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{研究の価値 K#F85E/5B28-B4E0}

科学研究費助成事業科研費)など,学術研究予算助成にまつわる議論でよく目にする意見として,「役に立たない研究にも意義がある」という趣旨のものがある。

特に民主党政権時の事業仕分けでは,研究の有用性について各方面で議論が紛糾した。蓮舫さんの「2位じゃダメなんでしょうか?」という言葉をいまだに記憶している人も多いだろう。もうあれから10年経ったが,「役に立たない研究」に対する世間の視線は依然として冷たいままだ。

事業仕分けの当時から私は,研究者側にある理論武装の弱さが気になって仕方なかった。というのも,全ての知識は最終的には,何らかの意味での有用性に結びつくからだ。国家は国家にとって有用だから特定の研究を支援するわけで,当然そこにはある程度の判断基準がある。

「役に立たない研究にも意義がある」ことは「役に立つ研究に意義がない」ことを意味しない。全ての研究に等しい意義があるなら,限られた予算を配分する上では役に立つ研究を優先せざるをえない。相対主義利益追求と相性が良い,というのは古代ギリシャソフィストたちが示した古典的教訓だ。

だから,研究者たちは自分たちの研究を「役に立たない」という前提で語るべきではない。これは完全な悪手だ。社会に研究の重要性を認知してもらいたいなら,「役に立つまで時間がかかる」ことや「地味で目立たないが役に立つ」ことに説得の力点を置く必要がある。ここをなおざりにして,「学問の崇高さ」などを観念的かつ情緒的に語ってしまう研究者が多い。それだけの熱意を持っているなら,公の支援が無くても在野でやればいいのではないか,と言われた時にどうするのか,他人事ながら心配だ。

(1){あれ}