諸
実はよく分からない言葉。
現状は「パターン」みたいな意味だという認識でいる。
脳爆発のおかげで検討作業では大きな収穫があったが,思考が広がり過ぎたか。サイクリングでそれなりに身体を動かしたにもかかわらず,夜は脳疲労感が強かった。他にちょっとした幸運があり,少し気が緩んだことも影響しているかもしれない。
最近,ちょくちょく「KNS の経済的合理性」について考えている。考えれば考えるほど,KNS は SNS と PKMS の相補的・相乗的な発展形であると同時に,経済的合理性において唯一の解だと思えてくる。
SNS の経済的な問題は,「献典の質」にある。開放的にして人を集めると,どうしても粗悪な献典が増える。そもそも,SNS における投稿は体験のための手段に過ぎないことが多く,献典としての情報価値が低い。
日常的な挨拶から「バルス祭り」まで,情報としての意味はない出与えを抱え過ぎている。砂金のために土砂を全部保管しているようなものだ。意味がないだけならともかく,不法行為やデマのようなものも誘発する構造を持っているのも厄介だ。放っておけば広告主が減るし,監視を強めれば人件費が増える。かつての匿名掲示板も同じ問題を抱えていたが,文字という最も軽量な情報が主でありながら維持費に収益が追いつかない理由だ。
他方の PKMS では,知的関心で献典が蓄積され,利用者も自然と内省的になるので献典の質や治安は総じて良い。
ただ,PKMS はとにかく「高コスト体質」になる。今まともに開発しようとすれば,厳重な制危と情報保護体制,複雑な WYSIWYG 選り手,自動保存,編集履歴,オフライン対応,ゆとりのある譜類上信機能あたりは基本として,OCR や人工知能くらい付いているのも当たり前になりつつある。デライトがこれらの機能を上手く切り捨てられているのは,やはり KNS という根想によるところが大きい。どれも SNS なら必要性が低い。
しかも,PKMS は閉鎖的なサービスなので収益化手段は限られ広告宣伝費もまともにかかる。Evernote にせよ Notion にせよ,SNS に比べると規模的には伸び悩みの状況にある。
そこで KNS たるデライトの出番というわけだが,KNS は KNS で「新し過ぎて理解してもらうのが難しい」という問題を抱えている。逆に言えば,ここさえ突破すれば SNS の次と PKMS の次を同時に創出出来る。SNS をメモ通類として使っている人,PKMS を情報発信に使いたい人はそれなりにいるので,突破口は確実にある。
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}{残しておくべき}{活用出来なかった}{今後の開発}{なりつつあった}(68)「第零番節の省略」としていた作業項目を「第零番節の削除」に改めることにした。
「省略」では,出与えはそのままで,表面的に第零番節を無視するつもりだったが,「削除」では出場や kno_T
の構造を変えることになる。その分,軽量化や煩雑化していた交度の削減が望める。将来的に必要になることも考えられなくはないので,知番表記の仕様としては温存する。
これまでほとんど活用出来なかった上に,更に役割の低下した第零番節を出与えとして残しておくべきなのか,と昨日の開発中に考え始めた。
この大転換で脳爆発が生じている。この上旬では詰め込み気味に機能追加を予定していたため少し焦ったが,収穫の大きさを考え,上旬一杯時間をかけるつもりでじっくり取り組むことにした。元々,知番実装や出場周りはしばらく離れていたことで心理的な暗部になりつつあった。これを好機として,今後の開発を睨んだ整理を進めたい。
デライトには「使い方」というページがあるのだが,これは最初の頃からまともに更新出来ていない。デライト開発もありがたいことに快調で,いちいち更新していられないほど変化が激しかった。このあたりも近日中に刷新するので,もうしばらくお待ち頂きたい。
もっとも,多くのデライト初心者が躓いているのは,細かい操作方法というより,どういう考え方で使っていくものなのか,という所なのではないかと思う。デライトで躓きやすい「使い方の考え方」について,このあたりで少し補足しておきたい。
