新着確認機能実装を一段落させた。10日12歩の修正とともに出振るい・手定め済み。
新着確認機能により輪郭一覧の更新状況がぐっと把握しやすくなった。サービスの性質上,自動更新など気が散る実装を避けてきたが,あちこちページや画面を切り替えながら作業していると,輪郭一覧の鮮度が気になることが多々あった。必要以上に輪郭一覧を更新する癖がつく問題もあった。
@DG.upd
に集約し,他機能からも輪郭一覧更新を促すなどの目的で利用しやすくなっている。filter
をかけて使っている。新生デライト開発の当努としての新着確認機能実装は優先順位が低く,最後の方になるかと思っていた。最近になって,メニューのアイコンが使えること,輪数は必要ないこと,交差監視が使えること,と立て続けに実装上の気付きがあり,高い時間対効果・負荷対効果が望めるようになっていた。
マイクロブログなどの投稿数と異なり,1輪の長文もあれば10輪の知名のみの輪郭もあるのがデライトの輪数なので,文脈を限定せず,ましてや2桁程度の表示幅では情報量の尺度として機能しないことに気付いた。
全知検索窓固定機能で採用した交差監視が使えることに気付いたのが駄目押しだった。無駄な再読み込みを抑制する効果も望めるとはいえ,多少なりとも立求が増える機能なので,悪影響の懸念が拭えずにいた。交差監視によって無駄なく効果的に待機状態を制御出来る見通しが立った。流石に高速化までは行かないにしても,十分な低負荷実装になった。
デラングはデライトにとっては描写用の軽標記言語だが,では,デラングにとってデライトとは何か,という問題があった。デラングを単なる「デライト記法」でなく独立した言語として扱うのであれば,これは無視出来ない問題となる。
具体的には,デラング文書の書き方などに影響してくる。デライトの「使い方」の一部としてデラング文書を参照する人にとって,その説明にデライトが出てくることはごく自然なことだが,独立した言語としてのデラングについて知りたい人にとってはそうではない。かといって,いちいち前置きしていたら読みにくいものになってしまう。
そこで,デラング文書の最初の方でデライトを「参考実装」と定義しておくことにした。どの道,デライト・デラング間の関係については説明する必要がある。
Markdown を筆頭に軽標記言語が注目されるようになったこともあり,デラング整備が進むにつれ「デラング」という根想への確信は深まる一方だ。デライトの市場戦略にとって大きな意義がある。ここで頭の整理をしておきたかった。
これまで輪符の輪結装体 は 1px #999 の破下線にしていたが,通常の線の色は lightgray,引用部区など WhiteSmoke 背景の上では silver と,かなり薄くした。強調記法に単独で囲まれた輪符に関しては,silver の一本下線にし,少し目立つようにした。
これにより,輪結の重要性に応じてメリハリが付くようになり,重要性や変調をさりげなく示唆したいような場合は軽い強調,はっきり強調したい場合は重い強調というように,強調記法と組み合わせた「強調輪符」の記法が確立した。
輪符自体を強調するのではなく,参照名を強調したいのであれば内側に強調記法を置くことも出来る(例:軽い強調,重い強調)。
輪符の表示をどうするかという問題は,デルン最初期からの課題だった。
最初は重要な輪符を少しずつ貼り付けるような使い方しかしていなかったため大きな問題ではなかったが,いずれ文中に輪符が増えてくれば,重要性によって表示し分ける必要が出てくる,というのは当初から想定していた。元々,入力道手の機能や自動補完などで文章のほとんどが意味符号になるような技術として構想していたからだ。
実際,デライト以後,私自身の慣れとデライトの品質向上によって自然と文中に輪符が増えてきた。現在,私の描出ではほとんどの語が輪符であり,輪結になっている。こうなると,閲覧者にとっては,どこが重要な輪結なのか分からない上に,中途半端に目立つ輪結だらけで見にくいという問題が出てくる。
