「竜胆蛍」(りんどうけい,りんどうぼたる)は希哲館の紋章。宇田川による意匠。ラテン文字略称は「RDK」。
リンドウは野で群生しないといわれており,高貴な紫色の花を咲かせる姿は希哲館の理想である「独立調和」を象徴する。
リンドウの花は秋の花であり,春・夏と明るい季節が終わり冬に向かう間に咲くことから,蛍に似ている。また,秋は月が最も美しく見れる季節である。
いったん出振るいを終え,他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備が一段落した。
開発時間が確保しにくい時期だったことや交度整理に時間をかけたことで12月22日に着手してから日数はかかったが,総合的に満足出来る結果となった。
特に,実装時期の予測すら出来なかった自我ページ整備が出来たことが大きい。これで新生デライト像が完全なものになった。自我ページ整備自体の作業時間は正味2日間程度で,時間対効果も非常に高かった。
今後はまず新生全知検索整備に戻り,輪郭整備兼文書整備と並行させ新生デライトの成立を目指すことになる。
12月19日の検討通り,他自我内検索時に自我アイコンを並べ,自我ページではこれをプロフィール風に見せることにした(整備後1,整備後2)。
見ただけではまずやり方が分からなかった他自我内検索が整合的かつ直感的に行えるようになり,自我知番による検索結果に過ぎず一見意味の分からない自我ページ(整備前)も一応プロフィールページらしくなった。
自我ページは,デライトにおける自己表現の入り口となる部分であり,初めてデライトに触れた人がまず覗いてみる部分でもあるので,直感的に理解出来るようになったことは大きな進歩と言える。最低限の又情報も設定したので多少の SEO 効果も望める。あとは風船輪郭が出来れば,デライトのプロフィールページとしては無駄なく十分なものになるだろう。
一時,前縁で十全な切り替え機能を実装しようとして交度の肥大化に陥いりかけたが,自我の切り替え時にはページ遷移させて後縁の処理結果を利用することにした(2日)。
これにより,非常にすっきりした交度でまとめることに成功した。
少し迷ったのが,録入り中に自自我ページを表示したり自自我知番で検索したりした時にどうするかということだったが,これは単純にそのまま表示することにした(整備後3)。自自我アイコンが2つ並ぶのはどうかと思ったが,自分で自分を観ているのだから間違った表現ではないし,一貫性はある。
当初,自我アイコンに関しては通常の自輪郭検索と同じようにするつもりだったが,これはこれでぱっと見で状態が判別しにくいという問題がある。自我ページだけなら自我アイコン下の文言やメニューなどの非表示で分からなくもないが,分かりやすくはない。
通常の自輪郭検索との差別化のため,通常は省略している吹き描きの自我名や自我アイコンを表示させる機能を持たせても良さそうだ。
別案として,右側の自我アイコンを左右反転して鏡映しのようにするというのがあったものの,アイコンの同一性から生じる機能性を損うこと,他者からの見え方をイメージしやすくするプロフィールページとしての役割を損うこと,恐らくほとんど意図が伝わらないことといった理由で没にした。不具合か自我ページの仕様と誤解する人が一定数出てくるだろう。
@DG.sch
を中心とした交度整理の進展も本当努における大きな成果だった。
輪郭一覧動的更新対応で前縁の全知検索関連機能を @DG.sch
に集約したはいいが,整理している余裕はなかったので乱雑だった。ここも本当努を通じてすっきり整理出来た。検索語提案機能実装でも活かせるだろう。
比較的深刻なのは,輪郭一覧動的更新後の「戻る」先が求頼文字列のない自我ページや輪郭ページだった場合に正しくページを復元出来ない問題だった。
また,輪郭一覧動的更新で対応を忘れ全輪郭検索用背景・自輪郭検索用背景が切り替わらなくなっていた問題を修正すると同時に,他自我内検索も含めた自我内検索一般に無地の黒背景を適用することにした。自輪郭検索とそれ以外で分けるかで少し迷った。元々,竜胆蛍の入った背景は賑わいを表現したものだったので,これの方が本来の意図に適うだろう。
その他,例えば & ボタンのキーボード入力時に検索語が空になっても削除ボタンが消えないといった軽微な不具合や,交度の未整理による細かい挙動・装体の不整合といった問題が解消されている。
