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{江戸時代の経済 K#F85E/6E2D}

貨幣,金融制度,社会の複雑化によって情報的な取引が主になっている現代社会とはやや異なる。

商品経済が発達し,町人階級が豊かになった一方,百姓からの年貢に経済基盤をおいていた武士階級は貧窮した。

米が準通貨として扱われ、武士は米の量を「石高」として、それを基準に禄(給料)を受け取っていた。武士の禄は「知行」「扶持米(禄米)」「給金」の三種類ある。知行は石高に准ずる収穫量の土地であり,扶持米は米の現物であり,知行のないものに与えられた。

禄はほぼ固定されており,また個人ではなく家に支給され,世襲である。

扶持米を受け取った武士は,「札差(ふださし)」又は「蔵宿」という業者に米の販売を委託して換金した。札差は米を担保に金銭の貸付も行った。

西日本の銀本位制、東日本の金本位制

江戸時代,日本は関西では銀本位,関東では金本位であった。これは関西では石見銀山を中心として銀の産出量が多く,関東では佐渡金山を中心として金の産出量が多かったためであると考えられる。

伏見の銀座

京都・伏見には銀座がおかれていた。

両替屋

現在の銀行に似たものに両替屋があった。金貨・銀貨・銭貨の交換以外にも,預金・貸付,為替,手形の発行を行った。

貨幣の交換比率は幕府による公定があったが,実際には相場上の取引であったために両替商が営まれた。