日本のドキュメンタリー映画。
希哲6年頃から気になっていたが,希哲18年1月26日,Amazon プライム・ビデオでようやく観た。
激化する SNS 戦国時代の中で,サービス文化について考えさせられることが多い。今日はちょっと面白い発見もあった。
以前にも SNS におけるオタク文化について考えたことがあるが(3月1日の日記),依然としてその影響力は強いと感じる。例えば,Misskey の猫耳機能などは私の価値観からすると完全にありえないものだが,そういう部分があることでオタク層からの信頼を得ている面はあるだろう。誰かにとっての「居心地の良さ」を提供することは SNS の核心であって,Misskey はまだ小規模ながら興味深い事例ではある。
最近でいえば,Threads の急速な台頭によって,キラキラした Instagram 的な場に対する「ドブ川」としての Twitter に,想像以上に多くの Twitter 用者が想像以上に強い愛着を持っていることが分かってきた。「陽キャ」に対する「陰キャ」のコミュニティであるという意識もやはり根強いようだ。それは単なる自虐というより,昔から言う「明るい人気者ほどつまらない」とか「面白い奴には根暗が多い」とか,その種の含みがある。
確かに,自分が好きだったお笑い芸人なんかを振り返ってみても,根暗でひねくれていた人ばかりだ。そういう人が,業界で一定の地位を築いて妙に社交的な「明るい人」になったりして,つまらないことで笑うようになり,かつての面白さを失っていく,という哀しい現象もよく見てきた。
明るい人というのは箸が転んでもおかしいという人なので,日常にそこまでひねりの効いた刺激は求めていないのだ。Twitter 用者が Instagram 的な SNS に感じるつまらなさとは,こういうことなのだと思う。
幼稚なデマに煽られやすいなど,全体としては知的脆弱さが目立つ Twitter ではあるが,役立つ投稿や面白い投稿が比較的多いことは認めざるをえない。学問も文芸も,多少ひねくれていたり,オタク気質だったりするくらいが丁度良いからだろう。その点で,Twitter 文化にはマイクロブログ型 SNS における確かな優位性がある。
そういう観点からデライト文化について考えてみたら,対 Twitter 戦略なんて無理筋じゃないかと一瞬思いかけた。というのも,デライト文化の種子たる私自身が,人間の限りない可能性と限りない成功に対して限りなく楽天的な性格であって,その実現のためにデライトを開発してきたからだ。サービス名を〈delight〉(歓喜)にかけているくらいなので,そもそもデライトはこの上なく明るい気分から生まれている。そういう意味では,インスタグラマーも真っ青なキラキラ志向なのだ。
単純な話,Twitter が陰キャ寄り,オタク寄りの SNS だとして,デライトがそうでないとすると,どうやって用者を移行させるのかという問題がある。ここまでのデライト運営の実感としても,Twitter をはじめとするマイクロブログ型 SNS からの訪問者は,明らかにデライト文化に引いている。
そんなことに思い至った時,この頃,全く別の文脈で自分の性格についてよく考えていたことを思い出した。
ここ数年くらいで確信を深めていることなのだが,どうも私は病的に明るい性格らしい。希哲館事業の経験を積む度に,自分の明るさに助けられていると感じることが増える。
世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトによって知識産業革命を起こし,かつてのイギリスのように,国家模体として日本を極大国(ハイパーパワー)に成長させ,その日本によって知識産業を中心とした新しい国際秩序の形成を主導する,ということを大真面目に実践しているのが希哲館事業だが,まず,並大抵の精神でこれを支え続けるのは誰がどう考えても不可能だ。
常人がなんとか続けたとして,40歳近くにもなれば頭髪は白髪で真っ白なら良い方で,全部抜け落ちていてもおかしくない。顔は若く見えて60歳相当には老け込んでいるだろう。
ところが,現実の私は,実年齢よりもずっと若く見られることが多かった。ここ数年はデライト開発でだいぶ生活も乱れたのでどうか分からないが,少なくとも,年齢相応の苦労を重ねてきた男性の顔には見えないな,と自分でも思うような顔をしている。20代の頃はあまりにも幼く見えたので,むしろ老けたくて仕方なかったくらいだ。希哲館事業構想の一環として三船敏郎のように強い日本人の象徴となる顔が必要だと10代の頃から考えていた私にとって,幼さに対する混複は非常に大きかった。
表情もまたなんとも楽しげで,実際これが毎日楽しいのだ。クスリでもやっていないとおかしいくらいだ。実際にはクスリどころか酒もたばこもやらないのだが,たまに,自分が知らないうちに麻薬でも打たれているのではないかと考えてしまうことがある。毎日デライト上に記録している通り,生活はかなり健康的な部類だろうと思う。
この未曾有の重圧にしてこの気楽ぶり。環境に恵まれているというのも大きいが,それだけでは説明し切れないものがある。
