「テレビ離れ」の次に起こることが予想される現象。
「テレビ離れ」は結構なことだと思う。つまらない流行,しらじらしい煽り,嘘,センスのない広告,そんなものにまみれたメディアに対して違和感や憤りを覚えるのは健全なことだ。
しかし,そんな「マスコミ」と同じ道を辿りつつあるいまのネットに疑問を抱かないなら,それこそ「テレビ離れ」という名の「マスコミ的なトレンド」に乗せられているだけだろう。
いまのネットはつまらない,醜い,ソーシャルだのシリコンバレーだのもううんざりだ,そんなものぶっ壊して新しい世界を作ろう,そういうエネルギーがほしい。最初に理由はいらないし,そんなものは後付けでも構わない。自由が理由に束縛されるなら,それは自由とはいえないから。とにかく,もっとムシャクシャしてほしい。曖昧でも漠然でも,違和感を抱いてほしい。
「犬」にされてしまった狼が,もはや鎖につながれていることに疑問を抱かないように,自由が「システム」に飼い馴らされることが一番恐しい。
不意に「ネット離れ」なんて言葉が思い浮かんだ時,私はそんな気持ちを発散したかったのかもしれない。
それは,ロサンゼルスの犯罪多発地域に住む若者達が,何か言葉にならない希望を託して作り出したクランピングのようなイメージだったかもしれない。合理的な,計算された手段ではない。何の解決になるのか,誰も分からない。それでも希望は種をまくことからしか始まらない。