかと考えれば,選択と集中に向かわざるをえない。それも,米中を圧倒する極大国を目指すのだから中途半端ではいけない。日本の全てを一点に集中するような,「一選万集」とでも呼ぶべき究極の集中戦略が必要だ。
80年代以後に漫画を読んで育った世代には,「元気玉方式」というのが一番分かりやすいかもしれない。
選択と集中は本質的に「賭け」だ。近年,この戦略を批判的に捉える論調も目立つようになったが,多くの場合はここを誤解しているのではないかと思う。日本人はその賭けが苦手で,保険をかけることに多くの経営資源を費やしてきた。だから冒険をしなくてはいけないと言っている時に,怪我したからやっぱりやめよう,というのでは何も変わらない。
選択と集中における失敗とは,「集中の失敗」ではなく「選択の失敗」だ。失敗したから集中をやめようというのが日本人なら,別のものを選択してまた挑戦してみようというのがアメリカ人なのだ。
当然,「元気玉方式」では全てをかけるのだから,万が一にも外せない。逆に言えば,万が一にも外さないことなら全てをかけてもいいはずだ。いっそのこと,そこまで突き詰めてしまった方が日本人は乗りやすいかもしれない。
ここまで来れば,問題は一点に絞り込まれる。日本の全てをかけてもいい基幹産業として何を選択するべきかだ。
内閣府のムーンショット型研究開発制度では,人工知能をはじめとする,いまや世界中で猫も杓子も語っているような路線で「破壊的イノベーション」が語られている。残念ながら,すでに米中が桁違いの投資で先行する分野の後追い以上のものにはなっていない。もっとも,民主主義における政府の役割は,みんなの意見を集約することであって,誰も理解出来ないようなことを勝手にやり始めたら独裁だ。それはそれで仕方ない。
これは日本人にとって極めて難しい問題だったが,私は,何の迷いもなく,「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だと即答出来る。知識産業にとって最も根源的な役割を持ち,まだ十分に知られていない未開の領域で,日本人である私が「世界初の実用的な知能増幅技術」(デライト)を完全に保有しているからだ。
このような話になると,日本が誇るゲームやアニメ,漫画があるじゃないか,という人も多い。もちろん,これらも素晴らしい日本の文化で,重要な産業ではあるが,基幹産業というには心許無い。
馬鹿にしているわけではない。例えば,日本製のゲーム作品なんて,ほとんど人間業の限界といっていいくらい洗練されていると思う。長年,世界中で人気もある。では,任天堂をはじめ日本のゲーム会社がどれだけの規模に成長しているのかというと,その偉業の割に目を疑うほど小さい。これ以上頑張りようがある気がしないのだ。
これには少し個人的に心当たりもある。私は80年代生まれで,人並みにゲームやアニメ,漫画に囲まれて育ってきた。ただ,大人になってからはこれらの分野にほとんど金を使っていない。時間が無いからだ。それで困るかというと別に困ってもいない。つまり,後回しにされがちな分野だ。
GAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)というのは,いわば“新しい生活必需品“を作っている企業だ。ゲームが出来なくても私は困らないが,Google 検索や Amazon が使えなくなれば困る。支配力という点ではやはり比較にならない。
「日本にはスティーブ・ジョブズのような起業家がいない」という話になると,例えば,「日本には任天堂の故・岩田聡氏がいるじゃないか」というような反論の仕方をする人がいる。感情としてはよく分かる。岩田氏に限らず,日本には各界にそれぞれ素晴らしい経営者や技術者がいる。一概に優劣を付けることは出来ない。
そんなことは大前提とした上で,なぜこういう話でジョブズやゲイツが引き合いに出されるのかといえば,世界経済を牽引するアメリカを代表する企業を創った人々だからだ。その文脈として,日本経済の長期停滞がある。その意味で,やはり彼らに比肩する日本人はまだいない,というのが現実だ。
もう一つ,日本人がやりがちな議論として,「GAFAM もジョブズもゲイツもアメリカでしか生まれていないのだから,日本だけを問題にするのはおかしい」というものがある。一見もっともらしいが,これもよく考えるといい加減な理屈で,かつてアメリカとしのぎを削った日本で情技産業が育たなかったという話と,例えばアフリカの発展途上国で情技産業が育たなかったという話は同列に語れない。
日本人が言葉遊びで気を紛らわしている内にも,中国は GAFAM に肉薄する企業を作っている。私はやはり,日本人にはこの問題に真正面から挑戦する強さを持ってほしいと思う。
