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{日本のウェブサイトはなぜダサいのか K#F85E/DCCF}

日本ウェブサイトは古い,ダサい,などと話題にされることがある。確かに,巨大なサイトほどデザインの稚拙さが目立つし,一般に,型にはまったようなデザインか,そうでなければチラシ並の野暮なデザインが多い。

よく思うのは,いまの日本では「ウェブサイト評論」が死んでいるということだ。個人的な印象だが,2000年頃の日本では,ウェブサイトに関する議論が盛んだった。CSS を利用したデザインを競いあったり,マークアップの作法から,ユーザビリティアクセシビリティまで口うるさく評論するようなアマチュアも数多くいた。実験的なサイトもよく作られていたし,全体として活気があった。むしろ,アメリカのサイトの方が大味でセンスに欠けるという風潮があったくらいだ。2000年頃といえばインターネット・バブルの崩壊期だが,確かにこれ以降,日本ではウェブサイトに関する話題が下火になった感がある。

どの世界でも評論というのは,創作物に対しての世間の眼識を洗練させる役割がある。それによって業界には緊張感が与えられる。良いものを作れば立場に関わらず賞賛され,悪いものを作れば立場に関わらず非難されることで,健全な新陳代謝を促すわけだ。評論が死んでいる業界というのは,権威主義的で,質は問わず売ったもの勝ちの世界で,例えばいまの日本の出版業界もそうだ。「日本のウェブサイトはダサい」なんていう話題にしても,ちゃんと理論的な立場から指摘している人はほとんどいない。その多くが「なんとなくかっこ悪い」程度の感想文でしかない。そういう人が,デザインに調和させることが難しい日本語を避け,場違いな英文を使ってスタイリッシュに見せかけるような薄っぺらいテクニックに騙されてしまったりする。かと思えば,「有名なサイトなんだからそれがデザインの正解なんだ」などと思考停止に陥いってしまう人がいる。明らかに,評論と言える水準の議論が存在していないことが,まさにこの「ダサい議論」から分かってしまう。

さらに,0X年代後半から Ajax などが台頭し,高度なウェブ アプリケーションの時代に入ってから,日本人は技術的にもついていけなくなってしまった。個人が自分のサイトを作るという時代から,ブログのようなサービスを利用するという時代になったこともあり,アマチュアが育つ土壌も失なわれてしまった。

結果として,いまのウェブ制作業界では,技術の後追いや,すでに確立したデザインの引き写ししか出来なくなってしまった。いまさらウェブサイトを持つだけでは販促に繋がらないことを顧客も知っているし,低予算の中で,人材も育っていないという状況だ。リスクをとって前衛的なサイトを作ったところで,世間は評価してくれない。制作会社も現状維持が精一杯だ。