折角なので,昨日の一日一文で書いた「希哲館」命名の思い出話を続けてみよう。
14年ほど前,当時の私が持てる知識と理想の全てを注ぎ込み,名付けたのが「希哲館」だった。その後,私は膨大な造語や翻訳語を考案し,様々な物事の名前を考える営みを「最小文学」とすら呼ぶようになった。しかし,「希哲館」を越える名前が出来たと思えたことはない。そういう意味では私の最高傑作だ。
名を体を表すとも言うが,ある名前が良いかどうかは,それが指し示す物によって変わるものだ。醜いものにどれだけ表面的に美しい名前を付けても,それは良い名前とは言えない。
後に「希哲館」と呼ばれることになる“それ”は,デライトの基礎にもなっている輪郭法を武器に,知による産業革命と知を共有する民主主義の確立を目指す機関として構想されたものだ。それは在野の自由と力強さを持ちながら,未来の公共を担う大きさをも兼ね備えていなければならない。これに対する「希哲館」以上の名前はいまだに見つかっていない。
さて,「希哲」の部分に関しては昨日の一日一文で書いた通りだが,この「〜館」の部分にもそれなりのこだわりがあった。
「希哲院」では気取り過ぎ,「希哲屋」「希哲軒」「希哲亭」では気軽過ぎ,「希哲楼」では派手過ぎ,「希哲庵」では地味過ぎ……最終的に,「希哲館」以外では「希哲堂」や「希哲荘」などが有力候補だった記憶がある。
「〜館」は,近世までは藩校(明倫館・造士館……)などによく見られ,近代以後は大使館・公民館・図書館・博物館・美術館など,交流や文化に関わる施設に広く使われるようになった。明治時代の「鹿鳴館」,バグダードの「知恵の館」(バイト・アル=ヒクマ)のように歴史的な事業を連想させるものでもあった(後に薩摩藩の「集成館」にも似ていることに気付き,集成館事業になぞらえ「希哲館事業」という表現を使うようになった)。「館」が持つ歴史的な用法や現代におけるイメージを総合して,これが最も思い描いているものに近いと考えたわけだ。
……「希哲館」に関する話は,まだまだ書き尽くせそうにない。また気が向いたら続きを書こう。