最近,顔付きにも精神状態にもデライト開発に入る前の希哲12年あたりの懐かしいものを感じている。デライト以後の高次化した黄金状態とも異なる,自然で穏やかな黄金状態が続いているような感じで,これはこれで良いものだと思う。
思えば,デライト開発が始まってから,一応の休日はあっても本当に心が休まることなどありえなかった。知らず知らず,気持ちのゆとりが出来ていたようだ。この心境の変化の要因を探ってみると,デライト開発とデライト市場戦略の局面の変化に行き着く。
目先の当努を追いかけながら,個人知識管理サービス市場における小さな波を大きくすることに四苦八苦する,これが長いことデライト開発というものだったが,今は,すぐそこまで来ている SNS 市場の大きな波を待ち構えながら,少しずつでもばら成し良く当努を進めていけばいい,という考え方が出来ている。これを軸に,生活全体がばら成し重視になってきている。
デライト以前の生活への回帰,というようなことは長期戦態勢に切り替えた昨年10月頃から11月頃にも感じていたが,間もなく第三次快調期が始まるなどして慌しくなり持続しなかった。回帰したまま希哲館事業の成功に向けた希望が保てるほどの条件も揃っていなかった(昨年12月21日の日記)。その後,新生デライトが仕上げ段階に入り,第五次デライト市場戦略の方向性が固まったことで条件が揃ったのだろう。
何はともあれ,“デライトのあるデライト以前のような生活”ほど幸福なものはないな,としみじみ思った。
領下手定め環境でも Let's Encrypt 証明書を導入した。
希哲14年から HTTPS 統一の一環で領下では自己証明書を利用していた。初回握接時の舞覧の警告は,一つの舞覧なら大した問題ではないが,舞覧や端末を切り替えながらの手定めは煩雑だった(最近は dnsmasq の導入でその機会も増えていた)。また,開発者通類の梱装で制危関連の警告が多量に出力されたり,PWA など厳格な制危を要求される手定めが出来ないなどの問題があった。
更新と,なんとなく認証も面倒臭そうだと思っていたが,希哲12年から使っている via 迂回と DNS 認証の相性が良いことに気付いた。実際,いつもの DNS 認証であっさり取得出来た。まさか4年前の発明がこんなところに活きてくるとは思わなかった。更新の問題はあるが,警告などの煩わしさに比べればあってないような手間だ。
一昨日考えた関宿町までの日帰り自転車旅行の小手調べに,河原のあたりまで走ってきた。昔,こんな河川敷に母が連れてきてくれた記憶が微かにあったが,それが江戸川河川敷緑地だったと分かってすっきりした。
道中,黒い影が映り込む不具合のある Galaxy S8 のカメラでも撮りたくなる素晴らしい景色が色々あったので,少し撮っておいた。
昨日カメラについて色々考えて久しぶりにカメラ熱が上がっていたところだが,いずれにせよスマホカメラをこの状態にしておくわけにはいかないと撮りながら感じていた。経験上,コンデジでも常に持ち歩くのは辛い。ふらっと外出した時など,スマホカメラに頼らざるをえない場面は多々ある。
ここで,「カメラのための機種変更」という選択肢が急浮上した。
Galaxy S8 も一応希哲11年(2017年)当時の高級機種なので悪いカメラではないが,まだおまけの域を出ない印象だった。特に夜景はまるで駄目で,希行の寸写用カメラとしては頼れない性能だった。複眼化などでスマホカメラの高性能化が目立つようになってきたのが S8 発売の翌年頃からで,高級コンデジや一眼レフに劣らない存在感が出てきたのはここ2年くらいのことだ。
その雰囲気だけはなんとなく感じ取っていたが,実際,高級コンデジの購入を検討した後で同価格帯の最新スマホをカメラとして見ると,携帯性はもちろん,ネット・GPS 連携,補正・編集機能などを含めた総合力で全く見劣りしない。それどころか,寸写用カメラとしては理想的ですらあるように思えてくる。
機種変更については,Galaxy S8 が電池膨張を起こしてから検討したが,決め手がなく保留状態だった。元々携帯電話嫌い・スマホ嫌いで,S8 から渋々スマホを使い始めてからも性能に依存するようなことはほとんどしていない。S8 をリフレッシュ品に交換してからカメラの不具合はあったが,大して使っていなかったので相変わらず機種変更への意欲は湧かなかった。カメラも含めてあらゆる面で中途半端で,好きでもなく期待もせず使うもの,というのがこれまでの私のスマホ観だった。
そんなスマホに関する最大の不満は,性能ではなくスマホケース(3192GS8)が寿命を迎えつつあることだった。見た目はともかく,ホルダーの劣化で角度によって簡単に外れるようになったし,留め具もちぎれそうだった。扱う時に気を使うようになってしまった。しかし,スマホケースを買い替えるなら機種変更だろう,というところで止まっていた。
ここに最新のスマホカメラという新たな動機が加わってからは自分でも驚くほど早かった。待ってもいいと思っていた S22 も,日本で発売される見通しの来年春まではとても待てない。海外では2月頃とされているがそれも辛い。その間,撮れたはずの写真が撮れないことになる。待てないなら出来るだけ急ぐべきだろうと思った。サイクリングから帰った正午頃から再検討を始めて16時前には Galaxy S21 5G の注文を済ませていた。これで歯痒かった“スマホ問題”も一気に解決に向かうこととなった。
移行先の機種は,店頭で実機を触ってみた感じで最有力候補だった Galaxy S21 5G にした(10月5日の整清記録)。
S21 Ultra 5G はドコモでしか扱っていないため以前検討した時は気付かなかった。カメラ性能には惹かれたが,大き過ぎると感じた S21+ 5G よりも更に大きいという点で考えにくい選択肢だった。そのうちカメラ専用機と併用すると考えた時,役割分担の観点から携帯性は落としたくない要素だった。
この頃,と言っても,あまりに日々の展開が速いのでここ数日のことだが,デライトが希哲館事業構想に救われつつあることを実感している。
希哲館事業のあまりの巨大さ・複雑さに,どこからどう世の中に伝えていけばいいのか……と頭を抱えていた希哲12年の終わり頃に閃いたのがデライトだ。それからこれまで,デライトが希哲館事業を救い,希望をもたらし可能性を広げてくれた。もちろん,デライトの背後には常に希哲館事業があり,精神的支柱であり続けていたが,その構想を前面に出すのは時期尚早だろうと感じていた。
それがここに来て,希哲館事業構想がむしろデライトを牽引する献典になり得るのではないか,と考えるようになった。一日一文の再開も考え始めたばかりだが,デライトが希哲館事業の膨大な蓄積を効果的に発信出来る媒体になりつつある。まさに相乗効果という感じだ。
何より,これまでの人生と事業の全てが,デライトを通じて余すところなく活かせる,というよろこびに勝るものは無い。