思い出すのは,「子供の頃は姉と一緒で明るい子だった」とよく言われていたことだ。姉が非常に明るい性格のまま育ったのに対して,私はある時期から考え込むことが多くなり,人付き合いも口数も減っていった。その先に希哲館事業があるわけだが,いま思うと,希哲館事業のとてつもなく巨大な影を丸呑み出来るだけの根の明るさがあったのだろう。
世界の思想史を通観して,思想家として捉えた場合の自分の特異性について考えると,やはりこの明るさに行き着く。『考える人』しかり,思索にふけっている人なんて大体みんな憂鬱そうな顔をしている。私自身の体験を振り返っても,いわゆる明るさと思慮深さを両立させるのは難しい。思考というのは脳を占有し疲労させるものなのだから,科学的な説明もそう難しくないはずだ。私のように「笑いながら考える人」はそういない。
これは SNS における明るさと面白さの両立という課題にも通ずるのではないかと思ったわけだ。Instagram や Threads などの「つまらない明るさ」はテキスト向きではない。かといって,「面白い暗さ」の Twitter も SNS としては長らく伸び悩みの状態にある。デライトの個性を「面白い明るさ」という第三の道と捉えると,むしろ大きな希望に思えてくる。
一昔前でいう月9が Instagram 的なもの,昼ドラが Twitter 的なものだとすると,デライトが目指すべきは日曜劇場,つまり,『JIN』や『半沢直樹』のような世界なのかもしれない,などとも思った。キラキラでもなくドロドロでもなく,ギラギラという感じだ。
特に『JIN』は,希哲館事業発足から間もない頃に放送されていて,奇妙な運命を背負ってしまった主人公と自分を重ねながら観ていた想い出深いドラマだ。気付けば南方仁と同じ年齢になっているのもなんだか感慨深い。
(書きたいことはまとまっていたが書き終えるのに20日までかかってしまった)
昨日で大きな予定も消化し終えたので,今日は少し現状整理をした。これで金風以後の激動がようやく落ち着いた感がある。
落ち着いてみて,ここ数ヶ月で急速に白髪・抜け毛が増えていたことをはっきり自覚した。白髪については何となく気付いていたが,抜け毛は整髪時の違和感と写真の毛量で気付いた。直接的な原因はどう考えても,金風も含めたここ数ヶ月の動揺によるものだろう。
ただ,今年はそれ以前から収穫過多だったし,時間の密度が人間の限界を越えていた気がするので,いずれにせよ老化が早まるのも無理はない。体調に目立った問題もなく,ずっと若くて健康なつもりでいたが,思わぬ所で現実を突き付けられた。しかし,よく考えれば,まだ深刻ではないうちに気付けて良かった。
常に月内のデライト収益乗軌化を目指すという方針は,欲張り過ぎ,生き急ぎ過ぎ,自分を苛め過ぎだったかもしれない。もう,よく頑張ったとせめて1,2ヶ月は自分を休ませてやるべきなのかもしれないと思えてきた。
とりあえず,デライト収益乗軌化は来年1月までに達成すれば十分早いので,そこを目標として,当面は生活習慣改善を最優先に進めていくことにした。新生デライト開発は,急がば回れの精神で,焦らずゆとりを持って取り組む。
今日は,11日頃から右目の充血が気になっていた花を動物病院に連れていくつもりだったが,治ってきているように見えるので,もう数日安静にさせて様子見することにした。
スマートフォン含め携帯電話は使うようになってからずっと枕元に置く習慣になっていたが,安眠のため,これからは少し離れた場所に置くことにした。
目覚まし時計にしているからという理由もあったが,寝たまま止められることが最近やたら多くなった二度寝の原因になっている気がする。
昨日,高度非言語思考について書いたが,これには落とし穴がある。
言語を伴う思考というのは,いわば他人との“キャッチボール”だ。意思疎通出来る範囲内で,他人に伝わるように考えを組み立てていく。それは制約でもあるし,社会生活をしていく上で必要なことでもある。
高度非言語思考は,そういった社会性を放棄して思考の自由を手に入れる手段だ。出家するならまだしも,普通に社会生活を送ろうとする者にとっては危険な行為でもある。
私はそれによって輪郭法を手に入れているが,それからしばらく精神的混迷に陥った。世間の人とは全く違う精神を持ってしまうと,まず「普通に生きる」ということが不可能に近くなる。かといって,これを活かして生きるというのも至難の業だ。その狭間で悩んだ挙句,自殺寸前まで追い込まれた。
もっとも,こうして語る人間がいてそれを真似するのと,何の手掛かりもなく一人で抱えてしまうのとでは危険性も大分違うだろう。希哲館は灯台のようなものだ。
私には,いわゆる「共感力」というものが無い。時々思うことだ。
普段書いていることを見ていれば何となく分かると思うが,私は,あまり多くの人と同じような生活をしていない。これは昨日今日始まったことではない。10代の初め頃からずっと,私はこんな調子で生きて来てしまった。
思えば,私が KNS なんてものを発明したのも,この共感力の無さによるところが大きい。
私には,主にマイクロブログ系の SNS を消極的に使っていた時期がいくつかあり,そういう時期に私を見かけた人なら分かるかもしれない。私の SNS の使い方は,基本的に独り言を延々と垂れ流す,というものだ。しかも,自分で考えた造語や翻訳語をちりばめて,だ。
