意味の集合?
デライトも公開から2年半ほど経ち,色々な人が興味を持ってくれたり,使ってみてくれたりした。遠くから眺めているだけの人,登録してみただけの人,たまに使う人,いつも使っている人……風変わりなデライトでも,出会った人の多様性は他のサービスとさして変わらない。
私は,そんな全ての“デライター”とデライターの卵達に深く感謝している。付き合いの長さも深さも関係ない。デライトに否定的な人ですら,知ってくれただけでありがたいと思う。
これがよくある社交辞令ではないということは,前回の一日一文,「デライトの歩み」を読めば分かるだろう。そもそも全く無謀な挑戦として始まったのがデライトだ。成功どころか,誰にも認められず終わるかもしれない。それならまだいい。弾圧や暗殺で命を失うかもしれない。10代の内にそこまで想像して葛藤を乗り越え,20年かけてここまで来た。
たとえるなら,デライトの歩みとは,真っ暗な巨大洞窟を一人で彷徨うようなものだった。どこかに新しい世界につながる出口がある。生きている内に辿り着けるかどうかは分からない。そんな洞窟を歩き続けていた時に見えた光,聞こえた人の声。それが私にとってのデライト利用者であり,デライトへの声だ。
そして今,デライトは「完全な成功」一歩手前と言えるところまで来ている。すでに夢のようなことだ。感謝せずにいられるだろうか。
デライトが利用者達とどういう関係を築いてきたか,その具体例として,B̅ さん,t_w さん,cat さんを紹介したい。
デライトを公開した2020年から毎日のように使い続け,様々な形で貢献してくれた3名だ。開発上の都合で宣伝活動を抑制せざるをえなかった1年あまりの期間,デライトを日常的に使っているのが私とこの3名だけということもあった。
B̅ さんは,私の次に早くデライトを使い始めた,2人目のデライターだ。
「デライトの歩み」でも触れたように,デライトは2020年2月に「名目リリース」したあと,8月の「実質リリース」まで,ほとんど宣伝せず改良を続ける期間にあった。細かいことを気にしていたら埒が明かない,と公開してみたものの,やはり他人に勧められる出来ではなかった。B̅ さんが現れたのはそんな時期だった。それも,名目リリースの翌月だから,デライトが特にひどかった時期だ。
テスト程度の投稿はちらほらあったが,ある日,明らかに異質な投稿があることに気付いた。「希哲館訳語」に関する内容で,デライトの背景にある希哲館事業についても一定の理解があることが窺えた。しかし,当初は嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。
分かりにくいとよく言われる今のデライトとも比べ物にならないほど,当時は色々な意味でひどかった。
分かりやすいボタンの類はほとんどなく,ダブルクリックで編集欄を開いたり送信したりしていたので,一見して操作方法が分からなかった。デラング(デライト用の軽量マークアップ言語)には最低限の記法しかなかった。遅くて不安定だった上に,エラーやページ移動で入力途中の内容があっさり消えた。いわゆるページャーというものもなく,検索結果の輪郭も引き入れ関係にある輪郭も,最新10輪までしか表示出来なかった。アイコンどころか名前すら設定出来なかったので,自分と他人の区別は内容と知番の利用者番号でしていた。呼び方も当時の利用者番号で「K#9-D657 さん」だった。
設計意図を理解している者が辛うじて使える程度の出来だ。折角興味を持ってくれた人が悩みながら使っているのは見るに忍びなかった。それでも B̅ さんは,開発者が不思議に思うほど,粘り強く使い続け,理解しようとしてくれた。積極的な不具合報告や提案で,開発にも多大な協力をしてくれた。
納豆やウニみたいなものを最初に食べた人は凄いとよく言うが,B̅ さんに抱いている私の印象はそれに近い。普段の投稿でも,分野を問わず耳新しい情報をたくさん集めてきてくれる。知的好奇心の権化のような存在だ。
