希哲13年3月27日

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
03月28日 00:43
下描き希哲13年(2019年)
03月27日 04:44
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

引き続き睡眠調整。

作業の進捗はさほど悪いわけでもないが,やはり不安は残る。

持久戦を意識して節約を考え始めた。

一覧

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先日考案した 自動輪結(auto linking)を実用出来る環境が整った。例えば,素譜(ソースファイル) example.u があったとすると,_kn run example.u と駒手(コマンド)を打つだけで依存関係を自動解決して換配(コンパイル)・輪結(リンク)・実行される。C++ 級なのにスクリプト言語並の手軽さ。

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ただ,こういう性格でなければ「希哲館事業FAAMG を越える規模に成長させる」なんて発想自体が出てこないのも確かだと思う。単に自分の金銭欲を満たしたいだけならもっと楽な道を選ぶだろう。

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希哲館事業FAAMG を越える規模に成長させても,自分の報酬はせいぜい平均的なサラリーマン程度でいいという感覚の持ち主なので,金を稼ぐということに関して個人的な動機が異様に弱い。これがよくないのかもしれない。理念だけで持ち辺(モチベーション)はついてこないからな……。

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まあ簡単な話,「稼げるようなことをやろうとしない」だけなのだが……。

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優秀でも金勘定だけが苦手という人はあるが,私の場合そういうわけでもない。やってみると,自分が嫌になるくらいテクニカルな計算が出来たりする。

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情報収集能力問題解決能力先見性分析力行動力……特に何かに欠けているわけではないのに,「金を稼ぐ」ということに関してなぜここまで困難を抱えているのかと思うことはある。

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そういう意味で V 言語は恋愛物によくある「ずっと意識していなかったけど最終的には結ばれる幼馴染」的存在かもしれない。

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ちょっと乱暴に言ってしまうと,多くの人が「豊富で整理された標準ライブラリのある C++」程度のことを求めている自分に気付かず,散々遠回りをしてきたのがここ20年くらいの論組(プログラミング)言語の歴史だと思っている。

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V 言語が絵に描いた餅に終わって,その余韻が残っているうちに を売り込む,というのも十分現実的なシナリオだ。

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実は多くの人が,内心では VM だの GC だのゴテゴテしたものはいらないから,とにかく見通しがよくて速くて直感的に使えるライブラリの揃った言語が欲しいと思っていたのが V への期待から見えてくる。とりあえずは x64 で動けばいいだろとか,これまでの言語界にあった「見栄」の部分を斬って捨てているのは良い。実物がどうかは分からないが,これだけでも意義はある。

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V 言語,物凄く大きく捉えると方向性として にちょっと被っていると言えなくもないところがあって,こういうのが話題になるということは の需要もそれなりにあるな。

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渡換(トランスコンパイラ)という考え方は昔からあるが(C++ も初期はそうやって実装されていた),やっぱり舞覧(ブラウザ)さえあれば動く JavaScript の存在は大きい。

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論理」というのは経験的に正しいとされている思考規則のことであって,それにどれだけ適応しているかには個人差がある。論理的にしか考えられない人もいれば,どれだけ考えても論理的な結論を導けない人もいる。

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選り人(エリート)の中でも特に頭が切れる人の話なんか聞くと,人間の脳というのはそもそも論理的に出来ているものだと思っている節がある。自分は特に意識しなくても論理的に考えがまとまるし,論理的に話す人しか周囲にいない環境で育っているからだ。

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大衆」が初歩的な論理学ぐらいは理解出来ると思ったら大間違いだ。そこに選り人(エリート)の奢りと怠慢がある。大衆に信用してもらいたいなら,それこそ猿でも間違えないくらい丁寧に,しつこいくらい丁寧に簡単な言葉で表現しなくてはならない。それをしないからトランプのような人物に浮気されるのだよ……。

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マスコミ不信の根底には経済格差とそれに伴う教育格差があり,選り人(エリート)育ちのマスコミ側が「大衆目線」で情報発信出来なくなっている,というのが私の持論だが,モラー特別検察官の「トランプは灰色」という結論が「潔白」と読み違えられ,リベラルが「トランプ支持者は簡単な論理も理解出来ない」と呆れているのなんか,また良い例が……。

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いまこんな作業の邪魔になることを思いつくのは全然 OK じゃないけどな。

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また変なところで新しい扉を開いてしまったな……。直近10ツイスト程度で素朴 OSS の歴史に終止符を打ってしまったかもしれん。

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根本的な話,哲学者ですら世界を語るのを諦めている時代に,そんなことが可能なのかというと,それを可能にするために発明されたのが輪郭法であり,その応用技術としての知機なのだと答えることが出来る。情報爆発による個人知の断片化に抵抗するための知機が人間の脳と結び付いて自己組織化を始めている。

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そもそも知機(knower)というのが,勘報機(コンピューター)を人間の脳に近付けようというものなので,必然的に全ての要素が可知的(knowable)でなくてはならない。それはもはや OSS というよりノウウェア(knowware)とでもいうべきものだ。

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ここで鍵になるのが「可知性」(knowability)という私の用語だ。これはそのまま「知りやすさ」を意味するが,個人知の中で体系化された OSS は必然的に可知的であることになる。

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これは例えば,哲学者が自分の頭の中で一つの壮大な哲学体系を作り上げるように OSS を開発したらどうなるだろう,という話だ。そういう意味で,「学堂方式」という表現はそれなりに正しい。

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というのは概念を結合することなので,OSS を知的にするということは,それぞれをばらばらの交度(コード)としてではなく,一つの体系の要素として捉えることだ。

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OSS知の共有必要条件であって十分条件ではない。私は10年以上前から主張してきたことだが,これについてはそろそろ真剣に語られていい時期だろうと思っている。

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私が OSS の限界として感じてきたのは,やはり「知的結合の弱さ」だ。閉じられていたものを開いたのはもちろん大きな功績だが,それだけで知になるわけではない。OSS がどれだけ普及したといっても,まだ非 OSS に勝ってはいない。今必要なのは単なる交度(コード)の寄せ集めではなく,「知の集積」だ。

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最近,かつて伽藍方式でもバザール方式でもない「学堂方式」(academy model)と称した希哲館の開発手法が,「個人知の密度を最大限に活かすこと」で特徴付けられることを再発見した。

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というより,30代から60代までが一番責任を問われる世代なので,若者か老人とみなされる年齢で挑戦するのが得といえば得だ。てへぺろ世代というか……。

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あとは,若い頃の失敗の方が社会は寛容に見てくれる,というのも大きい。

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私が希哲館事業を50歳で始めようと100歳で始めようと,世界初の事業に乗り出した50歳になるか100歳になるかの違いで,別に他人に負ける気は全くしない。しかし,20歳で事業を始めた場合の自分には絶対に勝てないなと思う。

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何歳になっても新しいことに挑戦するのは素晴らしいことだし,そこで年齢は一つの要素に過ぎないので,他人と比較する必要は無い。ただ,自分と比較するなら話は別だ。20歳の時にやりたいことを徒に30歳まで待ってはいけないし,100歳の時に110歳まで待ってはいけない。困難を乗り切るための体力や気力で若い頃の自分には勝てない。

=}{希哲13年3月27日のツイスト}

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