全体に意味付けられる差子(ヘテロン)の集合。
本質的に循環性を持つ。
まただいぶ間をあけてしまった一日一文だが,少しゆとりも出来てきたのでぼちぼち再開したい。継続性について考えてしまうといつまでも再開出来ないので,停止したり再開したりは今後も繰り返しながら,あまり気負わずやっていく。
半年ほど前から,デライト市場戦略にも大きな変化が生じている。個人知識管理サービス市場での競争よりも SNS 市場での競争という意識の変化だ。
当初から次世代の個人知識管理サービス(高機能メモサービス)としての売り込みを考えてきたデライトだが,2年以上の市場活動を通して,“時期尚早”の感が拭えなくなってきていた。
「デライトは従来の個人知識管理サービスとは桁違いの情報を扱える」という趣旨の発言をしたところ,その意図を全く理解出来なかった一部界隈から怒られるという,今となっては笑い話のような出来事(N10K 騒動)もあったが,最近,Notion の小さな流行にも考えさせられることが多かった。
綺麗で仕組み作りが楽しいと評判の Notion は,個人知識管理においてはどちらかというと初心者向けのツールだ。
よく,「勉強が出来る人のノートは意外と汚い」などと言われるが,個人差はあれど,その傾向があることに不思議はない。優れた記録術というのは,自分にとって必要な情報を的確かつ効率的に記録して取り出せる技術であって,それは他人から見て綺麗なものではないことが多い。それどころか,自分の理性に反するものであったりもする。
知識管理に限らず,経験を重ねるということは,事前の想定や計画が通用しないことの多さを学ぶということでもある。美しい理想を掲げる独裁政治や計画経済が破綻し,無秩序に見える民主主義や市場経済が繁栄してきたのは,人間が思い描く理想や計画がしばしば現実の複雑性に対応出来ないからだが,知識管理にも同じことが言える。だから,熟練者ほど無秩序に耐えうる単純で柔軟な仕組みを好む。一方,初心者ほど見栄えや「型」にこだわってしまう。
個人知識管理という一点においては厳しい言い方になってしまうが,そういう意味で Notion は,「必要以上に綺麗にノートを取ろうとする勉強が出来ない人」のためのツールと私の目には映っている。Notion 人気が今の市場の成熟度を表しているのだろうとも思う。もちろん,入門者向けツールとしての意義を否定しているわけではない。それはそれで役割がある。
要は,高々数万ページの利用でヘビーユーザーとみなされたり,Notion が人気を集めたりする個人知識管理サービス市場の現状にあって,「頭の中のあらゆる情報をほぼそのまま書き出せるメモサービス」としてデライトを売り込むのにそもそも無理があったのではないか,と真剣に考えざるをえない段階に来ていたわけだ。元々,全く考えないことではなかったが,他に売り込みようもなく,考えても仕方ないことではあった。
時間の問題とはいえ,市場の成熟をただ待っていたら,デライトが自然に受け入れられるのは奇跡的に早くて数年,そこそこ早くて十年,最悪,私が生きている内には無理かもしれない。
もう一つ,デライトの市場活動で私が学んだのは,「個人知識管理に関心がある層は意外と保守的」ということだった。コンピューターとインターネットを活用して知識を管理しようなんて人はきっと好奇心旺盛だからデライトにも注目してくれるだろう,という今思えばかなり甘い見込みは見事に外れた。これまでの自分のやり方,自分の考え方から離れられない人が思いのほか多かった。
考えてみれば記録というのはそもそも保守的な行為だし,この手のツールに関心がある人はそういう性格的傾向があるのかもしれない。それに加えて,個人知識管理ツールは性質上評価に時間がかかる。ある程度の期間使い込んでみないと真価は分からないので,新しいものに時間をかけるのは勇気が要る。そこに対してデライトは急進的過ぎたし,破壊的過ぎた。
そんなことをよく考えていた時期に,イーロン・マスクによる Twitter 買収という出来事があった。新しい突破口を求めていたデライトにとって,紛れもなく,千載一遇の好機だった。
これには,デライト以前からあった KNS(knowledge networking service)という構想が大きくかかわってくる。次回の一日一文では,KNS と新しいデライト市場戦略について掘り下げたい。
