東京都知事・舛添要一氏が,政治資金の私的流用などを巡って痛烈な批判にさらされている。前任の猪瀬直樹氏もまた金銭を巡る問題で大批判を受け辞任に至った。東京都知事はなぜこうも金に汚なく見えるのだろうか。
現在の「悪代官」的な都知事像を創り上げたのは言うまでもなく石原慎太郎氏だろう。氏は強力な個性とともに「都政の私物化」を批判され続けた都知事だ。石原氏の前任の青島幸男氏は金よりもむしろ知事としての無能を批判されていた。これ以前になると平成バブルがあり,田中角栄時代に代表されるような金権政治の名残もあり,都知事の金遣いが大きな問題になるような時代でもなかっただろう。
石原氏が都知事に就任した希哲前7年(1999年)は,いわゆる「失われた十年」の末期にあたる。平成バブルが崩壊し,日本経済停滞の長期化が自覚され始めたころだ。インターネット バブルの始期でもあるが,それも間もなく崩壊し日本には悲観論が蔓延した。氏がトーキョーワンダーサイトを巡って公私混同を批判されたのもこの頃だ。その一方で都心回帰が進み,地方衰退が叫ばれた。つまり,東京一極集中の真っ只中だ。日本全体が貧しさを感じるようになる一方で,絶対的にも相対的にも東京は圧倒的な経済力を誇るようになった。都知事に対する感情の変化を考える上で,こうした時代背景の変化は見逃せない。
つまり,昨今の都知事を巡る金銭問題というのは,東京一極集中の一側面なのではないか,ということだ。もちろん,政治家個人の資質に問題がないとは言えない。ただ,極めて金に溺れやすい環境であるのも確かだろう。そもそも政治家に聖人君子などほとんどいないことを考えれば,この環境で問題を起こさずしっかり行動できる政治家を求めてしまうのは不毛なことかもしれない。