t_w さんは,B̅ さんが使い始めた何ヶ月か後に現れた。それでも実質リリースの前だから,出来のひどさは大して変わらない。
B̅ さん同様,開発にも様々な形で貢献してくれたが,驚いたのはその行動力だ。色々なことを考え付いてはすぐに実行する。デライトを利用した外部サービスやブラウザ拡張を初めて作ってくれたのも,外部サイトで紹介記事を初めて書いてくれたのも t_w さんだった。ついこの前そんなことをやりたいと言っていたな,と思ったらもうやっている。これはなかなか出来ることではない。
デライターとして外向きの活動は私以上に,誰よりもしているし,デライト内でも私に次いで投稿量が多い。その実験精神と行動力でデライトの使い方を大きく拡張してくれた。
実質リリース後,二度目の宣伝攻勢をかけていた2020年12月に cat さんが現れた。
cat さんも先の2名に負けず劣らず活発にデライトを利用し,開発に貢献してくれている人だが,遊びのような内容の投稿が比較的目立つ。最初は,冷やかしか荒らしかと思ったくらいだ。
それが,だんだんこの人の機械的ではない賢さ,「気が付く力」とでもいうべきものに敬意を抱くようになった。状況や場の空気をよく読んでいるな,と思うことが多いし,不具合報告にせよ提案にせよ,普通は気付かないようなことを的確に指摘してくれることも多い。堅く難解に見えがちなデライトの雰囲気を和らげてくれていたのだと,見ている内に気付いた。いわゆる「EQ」という概念にはあまりピンと来ていなかったが,こういう人のためにあるのかもしれない。
こういうサービスを公開して運営するのは私にとって初めての経験だった。サービスとして風変わり過ぎることもあり,最初は利用者に対して色々な不安があった。
例えば,偏屈な人ばかり集まって近寄り難い場所になるんじゃないかとか,反対に,広く浅く集め過ぎてつまらない場所になるんじゃないかとか,問題を起こす利用者が多くなったらどうするとか,色々なことを考えた。ありがたいことに,全て杞憂だった。
デライター達はそれぞれに良い意味で変わった部分を持っている人が多いが,今のところ,悪い意味で非常識な人はおらず,朗らかで良識ある人ばかりだ。問題という問題も起きていない。それでいてみんな,どこの誰が作ったのかも分からないこんなものを使おうとするくらい,旺盛な知的好奇心と柔軟性がある。リテラシーも高い。知識や技術は後から付いてくればいいものだが,すでに高度なものを持っている人も多い。
この開発者には出来過ぎた利用者達だ。こんな人達が中心にいてくれるなら,デライトの未来は明るいと思える。
こんな文章を書いているのは,デライター達に感謝の気持ちを伝えたかったのと同時に,間違った遠慮をなくしたかったからだ。デライターはまだ少ないので,どうしても開発者や古参に遠慮してしまう人が多いだろう。もちろん,それはデライトにとって望ましいことではない。
デライトが真に知的探究の場として機能し続け,発展し続けるために必要なこととして,平等であることと開放的であることを私は最重要視している。
黒いものでも白と言わなければならない誰かがいるとしたら,そこは知的に自由な場とは言えない。誰でも自由に参加して,誰にも気兼ねなく活動出来る場であり続けなければならないと強く思っている。
だから,デライトに“偉い人”は一人もいない。古参も開発者も,王も神も,デライトでは一人のデライターに過ぎない。そしてデライトの上にはいかなる権威もない。私は,そういう場を世界に広げるために,あらゆる困難と闘う覚悟をしてここまで来ている。
このデライトをこれから盛り上げていくのは,他でもない,全ての等しく尊いデライター達なのだ。
取り急ぎテンプレートを整理して,輪郭ページの吊るし輪郭を入れていた要素を <header>
から <main>
へ,輪郭ページの輪郭一覧を <main>
から <div>
に切り替えた。前後景一覧ページでは従来通り。
