学校

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲8年(2014年)
02月26日 13:52
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
この描出は「素描」です。

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自由でありたい,というからには,自分が何者で,何を求めるのかを知らなくてはならない。だから,学校に行かずにただ思いつきのままに過ごすことにも,学校に行ってただ規範に従っていることにも根源的自由はない。

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学校に行かないことは「自由」なのか?という議論があるが,実は自由には三種類ある。例えば調教されない獣のような所与的自由freedom),社会的に形成される権利的自由liberty),そして自我の根源に基く根源的自由causa sui)だ。この三つめの自由を私は「第三の自由」と呼ぶ。

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日本希哲学(フィロソフィ)が発達しないのは簡単な話で,学校しかり,自分の考えではなくとにかく周りに合わせて行動することが叩き込まれるのだから,自分の思考を深化させる文化が育つわけはない。

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すでに何度も言われていることだが,ゆたぼん君を叩いている人の多くが下品さ・無知さ・性格の悪さを露呈しているのが「学校に行かないとまともな大人になれない」言説の脆弱さを証明していて切ない。もちろん,彼やその周囲に全く問題が無いとはいえないしそこを冷静に指摘している人もいるのだが。

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私の場合,学校に行かなかったのは「学校教育の限界」を突破するためであり,学校以上の教育研究機関を創るためだ。どうもこれはかなり珍しいらしい。

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学校に行くことは大切なことだ」と子供に教えるのは全く正しいことなのだが,その学校に行かされた自分達がなぜ日本の最悪の現状を招いたのかも反省する必要はあるだろう。

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ゆたぼん君と彼への世間の反応を見ながら,自分は本当に奇特な人生を送ってきたんだなと,これまで以上に生々しく感じている夜。この時代になってもこれだけ「学校に行って協調性を身につけるのが大切」みたいな考え方をする人が多いのだから,そりゃあ,人と違うことするのは難しいわけだな……。

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学校に行っている子供達を「不自由」として学校から解放することは,魚が不自由そうに見えたからといって水槽を叩き壊すようなものかもしれない。

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「何も考えず学校に行く子供はロボットなのか?」という議論もあるが,昔から私は「自分の頭で考えろ」みたいな言説って好きではない。どんな人でも自分の頭で考えていて,その結果として皆と同じだったり違ったり,上手くいったりいかなかったりするだけで。

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こういうことを考えた時,私がどうしても連想してしまうのは「日本人の学校生活」だ。私は子供の頃から学校というものが嫌いで,ほとんど監獄だと思っていた。不思議だったのは,周りの子供たちがあまりに従順だったことだ。それが理不尽であろうが何だろうが,ただ黙々と従っている。仮に日本が衰退しているとしても,彼らはそれに耐えられてしまうのではないか?という気がするのだ。

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学校における悩み事というのは,大抵の場合「井の中の蛙」の悩み事だ。時にはそれを教えてやるのも大人の仕事だと思う。

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みんな平等に馬鹿だし不細工なんだから学校でくらい仲良くしろ,としか言えない。

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腹立たしいことに,私はほとんど学校に行っていないが,それでもほとんどの人間より賢かった。神様は何かを間違えた。

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私も12歳頃から学校に行かなくなったが,それはエジソンに感化されたり,単純に学校に行く子供達を馬鹿にしていた節があって,特にそれ自体で悩んでいたことは無いし,悩むこと自体が馬鹿馬鹿しいと思っていた。ぶっちゃけ,学生なんて賢いもんでも美しいもんでもないんだから,やりたきゃやる,やりたくなきゃやらない,で良い。自分に合った道を選ぼう。

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最近また学校生活で悩んで最悪自殺してしまうような子供の問題が取り上げることが多くなった気がするが,そういう子達に私が言いたいことは「学校なんて無理に行くほどの価値はない」ということだ。子供なんて馬鹿なものなんだし,そんな狭い世界で苦しむことはない。嫌だったら行かずに自分で好きなことを勉強した方が良い。

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