ボスニア・ヘルツェゴビナ

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲7年(2013年)
06月10日 14:28
下描き希哲7年(2013年)
06月08日 17:10
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

地理

クロアチアセルビアモンテネグロと国境を接する。

民族と紛争

ボシュニャク人クロアチア人セルビア人

住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。それぞれの民族の差異は宗教と歴史的経緯によるものであって,血統や言語の面ではあまり差が無い。

宗教

ボシュニャク人はイスラーム,クロアチア人はローマ・カトリック,セルビア人はセルビア正教を代表的な宗教としている。

ボゴミル派からボシュニャクへ。

ボスニアではかつてキリスト教ボゴミル派の信仰が盛んであったが,オスマン帝国による統治のもとで徐々にイスラームへの改宗者が増え,現在ボシュニャクと呼ばれる集団の原型が形成されることとなった。

ボゴミル派信者は大多数がイスラム教,東方正教会,カトリック教会へ改宗し,現在のボスニアではボゴミル派信仰はほぼ消滅している。

公用語

公用語はボスニア語ラテン文字),クロアチア語(ラテン文字)、セルビア語キリル文字)であるが,方言程度の差である。

ボスニア紛争

多数派のボシュニャク人,クロアチア人に対して少数派のセルビア人が分離独立を唱えて戦った。

ボスニア

現在のボスニア・ヘルツェゴビナ北部の歴史的名称。ボスニアという名前は,この地を流れるボスナ川に由来する。中世にはボスニア王国が存在した。オスマン帝国が支配していた時代にはボスニア県とされており,近隣のヘルツェゴビナ県,スヴォルニク県とともに一つの州を形成していた。

宗教と紛争

長年にわたるオスマン帝国の統治下の影響で,宗教が流動化し,イスラム教徒,キリスト正教徒,カトリック,ユダヤ教徒などの共同体が混在した状況であった。しかし,オスマン帝国下では宗教毎の自治体 (ミッレト)が認められていたこともあり,各宗教は共存していた。

但し,地主はムスリム,小作人はキリスト教徒といったように,宗教は社会階層ごとに特徴づけられており,経済的な対立から大規模な宗教紛争に発展していくことはあった(ボスニア蜂起, 1875)。

露土戦争

1877年〜1878年,ボスニア蜂起後の露土戦争

ユーゴスラヴィアからの独立

1992年。

 
この描出は「素描」です。

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