デルンの実用化

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
10月17日 15:51
下描き希哲11年(2017年)
03月10日 19:51
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

希哲6年の中頃。

ego にある K#F85E の dt_reg には 2012-04-30 04:02:18 とある。

希哲6年5月から本格的な描出が始まっている。

一覧

=}{*}

デライトの一つの強みは,ある程度の実用性担保されているということ。私は7年前にデルン(デライトの原型)の実用化に成功して,それ以来他の情報整理通類(ツール)は使えなくなっているので,ある種の人間にはこれ以上ないものになっている。あとは,これをどう伝えられるか。

=}{*}

考えてみると,デルンの実用化に成功するまで,私は普通に営業したり,それなりに他人と交鳴コミュニケーション)していた。やっぱり,デルンにはまり込んでからかなり内に篭りがちになっていたんだろうな。

=}{*}

約7年前のデルンの実用化直前まで,実は八人格くらいを使い分けようとしていた。経営者俳優歌手医師スポーツ選手美術家とか,全部一人で出来ると思っていた。我ながら恐ろしいが,それくらい無謀じゃないと出来ないことだったんだろうな……。

=}{*}

デルンの操作体系は「写し貼り(コピペ)式」と「引き放ち(ドラッグ&ドロップ)式」の二系統あって,併用出来るように設計されている。当初,さっきの動画にあるような用合い(UI)を想定していたのだが,すぐに引き放ちでは画面遷移出来ないという限界があることに気付いた。そこで,写し貼りで操作する方式を考え,デルン実用化から6年以上それだけしか実装していなかった。

=}{*}

希哲館はすでに,「世界最高」を少なくとも二つ用意してきた。一つは,ザナドゥ計画WinFS を凌ぐ情報技術デルン実用化,もう一つは,これまでの現代思想の枠組みを越えた新現代思想を世界で初めて体系化したこと。あとはこれを知識産業革命に結実させられるかどうか。

=}{*}

そういや,私はデルンの実用化に成功した7年前から基本的にはデルン上で活動していて,SNSリアルタイム検索などで傍観してきたのだが,SNS 上の対立が異様に見える理由って,たぶんこのせいなんだな。「クラスタ」の中から世界を見ていると,どうしても自分に都合の良い情報しか見えなくなる。

=}{*}

実は7年前デルンの実用化に成功した頃,私は柔品(ソフトウェア)開発者としては完全なる独学我流で,獣の直感みたいな論組プログラミング)をしていた。その後,柔品開発の古典等を読み漁って経験と知識を合流させた。これは大きかったと思う。

=}{*}

この胸が一杯になるような感覚はいつ味わってもいい。閃きデルンの実用化希哲館事業乗軌化,そして今。人生の全てに意味があったのだと思える瞬間。

=}{*}

この7年デルンにとって最大の課題は「どう売り込むか」だった。デルンで飛躍的に情報処理能力が高まるといっても,それを切実に必要としている人にしか訴求しない。昨年,これを気軽に導入出来るメモサービスとしてまとめたのがデライトで,これが最後の鍵だった。

=}{*}

あれから7年も経ってしまったし,これだけの技術を独占し続けていることは申し訳ないような気もしていたが,革新的な技術が世に出るまでの時間として決して長くはない。実装の改善,応用方法の研究,周辺技術の開発,普及戦略の策定……わずか7年で万全の態勢が出来た。

=}{*}

いまもデルン以上の情報整理手段は存在しないが,当時は本当に,これほど何を差し置いても欲しい技術は無かった。これがあるだけで,世界最先端の情報処理環境を独占しているも同然だった。

=}{*}

「人間の情報処理能力を飛躍的に改善する道具が必要」という考えのもと私はデルンの開発を目指していたのだが,約7年前希哲館事業構想が旧来の手段では整理出来ない規模に膨れ上がり,私の脳はほぼ「決壊」していた。もう正気を失うかもしれないというその時,ついにデルン実用化に成功した。

=}{*}

デルンの実用化は私にとって大きな成功体験であると同時に小さな挫折体験でもあった。それまでの私は,今考えてもびっくりするほど赤ん坊のような感覚で生きていて,本気で望んで本気で努力しても届かないものがあることを知らなかった。ここで人生観が変わった気がする。

=}{*}

デルンの実用化に成功した7年前は,希哲社が経営的に破綻寸前だったこともあり,体制が整い,利益を生み出すまで公に宣伝出来なかった。この技術はあくまでも希哲館事業を推進するための技術だったため,売るわけにもいかなかったし,盗用の懸念もあった。

=}{*}

それがどれだけの成功だったかと言えば,当時から今にいたるまで比類なき最先端の情報環境を手に入れたわけで,どれだけ少なく見積っても1兆円は下らないだろうと思っていた。まあその心理的な大きさは,いま言い張っている希哲館事業の推定時価総額3京円の種だと思えば大体推し量れる。

=}{*}

デルンの実用化という出来事は,当時の常識では私以外の誰も評価出来なかったので,「知られざる成功」とでも呼ぶべきものだった。

=}{*}

7年前にデルンの実用化をする前,本当に記録を残したり発信したりするのって大変だったな,と思い返していた。そう思うと,今とんでもないことを実現しているのだが,これを伝えるのにここまで時間がかかるとも当時は思っていなかった気がする。

=}{*}

いまさっき,デルンの実用化前に Org-Modehowm で記録していたメモを発見して,デルンがいかに大きな発明だったか改めて実感した。これは確かにパラ・シンギュラリティ(もう一つの特異点)だ。

=}{*}

希哲6年2012年),人間の情報処理能力を飛躍的に高めるデルンの実用化を達成した私は,この全く未知なる技術の可能性を探るために,とにかくあらゆることに応用してみた。図書館に行って得た知識を片っ端から描き出してみるとか。

=}{*}

思えばデルンの実用化からもう7年か。デルンのある生活が当たり前になり過ぎて,それ以前が不思議な時代だったようにすら思える。

=}{*}

戦略的不勉強というのはつまり,「費用対効果の低い勉強は避けるべき」ということなのだが,私にとってそれはデルンの実用化パラ・シンギュラリティ)以前の全ての勉強を指した。

=}{*}

希哲6年2012年)のデルン実用化は,ザナドゥ計画WinFS を越える勘報(コンピューティング)史上最大の難題を,本格的な論組(プログラミング)を始めて6年程度の私が解決したという謎の現象であった。

=}{*}

希哲館事業構想がいかに巨大で完璧だろうと,それだけなら私でも絵に描いた餅としか思わない。やはり,7年前デルン実用化という成功体験は大きかった。

=}{*}

昔,デルンに関する技術文書英語で書こうとしたことがあるのだが,すぐにその非効率性に気付いた。普通の言語環境で育った日本人英語母語並に使えるようになるまでには数十年かかる。特に,論組プログラミング)なんて神経質な作業をしながら,母語の直感性を使えないというのは大きな足枷になる。だから私は,英語でもなく何となくの日本語でもなく,その可能性を最大限に引き出した「新しい日本語」を同時に開発することにした。この転換が無ければ,デルンの実用化は十年遅れていただろう。

=}{*}

ここのところ,希哲館事業のこれまでを整理するような作業が多いのだが,デルンの実用化に成功した5年ほど前を振り返ると,当時私が注目した意欲的な他事業のほとんどが停滞しているか消滅している。ここまで生き残って楽観出来ているだけでも奇跡か。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
制作・運営:希哲社
© K1-13 (2007-2019) KiTetuSha