最初からこうだったわけではない。最初に SNS に接したのは20歳そこそこで,その頃は周囲に合わせようとしていた。ところが,使っているうちにある問題に気付いた。同じような年頃の人達が,自分とは全く違う生き方をしているということだ。
例えば当時,よく若者の間で盛り上がっていた話題といえば,就職氷河期下での就活だとか,日本社会への悲観論だったりした。
それが私には全く分からなかった。当時の私は,希哲館事業を始めばかりだった。ろくに学校にも行かず17歳で輪郭法を閃いた私は,定職につく気も無く,どうすれば世界史上最大の企業を創り,日本を世界史上最大の極大国に出来るかということで頭が一杯だった。
「もう日本は駄目だ」「英語を勉強して日本を出よう」などという悲観論が渦巻いていた SNS で,ただ一人,「これから自分が日本を世界の中心にする」と希望に満ち溢れていたのが当時の私で,要するにずっと変わっていないのだ。最初はそれがズレていることにも気付いていなかったと思うが,流石にだんだん周囲との空気の違いが分かってくる。
SNS というのは,多くの人にとっては仲間を見つけたり,共感しあったりする場なのだろうと思う。私にとっては,使えば使うほど,自分がいかに世界の中で孤立した精神の持ち主か,ということを思い知らされる場だった。単純に,あまり面白いものではなかった。
共感力の無さというのが現実的な問題になるのは,やはり「商売」を考えた時だ。デライトも,多くの人に気に入ってもらい,そこから利益を生み出そうとしている,という意味では立派な商売だ。
ところが私には,人の欲望というのもあまりよく分かっていない。男性で言えば,金が欲しいとか,女性にモテたいとか,そういうのが欲望の典型なのだろう。しかし,私はその手の感情を抱いたことがほぼ無い。
厳密に言えば,金が欲しいとは思う。ただそれは事業のためだ。希哲館事業の理想を実現するためには,「兆円」の単位では足りない。最低でも「京円」の金が動かせるようにしたい。そういうことはよく考える。
その一方で,私的な金銭欲には乏しい。希哲館事業を始めた当初から,私は自身も含めて全執務員の給与・報酬を「世の中の平均的な水準」にすることを決めている。つまり,どれだけ希哲社が利益を上げようが,私は月に数十万円程度の金しか受け取らない。
別に我慢をしてそうするわけではない。それが清貧思想とか社会奉仕のパフォーマンスなら,アメリカ企業がよくやるように1円の報酬でいい。私は別にそういう“思想”で金が要らないわけではない。本当に,人並程度の収入で十分満足に暮らしていけると思っているのだ。
しかし,商売をする上で,人の欲望の流れを感じることが出来ない,というのは致命的かもしれない,と思うこともある。金が欲しいという人の気持ちも,女性に囲まれて嬉しい人の気持ちも分からないのだから,少なくともそれで釣るような商売には全く向いていない。
ではどうすればいいのか。これまでの生き方はいまさら変えられない。
でも,私にも共感出来ることはある。それは,枝葉ではなくて,人間として誰もが持つ普遍的な部分への共感だ。例えば,人が転んでいるのを見れば痛そうだと思うし,泣いているのを見れば可哀そうだと思う。幸せそうにしていれば何となく嬉しい気持ちにもなる。
人間のどこかではなく,人間そのものへの共感を深めていく,そんなことに希望を見出したい。
この頃,透明性についてよく考える。直接意識してきたわけではないが,結果的に私自身も希哲館事業も限りなく透明化しつつある。これも可知性ということか。
今日は開発も快調で,自我アイコン設定機能実装の区切り付けを終えた。本番環境でも手定めに自分とデライト公式の独自アイコンを設定してみた。それだけのことなのだが,妙に胸が熱くなり,感無量だった。
画竜点睛というべきか魂が入ったというべきか,小さなことのようで想像していたよりずっとデライトが生き生きとして見える。
竜胆蛍がいかに私と希哲館の精神の象徴といっても,やはりどこか覆面をしているような感覚があった。
本当に鏡のようになったデライトに映る自分を見ていると,ここまでのわがままを許してくれた周囲の愛情と幸運の多大なことに感謝の念を抱かざるをえない。
最近,自分の境遇について考えさせられるような,ちょっとしたことが立て続けに起こっているせいで余計感傷的になっているのかもしれない。今こうしていられるのも,環境と偶然のおかげだったんだな,と改めて実感させられることが多い。
もうデライトの成功なんか無くても,『パーフェクト・ワールド』のごとく明日のたれ死んでも贅沢なくらいじゃないかと思うくらい既に幸福な気がするが,これはやはり克服すべき自己中心性なのだろう。
閃き以来のこの自己中心性こそデライトをここまでの形にした創造性の核だった。しかし,それだけでは「奉仕」としてのサービスは成立しない。この喜び(delight)を広く共有出来るものにしなければならない。そのためには,お題目ではなく心から思いやりが生じなければならない。
別に今初めて思ったことではないが,一つ峠を越えた後で,自然にこういう感情が湧き出てくるということがデライトの成功にとっては希望だ。