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{ジョージ・ソロス氏の場合 K#F85E/872A}

先日「思想を金銭のために書いてはいけない理由」を描いたが,それでは,在野で希哲学(philosophia)を志す者はどのようにして生活していくべきなのだろうか。

答えはそう難しいことではない。思想を売るのではなく,別のものを売って思想を支えれば良いのである。この場合,最も簡単な売りものは「労働力」だろう。いまどき,日本のような国であれば人並に働いて,余暇を思索にあてることは難しいことではないし,実際にそうしている人達が多く居る。インターネットがあれば表現の機会も十分に得られる。

ただし,大学以上の研究環境が欲しかったり,個人の枠を超えて,希哲学を全社会的に拡げるような活動をしたい場合には,もっと強力な売りものが要る。私が2007年に希哲館を創立した時,それは「技術」だった。特に情報技術は,小さく始めて大きく育てることが出来る分野として,これ以上のものがなかった。小さく始められる,ということも重要なことだ。創業に大きな資本が要る業種では,出資者や経営陣の関係が複雑化しがちで,不確定的な要因に事業が左右されやすい。これが自由な思索の足枷になる。

ビル・ゲイツ氏とウォーレン・バフェット氏が世界長者番付で首位を競ったように,投資業もまた自由度と天井の高さの両立において稀有な業種といえるだろう。最近知ったのだが,有力投資家であるジョージ・ソロス氏の場合,投資が希哲学を支える手段であったようだ。私は投資が理想的な手段だとは思わないが,ソロス氏は現在83歳であり,青春を過ごした時代や環境を考えれば唯一の選択肢だったのかもしれない。

数ある学問の中でも,希哲学はその性質上,とりわけ在野における扱いが難しい。それというのも,プラトン以来,希哲学というのは「知ヘの純粋な希求」を「見せかけの知」や「売りものの知」から区別することで確立した概念と言えるからである。古代ギリシャには,知を売りものにした「ソフィスト」と呼ばれるある種の自営業者達がいたが,彼らはプラトンが描くところのソクラテスから痛烈な批判を受けたのである。

ソロス氏の経歴について簡単に書こうとして,ついつい色々な思いが噴出してしまったが……。「象牙の塔」としての大学から脱出し,在野にあって世俗に溺れずという希哲館の理想を私は「泥土の塔」と言い表わしてきた。これは何度でも思い返し,何度でも訴えるべき理想だと改めて思う。