一日一文という日課を再開して3ヶ月経ち,希哲館事業についてもだいぶ伝えやすくなったと感じている。
この希哲館事業も,11月1日に14周年を迎える。もっと遡って,17歳の時の「閃き」を原点とするなら,もう20年近い歴史がある。今まさにデライト収益目標達成に向けて大詰めという時期だが,これだけ長い間,まともな収益がなく事業が存続してきたことには,いくつかの理由がある。
まず,「日本はどう逆転するか」や「私の政治思想」などを読めば分かるように,希哲館事業構想は,「人類史上最大の事業構想」と言っても過言ではない無謀の極みであり,当然ながらその自覚と絶望から始まっている。
希哲館事業の可能性に気付いた17歳の私は,その過程にある,あらゆる困難を想像し,絶望と戦うことになった。
この前年,アメリカ同時多発テロ事件があった。希哲館事業の根底には,あらゆる宗教,あらゆる思想を越えて世界を連帯させうる“新しい価値観”への世界的な要請があったように思う。
今となっては笑い話に近いが,そんな世界情勢もあり,私は,イスラム過激派にでも捕まって自分が生きたまま首を斬られたり,日本を追われて世界を放浪したりするのではないか,そんなことまで想像していた。そんな極限状態でもこの事業を育てるために,あらゆることを考えた。
閃きから5年後,私はあらゆる困難と戦う覚悟を決め,希哲館事業を始めた。全ての神,自分以外の全ての人間を敵に回すかもしれない,人生の全てをかけた努力が全く報われないかもしれない。それでも自分はこの事業に尽力しよう。そういう覚悟だ。
希哲館館章「竜胆蛍」は,この絶望的な暗闇に飛び出す一匹の蛍を模したものだった。希望と知の儚い光であり,滅びの美学のような,私の人生観と覚悟を象徴するものでもあった。
それから14年近く経つが,想像していたような貧苦も迫害もなく,この日本社会でぬくぬく楽しくやってこれてしまった。稼げなくても大して困らず,あの覚悟のおかげで,むしろぬるま湯のように感じていた。
希哲館事業を始めたばかりの20代の私には,自分の5年先の人生が全く想像出来なかった。20歳ちょっとの時は25歳くらいで死んでいるだろうと思っていたし,25歳くらいの時は30歳まで生きていないだろうな,と思っていた。いま私は36歳だが,健康そのものだ。
家族にも親戚にも見放され……というようなことも覚悟していたが,そんなこともなく,関係は割と良好だ。
もっと若い頃の私は,端的に言って「極度の世間知らず」だった。希哲館事業なんてものを始められる人間は,日本どころか世界を見渡してもまずいない。それが出来るのだから,何か自分には特別な力が宿っているのではないか,などと思っていた。自分は矢吹丈みたいなものだと思っているくらい,環境というものを無視していた。
散々周囲に助けられ,世間について知るごとに,そういう考えは出来なくなった。どんなに覚悟があり性格が向いていても,この特殊な環境が無ければここまで来れなかっただろう。
最近,父親と話すことが増え,父に似た性格も希哲館事業を続けていられる小さくない要因だなと思う。
父は子供の頃から数学が好きで,埼玉大学の数学科に入ったものの学生運動のごたごたで中退,その後は情技(IT)で起業してみたり色々あり,いま70歳を越えているが,画期的な数学の教科書を作って数学塾を開こうと奮闘している。
いつまで経っても金を稼ぐのが苦手で,ぼろぼろになりながら夢追い人を続けているような人だ。なけなしの貯金でデライトに出資してくれるような不思議な人でもある。
そんな父を見ていると,70歳,80歳になっても希哲館事業を続けている自分が容易に想像出来てしまう。
私も,もう希哲館事業について考え始めてからの人生の方が長い。デライトで多少世に出た感はあるが,それはつい去年のことだ。仮にデライトがずっと鳴かず飛ばずだったとしても,死ぬまでこんなことを続けているのだと思う。
あばら屋のような状態だった頃から使い続けてくれている用者が有り難いのは言うまでもないが,たとえ苦言の一言を残していくだけでも,デライトにとっては有り難い用者だ。開発者として首肯しがたい意見でも,様々な感じ方・考え方を知る機会にはなる。