開発では地味な作業の積み重ねが目に見える成果になってくる一番楽しいところに来たが,ふと思い立って,雑務の抜本的な見直しも始めた。いよいよ本格的にデライト以前のような生活に戻れそうだ。
ここ半年ほど,希哲館事業外での体験に求めるものが増えてきたような,不思議な心境の変化を感じていたが,その原因も少しずつ掴めてきた。やはり,長期戦態勢に切り替えたあたりから精神的なゆとりが出来たのだろう。
新生デライトの完成を目前に第五次デライト市場戦略も固まり,気付けばデライトの完全な成功や希哲館事業の成功に対する焦りも無くなっている。油断するわけではないが,もうここまで来たら,あとはばら成し良く色々なものに磨きをかけながらその時を待つしかない,という心境になっている。少なくとも最低限やるべきことはやったし,時代を迎えに来れるところまでは来た。
思えば,私の人生は17歳の頃から希哲館事業の不可能性との闘いだった。特に,デルンの実用化に向けて本格的に走り出した頃からは,希哲館事業外で使うあらゆる力とあらゆる時間が惜しかった。そんな呪縛からも解き放たれたようだ。
今はこのデライトがあり,知識も経験も十二分に得て多くの迷いが無くなり,希哲荘を中心とした理想的な生活環境も整っている。これでデライト以前のような安定感を取り戻せるならそれほど心強いことはない。もはや無敵だ。
そんなことを考えていたら高揚してきてなかなか寝付けなかった。
デライト3周年,コロナ収束,誕生日……と何かと大きな節目が重なる時期だが,それも気分の切り替えに一役買っているのかもしれない。デライト正式離立からの3年がコロナ禍の社会の雰囲気と共にあった,というのが特に大きいのかもしれない。
デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。
私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。
これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。
たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。
そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。
デライトが利用者達とどういう関係を築いてきたか,その具体例として,B̅ さん,t_w さん,cat さんを紹介したい。
デライトを公開した2020年から毎日のように使い続け,様々な形で貢献してくれた3名だ。開発上の都合で宣伝活動を抑制せざるをえなかった1年あまりの期間,デライトを日常的に使っているのが私とこの3名だけということもあった。
B̅ さんは,私の次に早くデライトを使い始めた,2人目のデライターだ。
「デライトの歩み」でも触れたように,デライトは2020年2月に「名目リリース」したあと,8月の「実質リリース」まで,ほとんど宣伝せず改良を続ける期間にあった。細かいことを気にしていたら埒が明かない,と公開してみたものの,やはり他人に勧められる出来ではなかった。B̅ さんが現れたのはそんな時期だった。それも,名目リリースの翌月だから,デライトが特にひどかった時期だ。
テスト程度の投稿はちらほらあったが,ある日,明らかに異質な投稿があることに気付いた。「希哲館訳語」に関する内容で,デライトの背景にある希哲館事業についても一定の理解があることが窺えた。しかし,当初は嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。
分かりにくいとよく言われる今のデライトとも比べ物にならないほど,当時は色々な意味でひどかった。
分かりやすいボタンの類はほとんどなく,ダブルクリックで編集欄を開いたり送信したりしていたので,一見して操作方法が分からなかった。デラング(デライト用の軽量マークアップ言語)には最低限の記法しかなかった。遅くて不安定だった上に,エラーやページ移動で入力途中の内容があっさり消えた。いわゆるページャーというものもなく,検索結果の輪郭も引き入れ関係にある輪郭も,最新10輪までしか表示出来なかった。アイコンどころか名前すら設定出来なかったので,自分と他人の区別は内容と知番の利用者番号でしていた。呼び方も当時の利用者番号で「K#9-D657 さん」だった。