特に急ぎたかった部分が上手く片付き,残るは内部的な問題のみなので,輪郭ページ改良はここで中断することにした。
閲覧専用模動の実験をしていた時,輪郭ページの輪郭一覧を隠すと <header>
だけのページになってしまうことに気付いたのが事の発端だった(15日14歩)。
あまり意識してこなかったが,輪郭ページの概念と実装に大きな不一致が生じていた。一時凌ぎのつもりで後景一覧ページを輪郭ページに使うようにしたのはデライト離立補完中の希哲14年8月5日だった。当時と今とでは輪郭ページの捉え方も輪郭の充実度も全く違う。
予てから検索模動・輪郭模動の内部的な切り分けが中途半端なまま進んでいない問題もあったため,抜本的な輪郭ページ改良の方針をまとめた(17日8歩)。
最近の検索演心はそこまで神経質ではないと言っても,<header>
と <main>
の違いは流石に小さくないだろう。何より,気付いてしまうと表現として気持ち悪いので早く解決したかった。
当初,輪郭ページの輪郭一覧には <aside>
を使うつもりだったが,すでに広告で使っていることに気付いた。入れ子にしていいものなのか判然としない。<footer>
も違和感がある。後景一覧が重要な場合も多々あるので,無難に <div>
にしておいた。要素名に依存する交度は排除したため変更は容易い。
将来的には描写内容や後景輪数などで細かく切り替えてもいいかもしれないが,今はこれくらいで十分だろう。
まず,吊るし自輪郭の中後景線の太さを2pxから3pxに変更した(調整前・調整後)。輪郭一覧で自輪郭は2px,他輪郭は1px,吊るし他輪郭は2px,新規描出フォームでは中景線2px(点線を目立たせるため)・後景線1pxという設定だったが,これは良いばら成しなので現状維持とする。
輪郭ページ改良の作業途中,装体が崩れ吊るし輪郭と一覧の輪郭が同じ大きさで表示されることがあった(ともに自輪郭)。この時,微妙な違和感を覚えた。何となく中後景線の太さを変えていた気がしたが,同じ2pxだった。
奇しくも先日,一覧の輪郭と吊るし輪郭が見分けにくいという相談を受け,あれこれ考えていたところだった。個人機で使っている分には横幅の違いで見間違えることは考えにくいが,確かに,たまにスマホで見ると感覚的に区別しにくいという問題があった。ただ,よく見ると区別出来る要素はそれなりにあるので,これ以上何かを加えるというのも難しいと感じていた。横幅に大きな差を付けるわけにもいかなかった。渡りに船とはこのことだ。
吊るし輪郭の中後景線の太さはだいぶ前に色々いじり,3pxや4pxも試したことがあった。ただ,その時は必要以上に重々しく見えるというような理由で2pxくらいに留めた気がする。はっきり覚えていないくらいだから感覚的だったのだろう。今試してみると,全然悪くない。要素が増えたりしてばら成しが変わったのかもしれない。他人に見せるには大袈裟だが,自分向けの装体なので分かりやすければいい。
その他,画面幅によって輪郭選り手のボタン類の位置が微妙にずれていた問題,吊るし輪郭と輪郭一覧の間が詰まり過ぎていた問題など,こまごまとした問題を解消した。
無理をしないと書いたそばから,調子が良いを通り越して過熱気味で,また寝るのが遅くなってしまった。
開発では輪郭選り手の改良に熱中し,輪郭整備もまたお預けとなった。ただ,描出効率の大きな向上が見込める改良となり,今後の輪郭整備を考えればむしろ良かった。きっかけは昨日の開発での不具合修正で,これも怪我の功名だった。
輪郭選り手改良に意識が向いたのは,最近,執筆環境としてのデライトへの期待が高まっていたからかもしれない。もちろん,デライト文書整備が念頭にある。
デライトの完全な成功までの「最後の壁」だと思っていたものを突破しては次の壁にぶつかるということを繰り返してきたので,“その時”が来るまで,結局何が「最後の壁」なのかは分からないだろう。
