一夜明けて特に未練も無かったので,ツイストの無期限停止と,それに伴う Twitter アカウントの削除を決めた。
やはり,デライトの用者体験が向上し過ぎて,他のサービスに全く気が向かない,ということに自分で気付いてしまったのが決定的だった。この調子では今後もツイストの優先順位は上がりそうにない。Twitter に関しては,拡散力といってもデライトとの相性による限界もあり,蒔けるだけの種は蒔いたという感覚がある。
第二次快調期は最高の開発者体験だったが,10月頃から輪郭整備の時間を増やしたことで最高の用者体験が得られたのも大きかった。小手先の宣伝活動もいいが,ここに唯一無二の体験があるという事実を示し続けること以上に重要な市場活動は無い。
今後は,デライト開発と,輪郭整備や一日一文などでの献典整備をひたすら進めてデライトの完全な成功を目指す。飛んで火に入る夏の虫というべきか,鴨が葱を背負って来るというべきか,ちょうど世界一の富豪が分の良い勝負に持ち込んでくれたところだ。これに勝てば世界がひっくり返る。
その希望が外部サービスに依存せず持てていることに大きな成長を感じた。同時に,ツイストが役目を終えたことを悟った。希哲12年1月17日に考案してからおよそ5年,ツイストのある生活がデライトを育てた。
多くの人が SNS にロックインされ,独自の価値を持った新しいサービスが育たない中にあって,発信力だけ利用して自サービスに蓄積出来た戦略としての正しさも再確認した。ツイストをしていなければ出会えなかった人も多いし,普通に SNS を利用していたら SNS に同化してしまっただろう。
解放感と達成感によるものか,朝から晴れ晴れとした気分で,顔色も非常に良かった。そもそも SNS という性に合わないものをなんとか利用するための折衷案がツイストであり,それ相応に精神的負担だったのだろう。
基本的にツイスト以前の情報発信体制に戻ることになるが,当時は,暗中模索だった代わりに希哲館事業発足後で一番悠々自適な生活を送っていた。このデライトという最強の武器を引っ提げてそこに帰れると思うと嬉しく,感慨深い。
もっとも,ツイストには描出形式としての有用性があり,「非連動ツイスト」という可能性も脳裏をよぎった。本格的に再開するとしたら,デライトの ActivityPub 対応が実現した時だろう。
外務帰りに早速 Twitter アカウントの削除を実行しようと思っていたが,こんなことを考えていたら夜には眠たくなってしまい,実作業は無し。