もう一つ,輪符に関する問題があった。輪符の知名を変えて参照したということが分かりにくいという問題だった。輪符の知名を変えたということが読み手にとって重要なことがあるが,これまでそれを表現する良い手段が無かった。
どちらの問題も,少し前までは自動的に解決出来るのではないかと考えていた。例えば,前景輪にある輪符を自動的に強調表示したり,知名と異なる名前で参照された輪符を斜体にするなどということを考えていた。
ただ,これは描出経験を積むにつれ無理があると感じるようになった。
まず,時として膨大になる前景輪に一致する輪符をいちいち見つけるのは現実的ではない。見えている10輪に限定するのも不自然な見え方になるだろう。輪符の参照名をいちいち照合するのも軽い処理ではない。
描写に隠し文字列でも埋め込めば負荷軽減にはなるだろうが,依然として無視出来ないコストではある。何より,出与えの一貫性や保守性に深刻な影響を及ぼすことは目に見えている。
それ以前に,自動装体を適用すべきではない場合が多々あることも分かってきた。全知検索との兼ね合いも考えると,文中で目立たせたい輪符と引き入れたい輪郭はむしろ一致しないことの方が多い。
知名に関しても,例えば,「知る」という輪郭を「知って」のように語形を変えて参照することも増えてきた。明らかに自動装体にすべきではない,瑣末な場合が多々ある。
最近では,デラング整備の進展もあり,これは手動装体,つまり何らかの記法で対応すべきなのではないか,と考えるようになっていた。
こうした問題の解決に向けて本格的に考え始めたのは,まさに今日,昨日の日記を付けていた時に,「希哲15年6月20日の開発」という輪郭を「開発では」として参照した時だった。この「開発」が,一般的な意味での開発なのか,特定の日の開発を指しているのか,一見して分からない。これは以前からずっと気になっていた問題だが,そろそろ何とかしたいと思った。
重い強調を使ってみたりもしたが,重過ぎる。そこで軽い強調を使ってみることにしたが,軽い強調は欧文向けで,斜体・伊体に依存した装体は避けたかった。ここで,強調輪符の下線を調整することを考え始めた。
強調輪符をいかに目立たせるか,ということを考えているうちに,そもそも輪符の輪結全般が目立ち過ぎていることに気付いた。というより,これまではこの輪結装体が軽い参照も重い参照も表現していたので,気付いてもどうしようもなかった。ここで,通常の輪符と強調輪符でメリハリを付けることを考え始めた。
破線は太くすると環境によって全体的に大きくなり短い語では破線らしく見えなかったりするため,一本下線にすることを考えた。もともと点下線・破下線・一本下線で輪結の強さを表現した装体で,一本下線は前景輪のために取っておいたが,前述の理由で未使用だった。ここで,輪結装体に関する問題全般と繋ってきた。
通常の輪符に関しては,いっそのこと下線類を無くしてもいいかと思ったが,流石に文字色だけでは心許無い。視線の流れを遮ることなく,視線を止めれば容易に輪結と視認出来る按配を理想として,破下線の色を極力薄くすることにし,白背景なら lightgray,引用部区など WhiteSmoke 背景の上では silver が最適と結論付けた。
(Firefox で調整していたためもう一段濃い silver と darkgray の組み合せで決めかけたが,他の環境では破線密度の差でまだ濃過ぎるように見えたため,まとめ中に修正)
強調輪符の一本下線に関しては,薄い色では弱いように思え gray を試したが,明示的に下線を引きたい場合のために下線記法を導入することも考えているため,兼ね合いであえて silver にしておくことにした。
まずは CSS のみでの出振るい。only-child で複数の輪符には効果が跨らないようにしてあるが,テキストノードは含まれうる。本来は一つの輪符のみを強調した時の効果であるべきだが,とりあえずは十分だろう。
開発記録に書いておく。
昨日の一日一文で「高度非言語思考」という言葉を久しぶりに使ったので,今日はこれについて少し書いてみよう。
人間にとって,言語と思考を切り分けることは難しい。ある程度高度な概念を扱う思考をする時,言語は自然に伴なうものだ。
