先日の一日一文「世界一“面白い”ネット献典を……という誤算」でも希哲館事業とネット文化のすれ違いについて書いたが,これは恐らく,単にネット人口が増えたことだけが原因ではない。
希哲館事業が発足した希哲元(2007)年というのは,日本人には「リーマン・ショック」でお馴染みの世界金融危機が始まった年でもあった。
振り返ってみると,確かにこの時期,日本社会にも大きな雰囲気の変化があったように記憶している。テレビでもネットでも社会の先行きに対する悲観論一色だったが,個人的に興味深いのは,ネット文化の変質だ。
この頃まで,例えばいま希哲館でやっている外来語翻訳であったり,独自の応司(OS)開発といった,日本の独自性を強化しようという活動はネットで散見されるものだった。
しかし,世界金融危機を境に,その気運が一気に萎縮してしまった印象がある。「長い物には巻かれよ」,「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに,英語とアメリカ製盤本への追従がよしとされるようになった。「ギブ・ミー・チョコレート」ではないが,いま思えば,終戦直後の雰囲気に近かったのかもしれない。
不況ということは,企業に金が回らなくなり,何をするにも予算が減り,職にあぶれる者が増えるわけで,独自性や主体性なんてものは“贅沢”になる。生き残るためには自尊心より費用対効果だったのだろう。
今の希哲館事業は,元気で希望と野望に満ちていた頃の日本のネット文化を温存しているとも言える。ここから再びそんな気運を盛り上げていきたい。