リベラルはなぜ非少数弱者に冷たいのか

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
08月08日 00:16
下描き希哲13年(2019年)
08月06日 23:08
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

2016年英米政治危機ブレグジットアメリカ大統領選挙)以来,世界中で極右勢力が増長し,リベラルとの対立を激化させている。

極右支持者を代表するのは「没落中間層」であるとよく言われる。もちろん一様ではないが,この3年間,様々な議論を見ていて,確かに極右寄りの有権者にはいわゆる「普通の人」が多いという印象を受ける。この「普通の人」「普通のアメリカ人」「普通の日本人」等という自称は,最近の保守層に好まれているようでもある。

知識産業が勃興するとともに工業が衰退する「脱工業化」という現象の中で,真面目に働けば多数の人がそれなりの豊かさを手に入れられるという社会は終わった。高度な知識技能を持つ者にが集中し,かつての中間層機械外国人に職が奪われることを恐れている。この「非少数弱者」の問題は,ここ20年ほどの間に急速に深刻化した。

人間寛容になるには余裕が必要なわけで,その余裕が多数派から失なわれたことで少数者への差別が心理的に正当化されやすい状況が生まれている。保守リベラルの対立における一つの大きな部分は,間違いなくここに起因している。

当然この問題はリベラルの間でも認識されているはずなのだが,どういうわけか,リベラルは概して「非少数弱者」に冷たい。少数者権力者から守ることには熱心だが,少数者ではない弱者にはまるで無関心のような人が多い。その無神経さは,明らかに保守層を逆撫でしている。個人的にそれがずっと不思議だった。

これは,人間が思想世界観を変えることの難しさなのかもしれない。非少数弱者の問題が浮上したのは,せいぜいここ20年くらいのことで,それも,誰もが無視出来ない明らかな現実として突き付けられるようになったのはわずか3年前のことだ。今の中高年はとっくに思想形成期を終えている。

後ろを振り返って軌道修正出来るような余裕を持った大人は少ない。学生時代のあたりで進路を決めたら,後はみんな目先の仕事で精一杯だ。いま政治対立の先鋒にいる人々も,後ろを振り返れない状況にある。振り返ればその隙に攻め込まれるという恐怖があるからだ。

自分の決めた道を信じてひたすら進むしかない。そんなひたむきさが今日の社会分断を招いているなら,何とも哀しいことである。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
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