{上杉朝昌 K#F85E/8257}宇田川浩行 上杉持朝の子,定正の弟。詳細な事績は不明だが,子孫は扇谷上杉家当主となり,山内上杉家・武田家とも遠からぬ親戚関係にあるなど興味深い。 子は上杉朝良(定正の養子となり扇谷上杉家当主),上杉朝寧(子の朝興が扇谷上杉家当主),東永など。 奇遇なことに,上杉謙信は娘が正室として嫁いだ上杉憲房の子・上杉憲政(娘が実母であるかは不明)の養子であり,武田信玄の正室は孫・上杉朝興(朝寧の子)の娘である。 (3){東永}{上杉朝寧}{上杉朝良}
{東永 K#F85E/0C6A}宇田川浩行 系図では先頭に名があり長子であったようにも取れるが,出家しているのは父の朝昌が家督を継いでいないためか(朝昌も最初は「本東」として出家している)。 あるいは,定正以降,衰退(後に滅亡)の一途を辿った扇谷家相続の意義を見出せなかったか。出家先が建長寺であったり,子孫が厚遇されていることを考えると,特に弱い立場にあったとも考え辛い。上杉憲房の例のように他の兄弟が特に有能であったとも思えず,やはり独立の意志が感じられる。 その後は宇田川氏の養子となり,宇田川郷右衛門親定などと名乗った可能性が高い。生き残った扇谷家最後の男子。 (2){『永明軒東永書状』}{『鹿苑院公文帳』}