設計意図を理解している者が辛うじて使える程度の出来だ。折角興味を持ってくれた人が悩みながら使っているのは見るに忍びなかった。それでも B̅ さんは,開発者が不思議に思うほど,粘り強く使い続け,理解しようとしてくれた。積極的な不具合報告や提案で,開発にも多大な協力をしてくれた。
納豆やウニみたいなものを最初に食べた人は凄いとよく言うが,B̅ さんに抱いている私の印象はそれに近い。普段の投稿でも,分野を問わず耳新しい情報をたくさん集めてきてくれる。知的好奇心の権化のような存在だ。
t_w さんは,B̅ さんが使い始めた何ヶ月か後に現れた。それでも実質リリースの前だから,出来のひどさは大して変わらない。
B̅ さん同様,開発にも様々な形で貢献してくれたが,驚いたのはその行動力だ。色々なことを考え付いてはすぐに実行する。デライトを利用した外部サービスやブラウザ拡張を初めて作ってくれたのも,外部サイトで紹介記事を初めて書いてくれたのも t_w さんだった。ついこの前そんなことをやりたいと言っていたな,と思ったらもうやっている。これはなかなか出来ることではない。
デライターとして外向きの活動は私以上に,誰よりもしているし,デライト内でも私に次いで投稿量が多い。その実験精神と行動力でデライトの使い方を大きく拡張してくれた。
実質リリース後,二度目の宣伝攻勢をかけていた2020年12月に cat さんが現れた。
cat さんも先の2名に負けず劣らず活発にデライトを利用し,開発に貢献してくれている人だが,遊びのような内容の投稿が比較的目立つ。最初は,冷やかしか荒らしかと思ったくらいだ。
それが,だんだんこの人の機械的ではない賢さ,「気が付く力」とでもいうべきものに敬意を抱くようになった。状況や場の空気をよく読んでいるな,と思うことが多いし,不具合報告にせよ提案にせよ,普通は気付かないようなことを的確に指摘してくれることも多い。堅く難解に見えがちなデライトの雰囲気を和らげてくれていたのだと,見ている内に気付いた。いわゆる「EQ」という概念にはあまりピンと来ていなかったが,こういう人のためにあるのかもしれない。
こういうサービスを公開して運営するのは私にとって初めての経験だった。サービスとして風変わり過ぎることもあり,最初は利用者に対して色々な不安があった。
例えば,偏屈な人ばかり集まって近寄り難い場所になるんじゃないかとか,反対に,広く浅く集め過ぎてつまらない場所になるんじゃないかとか,問題を起こす利用者が多くなったらどうするとか,色々なことを考えた。ありがたいことに,全て杞憂だった。
デライター達はそれぞれに良い意味で変わった部分を持っている人が多いが,今のところ,悪い意味で非常識な人はおらず,朗らかで良識ある人ばかりだ。問題という問題も起きていない。それでいてみんな,どこの誰が作ったのかも分からないこんなものを使おうとするくらい,旺盛な知的好奇心と柔軟性がある。リテラシーも高い。知識や技術は後から付いてくればいいものだが,すでに高度なものを持っている人も多い。
この開発者には出来過ぎた利用者達だ。こんな人達が中心にいてくれるなら,デライトの未来は明るいと思える。
こんな文章を書いているのは,デライター達に感謝の気持ちを伝えたかったのと同時に,間違った遠慮をなくしたかったからだ。デライターはまだ少ないので,どうしても開発者や古参に遠慮してしまう人が多いだろう。もちろん,それはデライトにとって望ましいことではない。
デライトが真に知的探究の場として機能し続け,発展し続けるために必要なこととして,平等であることと開放的であることを私は最重要視している。
黒いものでも白と言わなければならない誰かがいるとしたら,そこは知的に自由な場とは言えない。誰でも自由に参加して,誰にも気兼ねなく活動出来る場であり続けなければならないと強く思っている。
だから,デライトに“偉い人”は一人もいない。古参も開発者も,王も神も,デライトでは一人のデライターに過ぎない。そしてデライトの上にはいかなる権威もない。私は,そういう場を世界に広げるために,あらゆる困難と闘う覚悟をしてここまで来ている。
このデライトをこれから盛り上げていくのは,他でもない,全ての等しく尊いデライター達なのだ。
SNS における Twitter が,個人知識管理サービスにおける Evernote に似た位置付けになってきて,「SNS 戦国時代」の訪れを感じる。一時停滞感のあった「メモ戦国時代」も再び盛り上がりを見せており,KNS たるデライトにとっては最高の状況が出来つつある。