デライトは風変わりで慣れが必要なものではあるが,特に難解なものではない。開発者の力不足による不親切さは多々あるものの,あくまで誰でも使えるものを目指している。まずは,ちょっとしたゲームのルールを覚えるつもりで読んでもらいたい。
デライトは,個人の知識をよりよく育て,生活の様々な場面で役立ててもらうためのサービスだ。それを突き詰めた結果として,互いに入れ子に出来る「輪郭」という単位で情報を扱う仕組みを持っている。
ここでいう「輪郭」というのも,まずはごく普通の言語感覚で理解してもらえればいい。ある物事の全体を取り囲むもの,という意味だ。もっと具体的にイメージしたければ,手で輪っかを作り,目に見える風景の一部分を切り取って見てほしい。写真の構図を考える時などに似たことをよくやるが,その時に手で作っている輪っかは,世界のある部分の輪郭だ。
その輪郭を,自由に“保存”出来たらどうだろうか。輪郭の中にまた輪郭を作ることも出来る。一つの輪郭は,他の無数の輪郭を含むものであると同時に,他の無数の輪郭に含まれるものになる。そのようにして,“世界を捉える”ことは出来ないだろうか。さらに,この考え方をコンピューティングに応用することで,従来の情報管理が抱えていた問題を解決出来るのではないか。ここからデライトの輪郭という仕組みが生まれた。
例えば,ファイルをフォルダ(ディレクトリ)という入れ物で分類管理する仕組みは広く使われているものの,人間が頭の中で扱っているようには情報を扱えない。一つの物事をどこに分類するかは,見方によっていかようにも変わりうるからだ。これは,一つの情報を一つの入れ物に所属させるような「階層構造」一般の問題(こうもり問題)としてよく知られている。
他方,こうした問題を解決するため,より柔軟な「ネットワーク構造」(グラフ構造とも)を利用した仕組みも広く使われている。Wikipedia などで利用されているウィキはその代表例だ。ウィキは,ウェブのハイパーリンクという仕組みを最大限に活かし,縦横無尽にリンクを張り巡らしながら情報を整理出来るように設計されている。しかし,こうした技術も万能ではない。柔軟な分,散漫・乱雑になりがちで,焦点を絞って情報をまとめることには向いていない。
輪郭による「輪郭構造」なら,両方の利点を上手く共存させることが出来る。輪郭はいわば「宙に浮いている輪っか」なので,階層構造を持つフォルダのような入れ物とみなすことも出来るし,輪郭同士の関係はネットワーク構造のように柔軟だ。以前適当に作った雑なものだが,下図を見ればなんとなくは分かるかもしれない。
一般に,階層構造は少量の情報を明確にまとめることに向き,ネットワーク構造は多量の情報を緩やかにつなげることに向く。
ウィキなどで作られる情報のネットワーク構造は,しばしば,脳の神経細胞群が作る構造に似ていると言われる。情報同士のネットワーク状の結び付き,という大きな括りではその通りだ。しかし,脳はただ漫然とネットワークを広げているわけではない。脳科学・神経科学でも,神経細胞の結び付きには強度差があると考えられている。つまり,脳は優先順位を整理しながら情報をつなげている。「輪郭」を使ってデライトが再現しようとしているのは,この「まとめながらつなげる」脳の機能だ。
進化の観点から考えれば,動物の脳は,環境に合わせて情報を蓄積し,状況に合わせて有用な情報を素早く引き出せるように出来ていなければならない。もちろん生存のためにだ。どれだけたくさん情報を蓄えられても,必要な時に上手く引き出せなければ意味が無いわけだ。大昔から限界が知られている階層構造が,それでも必要とされ続けているのは,情報に優先順位を付けて整理していく,という脳の機能がとらえやすい構造だからだ。
個人知識管理(PKM)の分野でも,ネットワーク構造を活かしたウィキと並んで,階層構造で情報を整理していくアウトライナー(アウトライン プロセッサー)と呼ばれるものがよく使われている。非常に興味深いことに,この二つを抱き合わせたツールが近年のトレンドの一つだ(Roam Research,Obsidian など)。
