哲学カフェより哲学酒場が必要だ

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲7年(2013年)
09月24日 18:10
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

哲学を市民のものに,という理念で催されている「哲学カフェ」というものがある。発祥はフランスらしいが,日本でもカフェや喫茶店等を使ったイベントとして地味な広がりを見せている。

大分前にも同じことを言ったのだが,私は「哲学カフェ」が日本に根付くことはないだろうと思っている。もちろん,意義深く面白い試みであることは評価しているし,頑張って運営している人には頭が下がる。

ただ,日本に哲学的文化を広めようという試みに「哲学カフェ」はないだろう。そもそも「哲学」なんて必要以上に philosophy を難解にした訳語を使った上に「カフェ」なんて,いまでも多くの日本人が「鼻につく」の揶揄で使うような気取った言葉をくっつけてどうするのだろう。これでは結局,気取った場にしかならない。

「哲学カフェ」と訳される「カフェ・フィロソフィーク」(Café philosophique)がフランスで受け入れられたのには理由がある。フランスは,17世紀頃からカフェの歴史と密接に関わっている国であり,コミュニティとしてのカフェはフランス革命等にも影響を与えている。こうした背景をもつフランスにとって,「哲学カフェ」はごく自然の発想なのである。これをそのまま日本に持ってきて,ねじこんでもしょうがない。

だから私は,「哲学カフェ」よりも「哲学居酒屋」とか「哲学酒場」の方が必要なのではないかと言ってきた。日本人にとって,飲み屋は昔からコミュニケーションの場だったからだ。積極的な議論は苦手という人が多くても,酔いが潤滑剤になってくれる。

もっとも,私は6年近く前に創立した「希哲館」を通して「希哲」という語の普及を計っている人間なので,出来ることならこういう場面では「哲学」という言葉も使いたくない。希哲館で準備しているイベントはいまのところ「希宴」と題している。実現にはまだ時間がかかりそうだが,これで「カフェより酒場」説の実証を試みたい。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
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