迷惑行為や違法行為となるとそうも言っていられないが,これまでその手の悪質な用者は一人もいなかった。そういう意味で,デライトには良い用者しかいない。
先日の一日一文でも書いた通り,デライト開発では私が全ての作業を担っている。しかし,独力でここまで来たわけではない。周囲の助けに加え,用者達の存在が無ければ決してここまで来れなかっただろう。
もちろん,用者からの要望や意見をきっかけに発展したことは多い。用者の使い方を観察して気付いたことも多い。決して建前ではなく,実質的にも,デライトは用者とともに作り上げてきたものだ。
だが何より,用者の存在自体に勇気付けられることが多かったように思う。こんな奇妙奇天烈なサービスに,よくもここまで人が集まってくれたものだ。どんな声でも,誰かには届くものなのだな,としみじみ思ったりする。
デライトでは,<ruby>出放り<rp>(</rp><rt>デフォルト</rt><rp>)</rp></ruby>の用者アイコンに「竜胆蛍」という独自の意匠を使っている。笹竜胆という家紋を蛍火に見立てて変形させたものだ。
これは元々,希哲館の館章として考案したものだった。知識産業革命と希哲民主主義の樹立という途方もない目標を持つ希哲館事業,そしてそれに全てをかける自分自身を,私は蛍のようなものだと思っていた。真っ暗闇に舞い,知恵と希望の光を灯す一匹の蛍だ。
一匹が二匹に,二匹が三匹に,やがて無数の蛍が集まり世界を照らす……そんな夢を見ながら,自分は儚く一匹で死ぬに違いない。それがこの事業を始めた頃の私の人生観だった。
それが何だかんで上手くやってこれて,知能増幅メモサービスなんてものを世に出し,一匹の蛍が二匹に,二匹が三匹に……それが現実のものとなった。今でも,ときどき夢を見ているような気分になる時がある。
元より,一人でも,神に抗うような無謀であっても,やらなければならないと思って始めた事業だ。明日,全ての用者が去って一人になっても私が目指すことは別に変わらない。それだけの芯が無ければ,知の希求を掲げるサービスとして信頼に足るものにならないだろう,とも思う。
今後がどうであれ,これまでの全てのデライト用者に感謝の意を表したい。今のところ,デライトにも希哲館事業にも大きな希望があり,私が果報者なのは皆のおかげだ。
この頃,透明性についてよく考える。直接意識してきたわけではないが,結果的に私自身も希哲館事業も限りなく透明化しつつある。これも可知性ということか。
今日は開発も快調で,自我アイコン設定機能実装の区切り付けを終えた。本番環境でも手定めに自分とデライト公式の独自アイコンを設定してみた。それだけのことなのだが,妙に胸が熱くなり,感無量だった。
画竜点睛というべきか魂が入ったというべきか,小さなことのようで想像していたよりずっとデライトが生き生きとして見える。
竜胆蛍がいかに私と希哲館の精神の象徴といっても,やはりどこか覆面をしているような感覚があった。
本当に鏡のようになったデライトに映る自分を見ていると,ここまでのわがままを許してくれた周囲の愛情と幸運の多大なことに感謝の念を抱かざるをえない。
最近,自分の境遇について考えさせられるような,ちょっとしたことが立て続けに起こっているせいで余計感傷的になっているのかもしれない。今こうしていられるのも,環境と偶然のおかげだったんだな,と改めて実感させられることが多い。
もうデライトの成功なんか無くても,『パーフェクト・ワールド』のごとく明日のたれ死んでも贅沢なくらいじゃないかと思うくらい既に幸福な気がするが,これはやはり克服すべき自己中心性なのだろう。
閃き以来のこの自己中心性こそデライトをここまでの形にした創造性の核だった。しかし,それだけでは「奉仕」としてのサービスは成立しない。この喜び(delight)を広く共有出来るものにしなければならない。そのためには,お題目ではなく心から思いやりが生じなければならない。
別に今初めて思ったことではないが,一つ峠を越えた後で,自然にこういう感情が湧き出てくるということがデライトの成功にとっては希望だ。
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}{希哲14年10月12日の開発}{隠し輪結}{文字色}{星印}{希哲14年10月12日の進捗時限}(24)