希哲6年の中頃。
ego にある K#F85E の dt_reg には 2012-04-30 04:02:18 とある。
希哲6年5月から本格的な描出が始まっている。
開発では地味な作業の積み重ねが目に見える成果になってくる一番楽しいところに来たが,ふと思い立って,雑務の抜本的な見直しも始めた。いよいよ本格的にデライト以前のような生活に戻れそうだ。
ここ半年ほど,希哲館事業外での体験に求めるものが増えてきたような,不思議な心境の変化を感じていたが,その原因も少しずつ掴めてきた。やはり,長期戦態勢に切り替えたあたりから精神的なゆとりが出来たのだろう。
新生デライトの完成を目前に第五次デライト市場戦略も固まり,気付けばデライトの完全な成功や希哲館事業の成功に対する焦りも無くなっている。油断するわけではないが,もうここまで来たら,あとはばら成し良く色々なものに磨きをかけながらその時を待つしかない,という心境になっている。少なくとも最低限やるべきことはやったし,時代を迎えに来れるところまでは来た。
思えば,私の人生は17歳の頃から希哲館事業の不可能性との闘いだった。特に,デルンの実用化に向けて本格的に走り出した頃からは,希哲館事業外で使うあらゆる力とあらゆる時間が惜しかった。そんな呪縛からも解き放たれたようだ。
今はこのデライトがあり,知識も経験も十二分に得て多くの迷いが無くなり,希哲荘を中心とした理想的な生活環境も整っている。これでデライト以前のような安定感を取り戻せるならそれほど心強いことはない。もはや無敵だ。
そんなことを考えていたら高揚してきてなかなか寝付けなかった。
デライト3周年,コロナ収束,誕生日……と何かと大きな節目が重なる時期だが,それも気分の切り替えに一役買っているのかもしれない。デライト正式離立からの3年がコロナ禍の社会の雰囲気と共にあった,というのが特に大きいのかもしれない。
最近の出来事や状況の変化が奇跡的に噛み合い,組計にだいぶゆとりが出来た。一応の目標にしていた,デライト3周年までの完全な成功への期待感も急激に高まっている。先日の給湯器の故障ですら「禍を転じて福と為す」というべき結果になりつつある。訳が分からなくなってくる偶然の組み合わせと幸運という意味では金風並みか。
デライトの当努を俯瞰し,概ね以下の優先順位で片付けていくことにした。
中心的当努が新生全知検索整備なのは変わらないが,実装方針がまとまり一気に時間対効果が高まった他自我内検索用合い改良兼自我ページ整備を最優先とし,検索周りを一段落させた後に暗証語周りの機能とエクスポート機能の実装に入ることにした。サービス全体のばら成しを重視した。
“知名問題”の解消により機が熟した輪郭整備兼文書整備も並行して始めることにした。新生全知検索整備と歩調を合わせ,ひとまずは「新生デライトの成立」を急ぎたい。未完の大輪郭整備は特に範囲を決めていないので輪郭整備兼文書整備を含めてしまってもいいかもしれないが,当初の目的が異なるため一応区別しておく。
他の当努については,現状では十分な時間対効果が望めないといった理由で優先順位を下げた。例えばデラング整備も高速化も現時点で必要十分な程度には進んでいる。それ以前の段階での用者のつまずきを真っ先に解消すべきだろう。
デラングを中心とした第四次市場戦略は,デラング整備の優先順位をなかなか上げられないまま第五次市場戦略が見えてきてしまったため上手く活かせなかった。現時点でデラングは十分な実用水準にあり,これ以上追求しても訴求力は極めて限定されるだろう。Markdown の通用力に対抗するなら長期的に構える必要がある。
対 Twitter 戦略を織り込んだ第五次市場戦略の検討を始め,ツイストの無期限停止と来て外部サイトでのデライト宣伝は役割を終えた。現在,デライト宣伝は検索流入中心に原点回帰している。
元々,デルンの実用化以後,理想としていたのは検索流入からの持続的な訪問者・用者の増加だった。司組的にも献典的にも現実が追い付かず,デライトが出来てもそこまで分かりやすく魅力的な状態ではなかったので能動的なデライト宣伝に頼ることになった。
しかし,SNS を利用したデライト宣伝にも限界は感じていた。デライトでは当初から個人知識管理に関心のある日本人層を中心に宣伝を展開していたが,この層が意外と保守的だった。大きな変化を望んでいない多数派に対して,デライトは破壊的過ぎた。実は第三次宣伝攻勢あたりから感じていたことではあったが,限られた時間で自分の手を使う以上,無差別に手当たり次第というわけにもいかなかった。
久しぶりに SNS を離れてみて,本来の理想との距離がそう大きくなくなっていることに気付いた。大輪郭整備や第三次快調期で勢い付く今のデライトがもう少し見せ方や動線を工夫すれば,不特定多数の検索流入からの用者増加にも十分期待出来る。一時停滞気味だった SEE や広告関連の指標も持ち直し,総合的には好ましい状況にある。
そのまま完全な成功までの軌道に乗ってくれれば,それ以上のことはない。むしろ理想的な成功への近道が開けたようなものだ。
当努整理にも反映されているが,最近,無意識のうちにも,(現実離れした)「玄人」に過度な期待をせず,あくまでも一般的なネット用者が利用しやすいサービスを志向するようになっていた。一見まとまりなく見えたこれまでの全ての出来事が一本の道筋になりつつある。
ちょっとした用事を片付け,第二次快調期からまともに出来なくなっていた書類整理も少し進め,あとは大輪郭整備や考え事をして過ごした。
考え事での大きな収穫として,文書整備にかかわるデライト用語体系の方針がまとまった。
デライト用語体系に関しては,従来の輪郭法新用語体系を基礎に,初心者向けの分かりやすい代替用語の導入などを検討していたが,これはやめ,基本的に新用語体系をそのまま踏襲し,説明体系を洗練させていくことにした。
例えば,知名を「輪郭名」,知番を「輪郭番号」などと説明することを考えていたが,元々技術としての固有性・独立性が高い知番に関しては早々に断念していた。「輪郭名」などを補助的に導入するかどうかで最後まで迷っていたのが知名だった。この問題を考える上で,「知名」という用語の妥当性についても再考する必要があった。
「知名」の必然性について直感的な確信はあったものの,言語化が意外と難しかった。それを象徴するかのように,いつからか,輪郭「知名」の選り手は開きっぱなしで,再描出下書き抜控一覧を実装した頃から常に表示されている唯一の輪郭になっている。
知名は単なる「記事名」でも「題名」でもなく,森羅万象に付けることが出来る認知上の名前であり,その性質は既成語では表現出来ない。更に,「輪郭の名前」として輪郭に従属するものではなく,あくまでも「知の名前」として理解される必要がある。そうでなければ,そもそも輪郭が何を目的として何を扱っているのか分からなくなってしまうし,自己目的化しかねない。ここに知名という用語の必然性がある。輪郭とは,知の名前と知の番号を鍵に知そのものを具現化するものだ。
