アメリカの原爆投下責任について

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
08月25日 02:22
下描き希哲13年(2019年)
08月25日 01:39
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

つい最近,あいちトリエンナーレ2019騒動終戦の日,そして昭和天皇の苦悩を伝える資料とされる『拝謁記』の公開,といった出来事が続き,いわゆる「戦争責任」について考える機会が増えた。

その中で,アメリカによる日本への「原爆投下責任」については比較的触れられることが少ない。私は,この問題は有耶無耶にしてはいけないと考えている人間の一人で,明確に「アメリカの謝罪」が必要であると考えている。ただ,この種の議論はとにかく誤解されることが多いので,少し問題を整理しておきたい。

まず,原爆投下についてアメリカが謝罪するべき理由は,ただ一つ,「将来に渡って核兵器の使用が正当化されることがあってはならない」からだ。裏を返せば,アメリカが謝罪しないということは,市街地に核兵器を落とし,民間人を大量に虐殺するような行為が,「状況によって正当化される」ことを認めていることになる。

だからこそ,軍事大国がいまだに核開発核武装を止めていないわけで,これはそのまま核廃絶の問題にも繋がっている。一方では「核兵器は正当に使用しうる」という論理を黙認し,一方では核兵器の恐しさを訴える,というのは偽善以外のなにものでもない。本気で核廃絶を目指すのであれば,「核兵器の対人使用はいかなる理由があっても正当化されない」という国際的な合意が必要であり,それはアメリカの謝罪なくしてありえない。これ以上論理的に明白なことはないが,アメリカの顔色をうかがってそれを言えないのが今の国際社会の現実だ。

従って,例えば,もう過ぎたことだから蒸し返さないようにしようとか,そこまで自分は怒っていないとか,日本で言われがちなことと言うのは,私に言わせれば全て「想像力不足」の産物だ。この問題は「終わったこと」ではないし,「気分」の問題でもない。

もしこの先,日本核武装をすることになり,万が一アメリカと戦うことになった時,「悲惨な戦争を終わらせるため」なら自国の市街地に核兵器を打ち込まれても文句は言えない,ということをアメリカ人が理解した上で謝罪しないと言っているのかという,ごく単純な「の通し方」の問題なのだ。もちろん,それは日本が三度核兵器を使われうるとしても謝罪させないのか,という問題でもある。

私が「原爆投下責任」にまつわる議論を見ていて問題だと感じるのは,ほとんどの人がここまでのことを考えて是非を論じていない,ということだ。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
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