{希哲15年2月18日の日記 K#F85E/E74C-F69D}宇田川浩行 デライト文書整備に入ってから,改めてデライトを言語的に表現することの難しさを痛感している。 そもそも原点である閃きは非言語思考の産物であり,デライトも既成概念の延長線上や組み合わせでは表現出来ない体験を形にしたものだ。 これを伝えることの難しさは,近年の例でいえば仮想現実に近いものがある。もっと大袈裟に言えば禅みたいなものかもしれない。 (1){希哲15年2月20日の日記}
{あれ K#F85E/5B28-C613}宇田川浩行 まあ,いま世間でいう「第二の頭脳」というのはちょっと便利なメモサービス,メモアプリ程度のものであって,私が言っているのは紛れもなく頭脳の延長線上で数百万,数千万の概念を保存出来る知能増幅技術のことなので,誰もピンと来ていないのかもしれないのだが……。
{あれ K#F85E/5B28-8501}宇田川浩行 この急進性はデライトの分かりにくさにも繋がっている。いま人気の個人知識管理サービス(PKMS)って,やっぱりこれまであったものの延長線上で理解しやすいように作られている。デライト以外にも大胆な試みの PKMS はあるが,悉く埋もれている。
{あれ K#F85E/5B28-73D7}宇田川浩行 知能増幅が人工知能に比べて等閑視されやすい理由として,人体改造的な印象があることと,科学技術の延長線上にある人工知能と異なり,知能増幅というのは我々の世界観を揺るがすものだから,というのがある。
{あれ K#F85E/5B28-DF44}宇田川浩行 私は,いわゆる西洋思想を「語りの文化」,東洋思想を「悟りの文化」と表現している。社会が多様化すると言語の役割が増すので,語りの文化が発展しやすい。その延長線上にあるのがウィキなのだと思う。
{あれ K#F85E/5B28-E582}宇田川浩行 「知能増幅」(IA)という技術が,その必要性の明白さにもかかわらず人工知能などと比べて理解されにくいのは,それがまさに「哲学技術」だから。科学技術の延長線上でとらえにくい。
{あれ K#F85E/5B28-ED50}宇田川浩行 「柔よく剛を制す」から取った「柔品」(ソフトウェア)という希哲館訳語も,日本文化の延長線上でソフトウェアという概念を捉えることを初めて可能にしたが,日本経済最大の課題である脱工業化を象徴しているようでもあり,スルメのような味わい深さがある。
{あれ K#F85E/5B28-E575}宇田川浩行 人工知能や仮想通貨は,現代的世界観の延長線上にある「延長的技術」だが,知能増幅は,全く異なる世界観に飛び移るような飛躍的技術。デライトがこれを実現出来るかどうか。