この方向で説明体系を洗練させていけば,代替用語は複雑化を招くだけのものになる。「急がば回れ」で,多少時間はかかってもデライトを正しく理解出来る説明をしていくべきだろう。この点において,特に「輪郭」「知名」「知番」「描写」といった基礎用語には動かしがたい“正しさ”があり,それは十分わかりやすく説明出来る。ようやくその確信が持てた。
最近,他の用者の描出を眺めながら考えていたことがこの解決に繋がっているのかもしれない。
やはり,いまだに冗長な知名を付けてしまう人が多い。どう考えても自分の頭の中でその名前は使っていないだろう,というような,最短知名原則から考えると全知検索を十分に活かせない知名の付け方だ。
無理もないことで,私自身,デルンの実用化間もない頃は冗長な知名を付けることが多かった。最短知名原則に辿り着いたのはつい昨年のことだ。3年前に「知名」を採用したことも無関係ではないだろう。この名前が「知の名前」であると理解するために「知名」以上の表現はない。時間はかかっても,必ず理解の一助になるはずだ。
「輪郭」に関しても「知輪」という新用語に代えることを考えていたが,さっきまで忘れていたくらいの案なので,ここで正式に廃案とした。「輪郭」も「描写」も,広過ぎず狭過ぎず,硬過ぎず軟らか過ぎず,「知名」「知番」との組み合わせに最適な語感だと思えるようになった。
大輪郭整備で辞典などをよく読むことが増えたが,有名な辞典でも意外に雑な記述が多いと感じる。分かりきったような簡単なことでも輪郭に描き込んでおくことには意味がありそうだ。新しい辞典の基礎にしたい。
dlt.kitetu.com
}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}{英語}(600)デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前に認められることはないかもしれない。当時の私は,エヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた。偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年も経ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感を覚えていた。
そして,技術は良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は「世界初のトランスヒューマン(超人間)」になる。全人類の模範となって,人々を未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった。能力はともかく,昔から自分の人間性を全く信用していなかった。
無論,そんな自信は20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そうな人間が自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例を残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔で平凡に生きていけるわけもなかった。
色々な葛藤を乗り越えて,2007年,22歳で「希哲館事業」を始めた。輪郭法を応用した知能増幅技術の開発・管理・普及活動を中核として,知による産業革命と知による民主主義の確立を目指す事業だ。
「希哲館」というのはこの事業の中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった「希哲学」という古い翻訳語にちなんだものだ。
「知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人が意訳し,それがいつの間にか「哲学」として定着したわけだが,日本語で哲学というと,思想家や学者など一部の人のもの,という語感がある。実際,誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも「希哲」(知を希求する人)にはなれる。これからの時代に最も重要で,万人が共有出来る価値観を表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった。
情報技術を中心に知識産業が絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義が世界中で社会分断を招いている今,この観点への確信は当時以上に深くなっている。
見ての通り,希哲館事業の一環であるデライトは当初から意図的に dlt.kitetu.com
というドメイン名で運営している。それも背景を踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会も増やしていきたい。
事業開始後間もなく,運が良いことに裁量の大きいシステム開発の仕事を得られたりして,それを足掛かりに技術的な蓄積を進めていった。
そして,2012年,26歳で輪郭法応用技術「デルン」の実用化に成功した。輪郭法は英語で〈delinography〉としていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来)。
しかし,世に出すことをすぐには考えられなかった。なんとか使えるようになっただけで,製品としては難が多過ぎたし,市場戦略や知財戦略も全く固まっていなかった。構想の大きさが大きさだ。万が一にも失敗は許されない。可能な限り技術としての完成度を高め,万全を期して世に出す必要があると考えていた。
それまでは,デルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルンを利用したサービスで資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルンと周辺技術の開発,応用法の研究,希哲館事業構想の体系化といったことに時間を費す生活が続く。
デルンを世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。
諸々の調査・研究・開発が一段落したところに,ブレグジットやトランプ当選などを巡り社会分断が世界中で顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景に SNS があったことだ。デルンによって SNS を知的交流の基盤に拡張する──長年温めていた KNS(knowledge networking service)構想を活かすならここしかないと思った。
