これは SNS で偏った情報にばかり接していると分からなくなる。よく,失言などを取り上げて「これだから○○は〜」みたいなレッテル貼りをしている人を見かけるが,それは大抵の場合○○に限らない現象なので,そう思ってしまう人は自分が偏った情報源に接していないか疑ってみた方がよさそう。
「レッテル貼り」という言葉が人口に膾炙して久しいが,偏見が世の中から消える気配はない。むしろ,SNS なども手伝って強化されている気さえする。
「それはレッテル貼りだ」などと言っている人の発言をよく見ていると,実はその中にも自覚のないレッテルが散りばめられていることに気付く。「あいつはレッテル貼りばかりする」というレッテル貼りはもう見慣れてしまった。
この種の言説の問題は,人間の認識を,レッテルとそうでないものとに恣意的に分類してしまっていることにある。そして,自分が問題視しないレッテルには無自覚になってしまう。だから,偏見に対する批判の仕方としては,あまり発展性が無いのだと思う。
人間の認識などというものは,個人がそれぞれの都合で構成しているものに過ぎないので,全ての認識は「レッテル貼り」であると言っても過言ではないのだ。
それを自覚した上で,丁寧に,こまめにレッテルを貼り直し続けていくしか人間の認識を改善する方法は無い,と私は考えている。