「大和」(ヤマト)は,もともと現在の奈良県南東部を指す名称。後に意味が拡大し,現在の奈良県にあたる地域や日本全体を指すようになった。
最近よく考えるのが,大和魂(やまとだましい)とは何か,ということだ。
大和魂に明確な定義はない。むしろ,無いからこそ大和魂なのだとも言える。「定義」などというのは西洋的な概念であって,日本人はこの大和魂というものを論理ではなく感覚(フィーリング)で「何となく」共有してきたのだ。この「何となく」の精神が太平洋戦争にいたる軍国主義と結びつくわけだが,実のところ,大和魂というのは軍国主義や,その思想的核心となったいわゆる武士道とはあまり関係がなさそうだ。
日本人自らが厳密な定義で共有してきたわけではないとはいえ,この大和魂を日本人がどのように捉えてきたのか,というのは「大和」を巡る状況からある程度察することが出来る。
大和(倭)は,奈良盆地に発する地名だ。その語源はいまだ謎だが,おおむね「やま」(山)に由来するという説が多い。山に由来するというのは,奈良盆地を訪れてみれば自然に納得できる説ではある。大和を中心とした地域は律令制下で初め「大倭国」,後に「大和国」と名付けられ,その北にあたる地域が初め「山背国」,後に「山城国」となる。両国は畿内の中でも内陸で,山がちの地域なので,語源はともかく山に関連付けられていた可能性は高い。言葉というのは,初めの意図がそのまま保存されることの方が稀で,共有されていく過程で解釈が加わることも多いし,和歌における掛詞のように複数の意味が重ねられることもある。
畿内5国のうち,大和国(現在の奈良県)・山城国(現在の京都府南部)には京が置かれ,朝廷の中心地だった。その他3国は現在の大阪府や兵庫県の一部に相当する地域で,河内国・和泉国(元は河内国)・摂津国だが,面白いのはどれも水に関係がある国名(河・泉・津)だということだ。実際,和泉国・摂津国は大阪湾に面しているし,河内国の由来は大阪湾に注ぐ淀川とされていて水運の要だった。山の国と水の国,この違いは大和魂を考えるにあたって重要かもしれない。
歴史上,日本という国の原型が確認される遥か前に成立した『論語』には,「知者は水を楽しみ仁者は山を楽しむ」という言葉がある。知恵のある者を絶えず変化する水に,仁徳のある者を穏やかな山にたとえた言葉だ。現代でも山は大らかさの象徴だから,この感覚は理解しやすいだろう。
ところで,河内国といえば武家を代表する河内源氏の発祥地だ。河内源氏は源氏(清和源氏)の中でも特に武家の名流と言える。その出身者は鎌倉幕府を開いた源頼朝,室町幕府を開いた足利尊氏らをはじめ錚々たる顔ぶれで,鎌倉時代から江戸時代まで武家社会の古典的権威だった。明治時代以降に日本人の精神と称揚された「武士道」(明治武士道)の源流とも言える。
ところが,水の国である河内国から出て東国の鎌倉で開花した武家の文化と,山の国である大和国と山城国で醸成された朝廷の文化は,恐らく根本的に異質なものとされていた。これは,今日「武家文化と公家文化の違い」と言ってしまえば簡単な話なのだが,例えば「河内文化と大和文化の違い」と考えてみると,「大和魂」の輪郭をより明確に出来そうな気がしないだろうか。
河内国と武士の関わりは長い。武士は和語で「もののふ」と読むが,この語源か,あるいは同源とされているのが古代の有力軍事氏族である物部(もののべ)氏で,河内国を本拠地としていた。さらに,物部氏が祖としている饒速日命(にぎはやひのみこと)という日本神話の神は,はじめ河内国に降り立ったとされている。これは,皇室の祖とされる神武天皇が日向(九州)から移動して大和を征服(神武東征)する前のことだ。驚くべきことに河内国は,神話の時代から天皇に相対する勢力を象徴する地だった。これは鎌倉時代から幕末まで続く朝廷と幕府の関係を考えれば実に感慨深いことだ。
(さらに続く)
本来は平安時代の貴族層が持っていた精神性。和歌に反映されているような機微を解する心,柔軟性や平穏,清潔を尊ぶ貴族主義的な性質が強く,野蛮・不粋を嫌う。それゆえ武家社会が台頭した鎌倉時代以降は廃れ,江戸時代の国学で復興,明治武士道などと習合し,第二次世界大戦を経て軍国主義の代名詞となってしまった。
近代化以降は,協調主義や滅私奉公・自己犠牲,特に戦中は天皇に対するそれを指していわれた。平安時代の貴族たちは勇猛な東国武士を東夷(あずまえびす)などと呼んで軽蔑していたので,実は武者的な勇猛さとはあまり関係がない。現在の「大和魂」が戦争と結びつけられやすいのは,どちらかといえば,軍国主義への盲従・盲信的な態度を正当化するために用いられたことが大きい。
華々しく生きて潔く死ぬことなどは桜に例えられるが,現実の武士はそこまでの美学は持っていない。これも死と隣り合わせの人生を慰めるための価値観(無常観)であり,実際の中世は生への執着と悪あがきだらけの時代である。
そもそも現代日本人ですら多くの日本語を理解しないまま曖昧に使っているので,大和魂に明確な定義はなく,当時の日本国民が共有していた雰囲気をなんとなく指すものでしかないとも思える。
戦中の歌謡曲などでは語呂のため「やまとだま」とも読まれている。