それから1年ほどかけ,デルンの製品化に向けての検討を重ねた。2018年,最終的に,誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルン(Deln Lite),「デライト」(Delite)の始まりだった。
あとはひたすらサービス公開に向けた作業に没頭し,2020年2月13日24時15分,ついにデライトという形でデルンが,ひいては輪郭法が世に出ることになった。
ただ,後に「名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝はほとんどせず,改良を続けてなんとか最低限の品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる。私は35歳だ。
不完全な形での公開に踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正を繰り返した方が良い。そしてこれは正しかった。ソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。
実際,デライトに多大な貢献をしてくれている常連利用者の2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている。内心,誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測は良い意味で裏切られた。
デライトの公開からは,本当に,本当に,色々なことがあった。あまりに色々なことがあり過ぎて,時間の感覚もおかしくなっている。わずか2年前が大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。
ただ,確かなことは,奇跡のように素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望に満たされて,デライト開発は快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会にしっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。
近頃,私は「デライトの完全な成功」という表現をよく使っている。「デライトの成功」と目標を表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。
今のデライトは,利用者が十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益も上がっていない。ただ,それを除けば,ソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題を抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。
本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒,完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている。
生きている内に日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点を思えば,やはり奇跡としか言いようがない。
何より,私はまだ37歳だ。それも,この技術に20年の時間を費した経験を持つ37歳だ。事故や病気でもない限り,あと50年は持ち堪えられるだろう。駄目で元々。命ある限り,私が諦めることはない。
デライトは4月29日から四度目の宣伝攻勢に入っている。この「一日一文」もその一環だ。
本来,一日一文は,その名の通り毎日一編の文章を書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材を選んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め,書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった。
20年の歴史をちょっとした文章にまとめるのには,流石に精神力が必要だった。無数の想い出を行間に押し込んで,無理矢理まとめた。
デライト開発が正念場を迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。
最近,デライトでは「新生デライト」という表現を多用している。簡単に言えば,使いやすく生まれ変わったデライトのことだ。
「デライトの使い方の考え方」や「“知能増幅メモサービス”はなぜいま最も重要なのか」でも書いたように,前例のない目的を持ったデライトには,どうしても特有の難しさがある。
それでも,システムの実用化から10年以上,サービス公開から2年以上経ち,その有用性は十分に実証されている。多くの人が様々なメモツールやブログ,SNS などを行ったり来たりしながらやってきた情報蓄積・発信を,私は10年以上前からほとんどこのシステムだけで実現している。サービス公開後は,デライトでしか出来ないことを見出して使い続けてくれる利用者もいる。
“使える人には使える”ことは分かっている。残る問題は,使える人の少なさだ。そこでいま,多くの人が親しめる快適なサービスにするため,文書整備や機能整備,高速化,そして独自の軽量マークアップ言語「デラング」の整備といった包括的な改良構想を推し進めている。その完成形を「新生デライト」と呼ぶ。
機能整備という点では,すでに使いこなしている利用者にとっての利便性向上はもちろん,他のメモツールなどに慣れ親しんだ初心者が戸惑いがちな機能不足を補うことを意識している。
例えば,輪郭を非公開に近い「未公開状態」に出来る公開設定機能,編集中にリンクしたい輪郭を検索出来る機能,全文検索機能,検索語提案(サジェスト)機能,ファイル添付機能,輪郭を削除する機能,自動ページ展開機能,インポート・エクスポート機能,高度なアカウント管理機能などの追加を予定している。
これまでにない密度で人の頭の中を保存するようなサービスの性質上,いわゆる非公開機能の導入は特に難しい問題だった。Apple や Google のような世界最大級の企業でも個人情報流出事件を起こしているわけで,一事業者が安全性を保証することは不可能と考えている。これに関しては,他の利用者からの閲覧を緩やかに制限する「未公開状態」の導入と,知番をファイル名として利用したローカルでのファイル管理手法を広めることで解決したい。
質問・要望も常に受け付けているので,“世界を変える”新生デライト開発にどんどん参加してほしい。