GAFAM は停滞期に入り,次の時代が模索されている。人工知能の実用化が急速に進んだことで,かつての「人工知能幻想」は鳴りを潜め,人間の知能が本当の問題であることに多くの人が気付きつつある。
KNS として,全知検索演心として,知能増幅技術として,この時代の課題に最も単純明快で最も強力な解答を提示出来るデライトは快調に開発を続けている。デライトと時代がようやく密致しつつあるのを強く感じる。
最近,Twitter の代替として注目されている Nostr を興味深く眺めている。ネット受けするのに,分かりやすさも使いやすさも信頼性も効率性も高度な機能も実は必要ない,ということの好例でもある。
既成概念の組み合わせである Nostr は難しいといっても多少の知識があれば理解出来るし共有出来る。適度な難しさだから共有したくなる。最も知識のある層にも理解し難いデライトとは出発点が違うものの,新生デライトの完成を目指した全力疾走の通過点として,こういう受容のされ方がすぐそこにあるかもしれないと思える。
現時点ではやはり \ce( ... \)
と \ce[ ... \]
が最も無難な記法であると結論付けた。
昨日直感的にこの記法を思いついたが,実際に使ってみると,閉じ括弧前の \
を忘れやすいという問題に気付いた。慣れの問題もあるので欠点と結論付けるのは早いが,数式記法の \( ... \)
と比べて \ce( ... \)
は括弧の対応関係が直感的に認識しにくいというのはありそうだ。
TeX では \ce{ ... }
を数式模動の内側に書く必要は無いため,いっそのこと,これだけでもいいのではないかと思った。
しかし,これだと化学記法というよりは TeX 風記法で mhchem を使っているように見えてしまう。TeX ではバックスラッシュと波括弧が多用されるからこれが自然に見えるだけで,デライトでこれがぽつんとあっても違和感が大きい。特に波括弧はデライトにおいて特別な記号なので,濫用は避けたい。いずれにせよ行内と別行立ての書き分けが出来ず,書き分けせずに文脈で挙動を変えれば TeX 的でもなくなるので,良い案ではなかった。
「似た機能は似た形態に」という言語設計の原則に立ち返ると,やはり化学記法は数式記法に似ているべきだろう。
では,閉じ括弧前のバックスラッシュを省略可にするかと考えたが,これは実装上の問題が大きい。入れ子になりうる閉じ記号の処理は出来なくはないが一気に面倒になる。しかも,化学記法でそれをすると数式記法でもしないと整合的ではなくなる。現時点で化学記法の使い勝手のためにそこまでの実装コストを払う意義は見出せない。
最近,デラング研究のためにも TeX についての理解を深めたいと思うことが多くなってきたため,ここで Windows 仮想機に MiKTeX と TeXworks を引装した。TeX Live は導入が煩雑過ぎた。
LaTeX 等について熱心に勉強していたのはだいぶ昔のことなので,知識が錆びついている。これでいつでも手定め出来る。
人工知能,仮想通貨・暗号通貨,仮想現実・仮想世界……等々,様々な分野が世界的な注目を集める中,これらを凌ぐ潜在力があるにもかかわらず,まともに語っているのは私だけなのではないか,と思えてしまう分野がある。それが「知能増幅」(IA: intelligence amplification)だ。
知能増幅というのは,文字通り,工学的に人間の知能を増幅させることを指す。古くからある研究分野だが,人工知能などに比べてその話題性は著しく乏しい(参考)。この言葉に「人体改造」に近い響きを感じる人は多いだろう。実際,脳にチップを埋め込む,遺伝子を書き換えるといった人体改造的な研究がこれまでの主流で,まず倫理的課題が大きかった。倫理的課題が大きければ技術的課題を解消するための実験などもしにくく,実用段階にある技術が存在しなかった。デライトが登場するまでは,古典的な SF の域を出ず,語れることも大して無かったわけだ。
先日の「デライトの使い方の考え方」で少し触れたように,デライトは,その知能増幅を誰でも簡単に触れるメモサービスとして実現した「知能増幅メモサービス」であり,「世界初の実用的な知能増幅技術」だ。どのように実現しているかはあの文章でざっと書いたので,今回は,この知能増幅メモサービスの意義について書いてみようと思う。
