月の記録。
希哲13年7月17日から,日記を日付のみの知名から「(日付)の日記」という形式に変更したことに合わせ,希哲13年7月分から「(年月)の月記」という形式で書いていくことにした。
今日は事務的な用事を片付けに外出するつもりだったが,起きるのが少し遅くなったのと微妙な天気だったのでやめた。
特に客体表現化によってデラング実装・設計が急速に洗練されている。第一次快調期の中心には Dex があったが,第二次快調期の中心は客体表現になるのかもしれない。振り返ってみて,デライト開発の快調がほとんど最初からデラングに支えられてきたことに気付いた。
昨日で気持ちにも大きな区切りがついたので,これからはもう少し調和的な生活を心がけたい。再開してすぐ中断した一日一文などの日課も取り戻したい。
とりあえず期限目標も無くなったので,渡括記法(埋め込み記法)の実装までデラング整備を進めたら,昨年からずっと引きずっているまとめ作業を片付けることにした。
ネット環境整備やドメイン名完全集約についてのまとめ作業もあるが,12月3日分から一日のまとめが完結しない日が続き,1月14日頃から開発記録もまとまらない期間があった。月記の穴埋めもしたい。
今日までに途中のまとめ作業を片付けてから明日の希哲館創立14周年を迎えようと思っていたが,順調に改善している生活律動のため,無理せず来月に持ち越すことにした。雑多な考え事で頭が一杯だったところに,たまたま被った第49回衆議院議員総選挙のせいでまた一つ重い考え事が出来てしまった。
新生デライト開発の再開とともに朝の日課も再開するつもりだったので,ネット環境整備とドメイン名完全集約についてのまとめ,月記の穴埋めは,朝の輪郭整備で少しずつでも片付けていくことにした。
結局,金風が希哲館事業14年目の最後を飾ることになった。15年目でデライト収益目標達成を果せば,それはそれで綺麗な展開だ。
私の政治思想は明快に既成の政治勢力と一線を画しているが,これは選挙権を得た20歳の頃には概ね固まっていた。従って,既成の政党・政治家を積極的に支持することはない,という立場で一貫している。ただ,この立場を正しく投票行動に反映させるのは難しいとも感じていた。
これまでの選挙を振り返ると,ほぼ野党への消極的な投票(消極的野党支持)か棄権のどちらかだった。黙って投票するなら白票よりは消極的野党支持の方が有効だろうと思っていたし,希哲館事業の成り行きの方が日本にとって重大な政治問題であるという考えで,寸刻を惜しむような時期には堂々と棄権してきた。
今回白票を投じることになった理由としては,デライト上で投票記録を取ることを考えるようになっていたことが大きい。これまでは,投票に行ったとしても適当な野党や野党候補に入れるだけだったため,投票先に関しては記録もしていなければほとんど覚えてもいなかった。
しかし,希哲館執務長としての投票行動を公式に記録・公開することを考えると,消極的支持とはいえ特定政党や特定候補者の名前を出すことは誤解を招きかねず,極力避けたい。棄権にも政治参加を否定するような別の誤解を招く可能性がある。となると,白票を投じるしかないことになる。
こう考えて投票を終えた後で,第25回参議院議員通常選挙時のように具体的な投票先を明かさない消極的野党支持という選択肢もあることに気付いたが,それにしても誤解の余地はあり,不透明感は拭えない。結局,白票が一番潔い。「希哲党」と書きたい気持ちもあったが,今は迷惑行為にしかならないだろう。
公開を前提とするなら,白票にも希哲館の政治的独立性を表明する手段としての意義を見出せなくもない。希哲党結党が実現するまでは,この「白票原則」を採用することにした。長年すっきりしない問題だったので,これはこれで大きな収穫だった。
新生デライト開発を再開する前に,中途半端なネット環境整備とドメイン名完全集約についてのまとめ作業を終わらせようとネット環境整備の方から着手した。
ネット環境整備に関しては安定性に若干の課題を残したまま一段落としたが,折角ここまで整備したのに惜しく思えてきた。もう一息なので,この不安定性を早めに解消してしまうことにした。
もう25日なので,デライト収益目標に関しては今月中の達成を断念し,11月に腰を据えて取り組むことにした。
新生デライト開発に没頭出来るよう,今のうちに月記の穴埋めもしておきたいと考えると,今月は整理・整備・まとめの月と割り切るべきかもしれない。むしろその方が希哲館創立14周年を気持ち良く迎えられる気がする。それでも収穫は多過ぎたくらいだ。
やはりまだ頭の整理をする必要があると感じたため,ざっと9月の月記を付けながら振り返りをした。金風の衝撃で忘れそうになっていたが,こうしてみると,実はそれ以前から色々な進展があり,それなりに手応えを得ていたことが分かる。
月記は6月から付けていないと思ったが,よく見ると1月から3月も付けていなかった。思えば,そんな余裕も無かった。少し早いが,今年も恐ろしく濃密で急激な年だったなと思う。
特に金風は,いまだに希哲館事業全体の中でどう位置付けるべきか分からないところがある。楽観的に見れば,デライトの成功,あるいは希哲館事業の成功を決定付けた出来事であるような気もするが,まだ手放しで喜べるほどの確信が無い。
引き続き10月中のデライト収益目標達成を目指し,それが失敗しても来年1月までは1ヶ月ずつ延長可能とすることは決めているので,当面やることに迷いがあるわけではない。ただ,それに取り組む上での心構えが定まっていない。
物も心も,一つ一つ,じっくり整理していくしかないのかもしれない。この日記を書いているうちにも少し気持ちの整理が進んだ気がする。
今,限りなく100%に近い成功への確信はあるが,それが油断という失敗要因になりうる。少なくとも二重三重の保証がある120%の確信でなければ,それを確信と認めるわけにはいかない。結局,「確信出来る」が「確信していい」になるのは収益目標達成を果してからだ。