他方,言語が無ければ思考出来ないのかといえば,そうではないのも明らかだ。言語獲得以前の幼児にも猿にも思考能力はある。こうした,言語を必要としない程度の非言語思考を「原始非言語思考」と私は呼んでいる。
通常は言語によって為されているような高度な概念を扱う非言語思考,これがつまり「高度非言語思考」だ。
私は,デライトの基礎理論である輪郭法と,それを中核とした希哲館事業構想を17歳で閃くが,この時に実践していたのが高度非言語思考だ。
なぜそんなことを始めたのかと言えば,言語の制約を越えたかったからだ。当時の私は,技術以上に哲学に関心がある少年で,様々な思想の対立や現代思想の停滞を乗り越えるには,「言語思考」の速度が遅過ぎると思っていた。
つまり,概念に名前を付けたり,文章的に整理するのではなく,直感に従って,手で組み立てるように思考を組み立て,言語表現については概ね形が出来上がってから後付けすればいい,と考えた。その結果が「閃き」だったわけだ。
デライトの使い方を理解している人なら,この思考法がデライトにそのまま反映されていることに気付くだろう。この頃の私は,まさに「あれ」だけで思考していた。
私にはもともと,「論理共感覚」と呼ぶ不思議な能力があった。論理と視覚・触覚が連動しているような共感覚(異種連動感覚)だ。子供の頃から,論理というものを,目の前にあるモノを目で見て,手で触るように扱えた。つまり,頭で考えるというより,感じるように思考を組み立てることが出来た。
論理共感覚は,高度非言語思考を可能にすると同時に,論組と強く結び付くことになった。ごく直感的に論組を組み立てることが出来たからだ。「論組」という翻訳語自体,プログラムの本質が論理にあるという感覚に基いて造ったものだ。
そして,論組による実装を最良の知の裏付けとする考え方を「論理実装主義」(論理実証主義のもじり)と呼ぶようになった。デライト開発はまさにその実践と言える。
私は,高度非言語思考,論理実装主義から極めて独特な思想体系を構築することになるが,当然ながら一文で書き切れることではないので,折に触れて少しずつ書いていこうと思う。
希哲15年4月14日,本格的にデライト高速化に入る前の現状整理について,ここに記録しておく。
2月後半は姪を預っていたこともあり開発に集中しにくかったが,3月の頭からデライト開発はいわば「快調期」に入った。この想定外の快調でそれ以前の計画が良い意味で狂うことが多くなり,3月8日からは計画にとらわれず直感に従って作業を進めていくことにしていた(日記)。
この快調によって,より高い完成度での新生デライトを目指すことが出来るようになり(第三次デライト市場戦略),3月20日,収益目標達成の努力期限を5月1日に延長,28日にはこれを必達期限として,同時に短期集中生活に入った(日記)。短期集中生活は今月10日に終え,やり残した待っ読ボタン実装は昨日一段落した。これが「デライトこれまでのあらすじ」といったところか。
少し落ち着いたところで,次の作業に入る前に現状を整理することにした。収益目標達成期限まで残すところ半月,作業の優先順位を見極める必要があった。短期間にこれだけのことがあると,流石に頭の中も混乱気味だ。もやもやしたものを晴らしておきたかった。
現在のデライト開発の速さと予測不可能性を考えると,やはり中途半端な計画は足枷にしかならない。「黄金循環高速化」としてのデライト高速化を中心に,機能追加,文書整備,宣伝等々,全てを臨機応変に巻き込みながら片付けていく,というのが現状での最適解と結論付けた。
デライトにとって最大の付徴は輪郭法であって,枝葉末節の機能ではない。それを磨き上げ,伝わりやすくする作業でもある。
作業項目としての「デライト高速化」を意識し始めたのは2月17日の開発からだった。当初は機能追加よりも優先し,文書整備と並行させることを考えていた。その後,快調期に入ってから機能追加の優先順位が上がり,特に Dex によるデラング整備を優先するようになっていった。
