サービス提供事業者などが利用者に料金を課する(負担させる)こと。ネット用語としては,料金を支払う意で用いられることも多い。
デライトでは,「フリーソフィー」(freesophy)を提唱している。無料(フリー)哲学(フィロソフィー)の意だ。
いわゆるフリーミアムよりも無料であることに重きを置く考え方だが,「哲学」と言うだけあって,ビジネス模体に留まらず,経営思想でもあり設計思想でもある。
フリーソフィーの考え方を端的に表すため,「無料は品質」という言葉を私はよく使う。つまり,無料であるかどうかは,単に価格設定の問題ではなく,サービスの品質に直結する問題でもあるということだ。
当然ながら,デライトにもサービスとしてどのように収益を上げていくかという課題があり,フリーミアムも含めて様々な選択肢があった。検討を重ねた結果として,全ての主要機能を無料で提供し続ける道を選ぶことにした。
大体無料にした方が,サービスの設計は単純化出来,可接性・可使性も向上するからだ。
まず,フリーミアムを採用している多くのサービスにあるような「料金表」をデライトには掲げたくなかった。これは美的でもないし,こんなものと用者を睨めっこさせたくない。支払い手続きで煩わせるのも嫌だ……等々と,サービスをいかに握接しやすく,使いやすいものにするかということを追求していくと,結局無料にせざるを得ない。
無料が理想なら,課金は必要悪だ。用者から直接金を取らずに問題なく経営していけるなら,課金サービスに意味は無い。
課金しないとなると頼りは広告くらいだが,デライトでは広告もかなり抑制している。少なくとも,用者体験を損うような広告は付けないようにしている。
もちろん,大抵の企業にそんなことは出来ない。しかし,超高効率経営を実現している希哲社には出来る。先日書いた文章(ネットサービスにおける「成功」とは何か)でも少し触れているように,デライト開発・運営には驚異的に金がかかっていない。
もっとも,あまりに開発体制を梱薄にまとめてしまうと,課金に関する事務負担が馬鹿にならず,あまり旨みが残らないという問題もある。そういう意味では,超高効率経営とフリーソフィーは切り離せないのかもしれない。
困ったのは,無料であることを経営思想・設計思想にまで深めた考え方を表現する言葉が無い,ということだった。
フリーミアムでいう「基本的な機能」と「高度な機能」に明確な定義は無く,提供者側の都合で割とどうとでもなる。顰蹙を買っている Evernote は分かりやすい例だが,個人知識管理サービスは長期的に用者の知識情報を預かるものだ。金次第で将来的に利用が制限されるかもしれない,という不安はサービスの根幹に関わる。
しばらく悩み,ある時ふと閃いたのが「フリーソフィー」だった。
単純に音の響きもフリーミアムに負けず劣らず良いが,ことフィロソフィーを看板にしている希哲社にとってこの上無い語感の良さ,意義も的確,新規性も十分,「無料哲学」と和訳しても分かりやすい,と満点だった。
こんな文章を書いているのも,正直,あまりにも出来過ぎた造語なので自慢したかっただけかもしれない。フリーソフィー……とにかくやたら言ってみたくなる魔法の言葉だ。
言葉の誤用には色々あり,中には新しい意味として認めるべき誤用というのもある。「ホームページ」はもはや誤用ではない,と以前書いたのは擁護の例だが,全ての誤用が正当化出来るわけではない。私がそう考えるのは「課金」の誤用だ。
「課金」とは「金を課する」という意味の語だ。つまり,サービスなどの提供者が利用者に対して料金を課するという意味で使う。しかし,これが提供者に対して利用者が料金を支払うという意味で誤用されるようになった。インターネット上のサービス説明などで「課金」という語が使われることが多く,これが低年齢層を中心に誤解されたことによるのだろう。
この誤用が許されないのは漢字の意味を無視しているからだ。日本語の語彙の多くを構成している漢字が正しく使われなければ一貫性が失なわれ,旧来の語の理解も難しくなり,今後の日本語の発展にも悪影響を与えかねない。しかし,「課金」の言い換えは思いのほか簡単な問題ではない。「料金を納める」という意味だけなら「支払い」や「納金」などいくらでも代替語は考えられる。現に提供者の事務的にはこれらの語で済んでいて,特に新しい表現を考える必要はない。実は消費者たちの間で使われる「課金」にはそうした事務的な表現に収まらない意味があるのではないかと思う。
誤用としての「課金」はいまでは一種のネット乱語〈スラング〉になりつつある。もちろん単純に間違っているだけという場合もあるが,幼稚な誤用であることをあえて皮肉に利用している場合も少なからずある。つまり,ソーシャル ゲームの課金のように,傍目には下らないことに金を投じている者を揶揄したり,当事者による自虐の意図でも使われている。そういう場合に「課金」というのが丁度いい語感を持っているのも確かだ。この部分をいかに取り出すかが問題になる。
そこで私は「貢金」(こうきん)という表現を考えた。着目したのは,「課金」とともに使われることも多い「搾取」や「貢ぐ」という表現だ。これらは「課金」の誤用にどのような含みがあるか,ということをよく示している。「貢金」ならば,「課金」の誤用を正しつつその真意を上手く表現出来そうだ。