宇田川の用語。希哲11年6月21日,基盤主義により達した超日本の中核的境地をこう呼んだ。
転じて中世的な新しい可能性を秘めた日本の異称,
ザナドゥ計画に対するデルン(シンテキスト)の異称として使うようになった。
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}{希哲15年11月9日の日記}{黄金の国}{強い日本}{産業結合}{希哲館黄金期}{文明深化}{知の黄金郷}{希哲11年6月21日}(17)宇田川の用語。希哲11年6月21日,基盤主義により達した超日本の中核的境地をこう呼んだ。
転じて中世的な新しい可能性を秘めた日本の異称,
ザナドゥ計画に対するデルン(シンテキスト)の異称として使うようになった。
今日も顔色・気分ともにすこぶる良かったが,夕方近くまで作業に集中出来なかった。昨日から続いている不思議な感覚の正体が掴めず不安を感じ始めた頃,身体感度の鋭敏化が見られたことから第三次黄金状態の回復を自覚した。そうと分かったところで,焦らず,じっくり調子を整えることにした。
6月7日にも似たことがあった。当時もやはり多少のゆとりが出来て生活律動矯正を続ける中,数日前から思考が散漫になっていた。このあたりは何か法則性が見出せそうだ。
7月に入った頃から生活律動が乱れ始め,そのまま8月12日には律動的集中生活に入ってしまったが,それまでに生活律動と進捗を極めて高い水準で両立出来るという経験を得ている。当時よりずっとゆとりのある今ここで第三次黄金状態を取り戻せたのは,「もう一つの金風」と言っていいほど大きな追い風だ。
これまでの経験からすると,やはり第三次黄金状態には規則正しい生活が必要なのかもしれない。生活律動が崩れていると状態を冷静に認識するのが難しいということもある。
第三次黄金状態への移行ははっきりと分かるが,失ったことは麻痺に近い慣れもあり自覚・把握しにくい。明らかに調子が悪いという日は稀で,落ちても第一次黄金状態程度に調子が良いことが多い。これは前回の回復から課題と感じていたため,「自覚があること」を定義に加えることも考えたが,定義の整理に時間がかかりそうなので見送っていた。
これに関しては,定義よりも記録の仕方を見直すことにした。これまで30日間の観察をもって日常化とし,以後は異常の自覚が無ければ特筆してこなかった。今後は毎日,「第三次黄金状態」などの状態名や具体的なことを体調記録に書いていくことにした。同じ記述の繰り返しでも,「特に異常無し」よりは具体的な方がマシだろう。こうすれば状態をどう自覚しているかは記録に残せる。
日記は形式化したくないので何を書くか厳密に決めはしないが,出来るだけ,一日の感想を詳しく書いておくことにした。
ここからは,黄金生活をどこまで持続出来るかだ。そのままデライト収益乗軌化へ繋げられれば,まさに知の黄金郷ジパングの樹立となる。
今日あたり,流石に新黄金状態も途切れるかと少し覚悟したが,依然として絶好調だ。
ふと,新黄金状態こそジパングの芽なのではないかという気がした。これまで,「黄金状態」という表現を特にジパング計画と結び付けていたわけではないが,デルンが実現した小さな理想郷ではある。これを拡大していけば「黄金の国」になるわけだ。
ただ,今日はマスクについての調べ物などをしていて開発作業にあまり時間を割けなかった。
午前中,適当な箱入りマスクをネットで注文して,明日の午前中には届くはずだったが,ちょっとした手違いで間に合わないことになったため,改めて調べ直して結局別の商品を注文した。流通の問題もあり品質などを考えると案外悩ましく,妙に時間をかけてしまった。50枚入りなので8月までは持つだろう。
届くまでは例の布マスクで凌ぐことにして,洗い方を調べて,試しに洗ってみたりもしていた。日本でもコロナ危機は出口が見えていないので,今後マスクをどう確保していくか,今のうちに考えておく必要があるだろう。
Project Zipangu
希哲11年10月18日,ザナドゥ計画に対し,デルンを中核にした体系的技術開発により「現代の壁」を突破する計画を「ジパング計画」と呼ぶことにした。これ以前から「ジパング」という語は使い始めていたが,より明確な定義と目標を与えた。仮にこの時点でジパング計画発足としておく。
考案当初,σ計画に対する位置付けは明確ではなかったが,希哲11年10月24日,σ計画を世界的観点に普遍化し,日本の特性を活かしたジパング計画をその副計画として位置付けることにした。
希哲13年5月12日,希哲日本における政策体系を兼ねることにした。
マルコ・ポーロが『東方見聞録』を著したのは奇しくも鎌倉時代である。