こんなことを散々考え尽くし,私が辿り着いたのが知能増幅という分野だ。人間の知能を技術的に増幅しようというもので,昔から学術的には認知されているが,人工知能とは世間的な認知度・話題性・市場規模において雲泥の差がある。
その大きな理由として,実用化の見込みが全くないということがあった。例えば,脳にチップを埋め込むとか,遺伝子を弄るとか,そういう SF じみた空想から何十年ものあいだ抜け出せていなかった。これでは,技術的にどうというより,やりたがる人を見つけるのが難しいだろう。
私は,この知能増幅と,いま Notion や Roam Research といったサービスで注目されつつあるメモサービスを結び付け,「知能増幅メモサービス」という形で触れる知能増幅技術を開発した。それがこのデライトだ。
知能増幅技術は,人工知能も含めて,人間の知性が生み出すあらゆる産物に寄与するという意味で,知識産業における最も根源的な機関といえる。これを利用して日本で「知識産業革命」を興し,新近代化の推進力にしようというのがジパング計画だ。
そしてこれは,人間が知的生命体である限り,半永久的に意義が失なわれることのない技術だ。日本人の粘り強さを活かすにはもってこいだろう。「日本の全てをかけてもいい基幹産業」として,私が想像しうる最大限の現実解だ。
私はたまに,「自分が GAFAM の完全な経営権を与えられたらどうするか」という思考実験をしてみることがある。結論はいつも変わらない。「全ての事業を売り払ってでも知能増幅技術の開発に注ぎ込む」だ。Windows,Mac,iPhone,Google 検索,Android,YouTube,Amazon,Facebook……これまでのあらゆる情技製品よりも知能増幅技術に可能性を感じるからだ。
またとんでもないことを言っているようだが,これが米中凌駕を実現するような革新的技術を具体的に想像するということなのだと思う。
日本人に近代化とは何かを知らしめたアメリカの黒船来航からおよそ170年,いまこそ,世界に類をみない「一億総知能増幅」の新近代国家で「黒船返し」をする時なのだ。
あばら屋のような状態だった頃から使い続けてくれている用者が有り難いのは言うまでもないが,たとえ苦言の一言を残していくだけでも,デライトにとっては有り難い用者だ。開発者として首肯しがたい意見でも,様々な感じ方・考え方を知る機会にはなる。
迷惑行為や違法行為となるとそうも言っていられないが,これまでその手の悪質な用者は一人もいなかった。そういう意味で,デライトには良い用者しかいない。
先日の一日一文でも書いた通り,デライト開発では私が全ての作業を担っている。しかし,独力でここまで来たわけではない。周囲の助けに加え,用者達の存在が無ければ決してここまで来れなかっただろう。
もちろん,用者からの要望や意見をきっかけに発展したことは多い。用者の使い方を観察して気付いたことも多い。決して建前ではなく,実質的にも,デライトは用者とともに作り上げてきたものだ。
だが何より,用者の存在自体に勇気付けられることが多かったように思う。こんな奇妙奇天烈なサービスに,よくもここまで人が集まってくれたものだ。どんな声でも,誰かには届くものなのだな,としみじみ思ったりする。
デライトでは,<ruby>出放り<rp>(</rp><rt>デフォルト</rt><rp>)</rp></ruby>の用者アイコンに「竜胆蛍」という独自の意匠を使っている。笹竜胆という家紋を蛍火に見立てて変形させたものだ。
これは元々,希哲館の館章として考案したものだった。知識産業革命と希哲民主主義の樹立という途方もない目標を持つ希哲館事業,そしてそれに全てをかける自分自身を,私は蛍のようなものだと思っていた。真っ暗闇に舞い,知恵と希望の光を灯す一匹の蛍だ。
一匹が二匹に,二匹が三匹に,やがて無数の蛍が集まり世界を照らす……そんな夢を見ながら,自分は儚く一匹で死ぬに違いない。それがこの事業を始めた頃の私の人生観だった。
それが何だかんで上手くやってこれて,知能増幅メモサービスなんてものを世に出し,一匹の蛍が二匹に,二匹が三匹に……それが現実のものとなった。今でも,ときどき夢を見ているような気分になる時がある。
元より,一人でも,神に抗うような無謀であっても,やらなければならないと思って始めた事業だ。明日,全ての用者が去って一人になっても私が目指すことは別に変わらない。それだけの芯が無ければ,知の希求を掲げるサービスとして信頼に足るものにならないだろう,とも思う。
今後がどうであれ,これまでの全てのデライト用者に感謝の意を表したい。今のところ,デライトにも希哲館事業にも大きな希望があり,私が果報者なのは皆のおかげだ。