デルン開発

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲13年(2019年)
01月10日 23:13
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
この描出は「素描」です。

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設計実装手定めテスト),デザインマーケティング運用……全部自分でやって12年でここまでか。実は驚異的な高効率だったんだろうな……。

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ただ,デライト再公開が遅れているのは,そんなことより「目標」が進み続けていることによるものが大きい。1年前はもちろん,3ヶ月前と比べても「公開したいもの」がかなり異なっている。色々なアイデアが生まれて,それを洗練させていくうちにハードルも上がってしまった。だから,遅れているようでデルン開発自体は快調そのもの,という不思議な状況がある。

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デルン開発,ひいては虎哲開発が自分で凄いと思うのは,その「無駄の無さ」だ。この12年,振り返っても何ひとつ無駄だったと思う経験や捨てた技術が無い。余す所なく全てが血肉になっている。

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秒進分歩の勢いでデルン開発進歩して,それでも目標までまだ少し距離があると思うと,なぜ私は半年前これでイケると思っていたのか不思議ですらある。

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私なんか,デルン開発にほとんど人生の全てを捧げているが,こんなもの,まだ私の頭の中にあるだけで,それが成功する保証など何もないし,失敗すれば何も残らない。冷静に考えると恐しいことだ。

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7pay 問題,実際に自分でそれなりの柔品(ソフトウェア)開発を主導した経験があると笑えないものがある。デルン開発は奇跡的に上手く行っているが,成功失敗紙一重。それくらい柔品開発は難しいもの。

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最近のデルン開発で,「黄金循環」とでもいうべき究極の好循環が生まれている。全知検索を作業の中心に据えることで,情報発信情報蓄積開発一体化し,相乗効果を生んでいる。これがジパング計画の真の金脈ならいいが……。

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これはまず,開発を続ける上で重要なことだった。私はデルンザナドゥ計画WinFS とよく比較しているが,世界有数の研究者と世界一の富豪に実現出来ず,私に実現出来た理由はただ一つしかない。彼らにとっては「あったらいいもの」でしかなかったが,私にとっては「なくてはならないもの」だったからだ。

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デルン開発で私が意識してきたことは,「新しい生活必需品」を作ることだった。あったらいいものではなく,なくてはならないものを作る必要があると考え続けてきた。

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デルン開発,何か一つでも選択を間違えていたら成り立っていない。奇跡を感じる。

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SNS の外で希望を持ち続けるというのは大変なことだ。私も,ここまでデルン開発が順調でなかったら降伏していたかもしれない。

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が最高なのは,スクリプト言語以上の書きやすさと C++速さを兼ね備えているところ。これがなければデルン開発はままならなかった。

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ウェブ開発では捌き手サーバーサイド)の言語の性能は大きな問題ではない,とよく言われるが,これは実装内容がある程度無難なものに限る。実験的な実装を色々試したい場合,交度コード)は混乱してどうしても非効率になってくるので,それを補完してくれる言語性能は重要になる。これがデルン開発C++ 並みの速度に拘った主な理由。

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いまのデルン開発,まず複数人では不可能だな。2人なら100年かかるし3人なら1000年かかる。全てが一つの頭脳の中で収まっているから辛うじて何とかなっているだけの柔品(ソフトウェア)だ……。

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デライトデルン開発の方向性が完全に定まったのはついこの前だから,デルンの最適化は今がやるべき時なのだろう。早まった最適化は完璧に避けられたようだ。

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私の場合,希哲館事業全体のうちデルン開発が占める割合は限られていたので,開発だけ見れば正味3年くらいではないかという気がするが,7年間ありとあらゆる記録にデルンを使い倒してきた自信もある。

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希哲館事業が発足した希哲元年2007年)ですら,まだ自由かつ十分な想品(ソフトウェア)開発環境があったわけではない。OSS にもまだまだ未熟なものが多かったし,各種標準化も不十分だった。それでもデルン開発に着手して,格闘しているうちに色々環境が整備されて,気付けばデルンを完璧に活かせる環境が出来ていた。それもここ数年で。

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