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{寓話『狼少年』とメディア リテラシー K#F85E/7979-8B8F}

イソップ寓話『狼少年』の通称で知られる話がある。

ある羊飼いの少年が,「狼が出た」と嘘を繰り返し,あわてる大人たちをからかっていた。ところがある時,本当に狼が出てしまった。大人たちはもう少年の言葉を信用せず,村の羊が全て狼に食べられてしまった,という話だ。古代ギリシャから伝わる古い話であるため様々な変種があるが,これがもっとも原典に近い内容であるという。

この寓話は一般に「嘘ばかりついていると誰にも信用されなくなる」という教訓を含んだものだと考えられている。中には「少年(だけ)が狼に食べられてしまう」という結末になっているものもあり,教育のために引用されていくうちに,この教訓が分かりやすく強調されるようになったものと考えられる。

しかし,現代人が『狼少年』から学べる重要な教訓がもう一つある。「情報を自ら見極めることを怠っていると事実が見えなくなる」ということだ。つまり,これはメディア リテラシーの教訓でもある。

村の大人たちは,まず情報に対してあまりにも無防備で,情報を鵜呑みにしていた。この話において,少年は情報媒体メディアの役割を果しているが,大人たちはその少年がつく嘘,一種の「デマ」に簡単に騙された。少年からしてみれば,大人たちが騙されやすいからデマを流そうと思いついたわけだ。最初から大人たちが情報に対して十分な警戒心を持っていれば,そもそも少年が嘘をつくことも無かっただろう。

そして,大人たちは少年というメディアに過剰な不信感を抱き,その情報に一切耳を傾けなくなった。結果として,少年が発する「真の情報」に気付かず,村の大切な財産である羊を失なってしまった。大人たちに初めから子供の話を「話半分」で聞いておく常識があれば,少年の嘘に右往左往することも無ければ,完全に無視することも無かったはずだ。この村人たちの情報に対する態度は非常に極端で,現代において「マスコミ不信」を訴える人々に驚くほど共通するところがある。

これは恐らく偶然ではない。この寓話を創作したか編纂したか,あるいは仮託されたであろうイソップことアイソーポスが生きた時代の古代ギリシャでは,市民階級が力をつけ後に「民主主義」と呼ばれる政治形態が芽生えようとしていた。民衆が不確かな情報に左右されてしまうことの危険性は当時でも認識されていただろう。何より,元の話では,少年だけでなく大人たちも被害を受けている。これを単なる「嘘つきへの戒め」と解釈する方が不自然なのだ。

一度『狼少年』を「メディアに翻弄される民衆」を描いた物語として読み直してみると,あまりにも的確で,もはやそう意図された話としか思えなくなる。

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