今月頭の時点での大まかな見通しは,10日までに必要な機能追加,20日までに新生デライトの仕上げ,文書整備を終え,21日から第三次宣伝攻勢を開始,並行してデライト高速化を進める,というものだった(1日の日記)。
ところが,@icl() 周辺整備をきっかけに入った小理腑が,1〜2日という想定よりも長引き(6日間),上旬がほぼ潰れた。更に,これが思わぬ体感表示速度向上に繋がったことで,一気に高速化への持ち辺が高まった。この頃から,どちらかといえば後回しにするつもりだった高速化を最優先にすべきではないか,と考えるようになっていた。待っ読ボタン実装を終えた昨日の時点でほぼ腹が決まっており,最終確認のためにこの現状整理をしているわけだ。この判断は収益目標達成の成否に直結するだろう。
デライト高速化の主な意義としては,用者体験の向上,SEO,負荷軽減の3つを当初から見込んでいた。
小理腑後は,これに開発効率・描出効率の向上という意義が加わった。手定め時間の短縮にもなるし,より描出の質を上げ量を増やすことにも繋がるだろう。頭では分かっていたことだが,速いデライトを体験して実感が出てきた。この「先行体験」をさせてくれた小理腑の影響が大きい。
Dex 以後,デラングを活用することにした文書整備にも寄与することになる。
高速化に並ぶ大きな作業分類であるデラングを含む機能整備(機能追加),文書整備と比べても,やはり高速化が優位だろう。何より,高速化は技術面でも設計面でもデライト向きであり,この中で最も「伸ばせる」ところだ。本領発揮と言ってもいい。
機能追加が訴求するかどうかは当たり外れが大きい。開発者が求めているものと用者が求めているものは異なることが多いが,用者が求めているものと必要としているものも往々にして異なる。要望に応えても,思ったより必要なかったということもある。これは用者が馬鹿だからではない。開発者ですら,思ったより要らなかった,要らないと思っていたが意外と便利だった,ということは多々ある。人間そんなものだ。それでも,十分な時間があれば「数撃ちゃ当たる」で成功確率を高めることは出来るが,今はそうではない。
そもそも,現状デライトの活動用者は極端に少なく,動向を分析する標本にもならない。まずは入り口の手前にいる人達を呼び込む必要がある。そのためには,一部の用者しか使わない高度な機能よりも第一印象が重要であり,これに寄与するのは高速化だ。
また,機能追加には程度の差こそあれ通信や処理上の負荷が伴なう。予定している機能を現状のデライトに全て詰め込めば明らかに重くなるのは目に見えている。
文書整備に関しては,ある程度機能整備が済んだところか,少なくとも機能整備と並行させなければ作業効率上の問題がある。これだけ仕様変更・機能追加が激しい状況でなまじ文書を追随させても修正回数が増えるだけだ。先の理由で機能整備を後回しにするなら文書整備も後回しにするほかない。
現状,「使い方」などの文書は離立補完を最後にほとんど更新しておらず,実装との乖離が激しくなっているが,逆に言えば,無駄な修正作業が省けたということだ。新生デライトが熟れるまで放っておくのも一つの手だろう。
宣伝においても体験を重視するようになる中で,相対的な重要性が低下していたということもある。「良い文書のある悪い体験」よりは「悪い文書しかない良い体験」の方がマシだ。
「黄金循環」は,1月から再認識し,2月までよく言及していたが,3月からは快調期の目まぐるしさで横に置いていた。
振り返ってみると,2月20日の日記で高速化との結合を予期するようなことを書いている。ただ,それほど強く両者の結合を意識していたわけではなく,黄金循環高速化の手段も明確ではなかった。「全知検索の改良」と言っても,基本的な部分で問題の多かった希哲13年頃に比べ,今では範囲が広過ぎる。
快調期以後,計画ではなく直感に従うという戦法で難局を上手く切り抜けてきたが,「次の作業」を意識するようになった短期集中生活終盤あたりから,作業の軸になるものが欠けていると感じていた。
ここで高速化と黄金循環が結合してその軸として機能し始めるのだから,劇的な展開と言うほかない。ここまでの経験が全て一つに繋がったことになる。