時間には寿命という上限があり,贅沢さえ言わなければそう高いものではない。1億円の貯金があれば死ぬまで働かずに食いつなげる人はいるだろうし,それが10億円だろうと100億円だろうと生活の質は変わっても時間が増えることはない。この飽和状態を維持しつつ,いかに「金を稼ぐ時間」を減らせるか。これが時間稼ぎの肝である。
今日は外で今後のことについて色々考えた。
デライト再公開を待たずに営業を始めることも検討したが,やはり営業をするにしてもデライトの有無は決定的に大きいため,とりあえずはデライト再公開に専念しておくことにした。そもそも,デライト営業自体がこのことを踏まえて考えたものなので,再確認をしただけだった。
帰ってからの作業に神経を注ぐため,外ではあえて気を抜いて過ごしたが,帰ってみると今後の計画調整に多くの時間を使うことになった。
まず,明後日の25日を今月最後の内務日と仮定していたが,これを明日の24日に早め,28日も内務日とすることにした。これであと2日は丸々開発に使える。
いずれにせよ,背水の陣であることに変わりはない。これで駄目なら悪運が尽きたと思うしかない。
今日は金と時間についてもよく考えた。時間は金で買えるものだが,そう高いものではないし,天井も低い。そして,金は多かれ少なかれ時間を使って稼ぐものでもあるから,時間稼ぎには,いかに「金で買える時間」を飽和させつつ「金を稼ぐ時間」を減らせるか,ということが問題になる。
私は長年これを実践してきた。具体的な金額で考えてみると,日本で生活していて多少拠り所のある日本人なら1億円が「飽和」の目安になるだろう。これを年収に置き換えてみると,確かにそんなものだ。
これまでどれだけ膨大な時間を稼ぎ出し,希哲館事業のために使ってきたことかと思えば,時間の絶対量はもはや問題ではないと感じる。有ると思えばあっという間に無くなるものだということを嫌というほど知っているし,稼げる時間も尽きつつあり,何よりこれ以上成功を待てない。