脳の進化を追うようにツールも進化しているが,デライトが革新的なのは,既存の仕組みを抱き合わせるのではなく,全く新しい一つの仕組みで脳の機能を十分に再現しているからだ。慣れた利用者にとっては,その単純性がこれまでにない直感性につながる。同時に,初心者には分かりにくさの原因となってしまっている。
デライトは,“人間が触りやすいように”脳の機能を再現することに,どのツールよりも徹底したこだわりを持っている。人の脳は,長い長い進化の過程で無数のテストを通過してきた,情報処理ツールのお手本だ。その脳を使って活動している人間にとって,最も直感的に扱えるのは最も脳に似ているツールだ。そして,保存・検索・共有といった部分での脳の弱点を機械が補えば,これまで不可能だったような高度な知的活動が可能になる。
デライト上に流れている無数の輪郭が,いわば「脳のログ」であることを理解すると,初心者を面食らわせてしまっている部分の多くも理解しやすくなるのではないかと思う。
公開されることもあって,どのような内容をどのくらいの頻度で“描き出し”していいものなのか分からない,というのはデライト初心者が抱きやすい感想だろう。この点においてデライトは,活発なチャットやマイクロブログ(Twitter など)の速さで投稿(輪郭)が流れていくイメージで設計されている。それも,「廃人」達の独り言で埋め尽くされているチャットのような状態を想定している。脳のログならそうなるはずだからだ。
デライト上には,一見意味不明な輪郭も数多くある。脳のログだと考えれば,これもむしろ自然なことだと言える。デライトは,“綺麗に整えたメモ帳”を見せるためのサービスではない。頭の中にある情報を,ありのままに可視化することに意味がある。他人の輪郭を見るということは,他人の頭の中を覗いているようなもので,めまいを覚えるなら正常なのだ。
それでも,ちょっと気になった他人の輪郭から良い刺激が得られることは珍しくない。自分の輪郭を他人の輪郭を絡ませることも出来るので,デライトでは面白い知的交流が日々生まれている。疑似的に再現された脳同士が対話しているわけで,これは疑似的なテレパシーと言えるかもしれない。
新しい順に輪郭が並んでいるのも,もちろん脳のログだからだ。先日の一日一文でも書いたように,デライトは,Twitter のようなマイクロブログにも似ている。そして,マイクロブログはしばしばメモツールとして利用されている。これは,時間軸に沿って記憶を辿るような脳の機能に似ているからだ。
デライトでは,マイクロブログ感覚で思いつくままに輪郭を作り,時にはウィキのように,時にはアウトライナーやマインドマップのように,“まとめながらつなげていく”ことで「脳のログ」を可能にしている。
例えば,釈迦,孔子,ソクラテス,キリスト……あるいはカントでもアインシュタインでも誰でもいいが,後世の人間は文献からあれこれ推測するしかない「偉人」達の記憶が,このような形で残されていたら,と想像してみてほしい。百年後,千年後の人々にとって,「輪郭」は古人について知る何よりの手がかりとなるだろう。あなたにとって偉人以上に大切な人生の記憶をこれほど強く世界に刻み込める道具は他にないのだ。
工学的に人間の知能を向上させようという研究分野は,古くから「知能増幅」(IA: intelligence amplification)と呼ばれている。今や世界的な流行語である「人工知能」(AI)に比べて,語られることは非常に少ない。脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるなど,どの技術にも大きな技術的・倫理的課題があり,実用段階になかったからだ。
デライトは,それを誰でも使えるメモサービスという形で実現している「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。今後の一日一文では,この技術の歴史的重要性についても書いていきたい。