そろそろ個人知識管理(PKM)ブームが起こるんじゃないかと思いながら過ごしていたが,Notion でも起こせないならもうデライトが起こすしかないという感じになってきている。
昨日,休まず深夜まで開発作業を続けた上の寝不足で,日中は流石に疲労感を覚えた。
疲れの中で,デライトを取り巻く状況などについてぼんやり考え事をしていた。
最近,デライトの外でデライトが言及されているのを見かけることがちょくちょくある。自分が思っている以上に,デライトに興味を持ち,デライトについて考えてくれている人が多いことに,嬉しいような,申し訳ないような気持ちになる。「面白そう」と関心を示してくれる人の多さはもともとだが,いまだに,ほとんどの人が壁を感じているようだ。
登録用者数,検索流入,デライト宣伝への反応などを総合して推定するに,「個人知識管理に強い関心を持つ層」におけるデライトの認知度はすでに高い。換言すれば,いまデライトを使ってくれそうな人の多くがすでにデライトを知っている,ということだ。やはり N10K 騒動あたりからだろうが,扇情的な話題だったにもかかわらず好意的な反応も多かった。しかし,その大半はデライトを使わず,活動用者は極端に少ない。
いまデライト開発は,「快調」を越えて「怪調」とでもいうべき状態にある。半年前には想像も出来なかった水準に,想像も出来なかった道程で到達している。要因は色々考えられるが,用者が少数精鋭で,手間も金もかからなかったことは間違いなく一つだ。ここまではそれで良かったが,当然,収益目標達成のためにこのままではいけない。
ずっと遠巻きに様子を見られているようなこの奇妙な状況について考えているうち,久しぶりに「ダーウィンの海」という言葉や白熊作戦を思い出し,吉野彰氏の『「ダーウィンの海」についての一考察』を読み返した。「関心はあるけど買わないよ」というのは,まさにいまデライトが受けている「面白そうだけど使わないよ」という反応のことだ。もう少し早く越えられるだろうと思っていたが,結局「ごく標準的な期間」という15年にも近付いている。
ふと気になったのは,ここでいう「神風」だ。デライトにとっての神風とは何か。去年の今頃,9月9日の日記にも似たようなことを書いているが,Roam Research なり Notion なりが牽引する「個人知識管理ブーム」を期待していたものの,それも微妙なところに落ち着いてしまった感があった。
しかし,ここでデライトが成功すれば,いまは中途半端に見える個人知識管理の盛り上がりも神風だったと振り返られるだろう。結局,神風がデライトを成功させるのではなく,デライトの成功が時代の流れを神風にするのだ。これに気付いたことは収穫だった。
新生デライト開発は,いまデライトに関心を持っている人達にとっての障害を取り除いていく手段でもある。その層には収益目標達成に十分な質と厚みがある。やはり,新生デライトの完成を急ぐよりほかはない。
夕方から疲労感も抜けてきたが,また夜更かししそうなので開発作業は早めに切り上げた。
……にもかかわらず,この日記を書いていたら25時を過ぎてしまった。