私は,ビッグ・テックや GAFAM などと呼ばれる世界最大の企業群(Google, Apple, Facebook, Amazon, Microsoft)が合併して「Microappglezonbook」となり,自分がその経営を思うままに出来たらどうするか,という思考実験をすることがある。答えはいつも変わらない。iPhone も Google 検索も Windows も,世界最大の SNS も世界最大の通販サイトも,何もかも売り払って,知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。
最近何かと話題のイーロン・マスク氏と入れ替わったとしても,やることは同じだ。テスラも SpaceX も Twitter も,何もかも売り払って知能増幅メモサービスの開発に全てをかける。ちなみに,氏の事業の一つには,まさに脳にチップを埋め込む系の知能増幅技術を扱う「ニューラリンク」があるものの,やはり,他の事業ほど目立った成果もなく,あまり知られていない。
つまるところ,あらゆる分野の中で,「知能増幅」が群を抜いて大きな可能性を持っていると私は考えている。これを多くの人が理解すれば,21世紀は間違いなく「知能増幅の世紀」になるだろう。世界初の実用的な知能増幅技術であるデライトは,その嚆矢だ。
長い前置きに似合わず,知能増幅メモサービスがなぜいま最も重要なのかという本題は,拍子抜けするほど単純明快な話だ。知識が最も価値を持つ時代において,最も価値のある知識は「知識を生み出す知識」であり,最も価値のある技術は「知識を生み出す技術」だからだ。まさにそれを研究開発するのが知能増幅という分野だ。そして,知能増幅メモサービスは,最も実現性の高い,実際にデライトが実現している知能増幅技術なのだ。
例えば,人工知能がいかに発達しようと,それを開発し管理し利用していくのはあくまでも人間だ。人間が愚かなまま機械だけが賢くなっても,人間社会にとってのボトルネックは必ず人間の愚かさになる。知能増幅技術は,人間のあらゆる知的活動を最も根源的な部分から持ち上げる技術であると言える。
……と,この単純明快な話を私がしたのは,昨日今日でもなければ一度や二度でもない。昔から,何度端的に語っても,意図するところが伝わった試しがない。どうもピンと来ていないというのか,大体の反応が「なるほど,で?」という感じだ。理屈はなんとなく理解出来ても,それが意味することの大きさを想像出来ていないのだ。その大きさを先に書いた理由だ。
思えば,この“ピンと来ていない感じ”というのは,「個人知識管理」(PKM: personal knowledge management)として認知されつつある分野に感じるものと似たところがある。その名の通り,個人が自らの知識を効果的に管理することに関してはすでに色々な方法論や技術が集められている。その代表的な手段として「メモ」があり,メモアプリやメモサービスなどと呼ばれるものも盛んに研究・開発されている。
このメモサービスを知能増幅に結び付けたのが「知能増幅メモサービス」というデライトの位置付けだが,これが,私が思っていたより変わった発想だったらしい,とデライトの宣伝を始めてから気付いた。個人知識管理の技術を発展させていけば,それは当然知能増幅に繋がる。この単純な発想が,意外にも共有しにくい。「デライトではこんな新しいことが出来る」と言っても,「なるほど,でも○○で間に合ってるから」という反応を受けることが多かった。そこには,想像していたよりずっと大きな温度差があった。
このあたりの分野をよくよく観察してみると,開発者にせよ愛好家にせよ,そこまで大きなビジョンを持っている人はほとんどいないことが分かる。要は,「生活術」とか「仕事術」とか「ライフハック」の範疇でしかとらえていない。個人知識管理が知能増幅に繋がり,それが世界を変える,なんて大それたことを考えている人間は,全くいないわけではないだろうが異端者だ。
私の立場からは「節穴同然の眼力」としか言えない分野の体たらくだ。「趣味の問題」で済む話でもない。そう思ったとしたら,ここまでの話が理解出来ていないか,想像力があまりにも足りない。ただただ,一人でも多くの人がこの分野の本当の可能性に気付いてくれることを願って,私は叫び続けている。