希哲16年1月13日,虎哲開発の特異性を「虎哲開発破戒録」としてまとめ始める。
- 略語を多用する(交度英語)
- 翻訳語を多用する(希哲館訳語)
- 版存管理司組を使わない
- C++ でウェブ CMS を実装
- 図を書かない(デルンに書いた方が良い)
- Javadoc の類を使わない(デルンに書いた方が良い)
- 技術ブログを書かない(デルンに書いた方が良い)
- SNS を使わない(デルンに書いた方が良い)
- ……
(考えてみれば,全て単独開発だから出来ることだ)
昨日は25時頃には就床したものの,頭が冴え過ぎたせいか28時頃まで眠れなかった。
こういう時は就床時間よりも起床時間を定めた方が良いことは経験上分かっているため,明日から7時起床を徹底し,この頃ずっと自由日扱いにしている執務時間も定時に戻すことにした。
それでも今日も調子は良く,何かと冴えていた。特に,希哲館史編纂を始めたことが大きかった。
最近,そろそろ一般向けの希哲館沿革でも整理したいと思っていたところで,一旦「希哲館史」として雑多な情報も含めて書き出してみようと作業を始めると,思いのほか色々な発見があった。そこで,「希哲館史編纂」を希哲館献典整備の一環と位置付け本格的に着手することにした。
考えてみると,希哲館史という輪郭はずっと前から用意していたものの,個々の輪郭に記述が分散していて,希哲館の歴史を概観出来るものが無かった。デライト正式離立を終えて余裕が出来たこともあるが,デライトが出来たことで希哲館史が初めて語りうるものになった気がする。
こう希哲館史を眺めてみることで正しい自信が湧いてきて,ぼんやりした不安のようなものが吹き飛ぶ。こういう時期は成果を急ぐあまり自分の速さを過小評価しがちで,まるで進歩がないように錯覚してしまうことがよくある。
最近の希哲館献典整備以前,希哲10年頃にも献典整備を試みて技術的限界から虎哲開発に軸足を移していることも,希哲館史編纂を通して思い出した。
アメリカ同時多発テロ事件,世界金融危機,東日本大震災,英米政治危機,コロナ危機,と大きな危機があるたびに希哲館事業も大きく変化しているののも俯瞰してみると面白い。
こんなことが出来るデルンの力も改めて感じた。