用者が大きく増えないままデライトが進歩し,洗練されるたびに不思議な感覚を覚えてきた。こんなに凄いものをこんなに少人数で使っていることに,罪悪感に近いものを覚える。隠しているわけでもないのに独占しているみたいだ。事実,デライトほど構想的・技術的に高度で,高品質で,なおかつ無名なサービスは他に無いだろう。
現在のデライトを俯瞰した時,明らかに欠けている大きな部分はもはや一つしかない。それが“文書”だ。
正式離立から適当な状態のまま,ほとんど手を入れていないデライト文書の整備を遅らせてきたことには,修正回数を最小限に抑えるという戦略的な理由があった。実際,ここまでのデライトの急激な変化にいちいち文書を追随させていたら,デライト開発自体がここまでの速さで進んでいないだろう。第二次快調期と第四次宣伝攻勢を経て,安定感が出てきた今が一番効率的・効果的に文書整備を進められる時期なのは間違いない。
それとは別に,自分にとって一番気が重い仕事を先送りにしてきたという側面がなくもない。それは恐らく,自分自身の言語能力を究極的なところで試される仕事だからだ。
デライトも希哲館事業も,難しい,分かりにくいとよく言われるが,その原因のほとんどは概念の独自性や複雑性だ。そうしたものに乏しい事業発足間もない頃は,むしろ,分かりやすい文章を書くことを評価されていた。私自身のその得意意識が,かえって難解さに対する蛮勇につながっていた。生きて帰る自信があったからこそ巨大迷宮に入れたわけだ。
この未曾有の大事業15年の結晶にして未曾有の技術であるデライトを“分かりやすく”言葉で表現する仕事。本業中の本業であり,もはや文学的探究ですらあるデライト文書整備と向き合わざるをえなくなっている。その前に「完全な成功」が訪れて欲しいと,心のどこかで願っていた。いずれやることとはいえ,時間に追われながらやることではない。
この無理難題を前にして唯一の希望となっているのが,他でもないデライトそれ自身だ。執筆環境・発信媒体としてのデライトに磨きをかけることが文書整備の成功に,ひいてはデライトの完全な成功に,更には希哲館事業の成功につながる。最近のデライト開発には,そんな意識が反映されている気がする。
dlt.kitetu.com
}{デライト2周年}{難}{一段落}{一編}{研究}{話}{今}{形}{英語}(600)デライトは,今年の2月13日に2周年を迎えたばかりの若いサービスだ。しかし,その背景には長い長い歴史がある。詳しく書くと書籍数冊分くらいにはなる話だ。デライトの完全な成功を目前にした良い頃合いなので,駆け足で振り返ってみたい。
技術としてのデライトは,私が17歳の頃,主に哲学と情報学への関心から「輪郭法」を閃いたことに始まる。2002年,もう20年前のことだ。デライトにおける輪郭法の応用については,「デライトの使い方の考え方」で出来るだけ簡単に解説したつもりだが,本来の輪郭法は,“輪郭という概念を中心にした世界の捉え方”であり,哲学用語でいう「弁証法」に近い位置付けの概念だ。
このアイデアが,哲学上の理論に留まらず,極めて実践的で,極めて強大な技術になりうることに気付くのに時間はかからなかった。これを応用することで,計算機科学における長年の最重要課題を解決し,知能増幅(IA)技術の実用化につなげることが出来る(参考)。すでに IT 産業の勢いが明らかだった当時,これは“世界史上最大の成功”と“知識産業革命”への道が開けたことを意味していた。
さらに,アメリカ同時多発テロ事件が起こって間もない頃だ。後の英米政治危機,世界に広がる社会分断,SNS の暴走,そして目下のウクライナ侵攻を予感させる事件だった。
あらゆる争いの背景には,世界の広さに対する人間の視野の狭さと,それによる“心の分断”がある。当時から私はそう考えていた。我々は,世界の一部分をそれぞれの立場から見ているに過ぎない。立場が違えば見える世界も違う。その衝突を回避出来るとすれば,個々人の世界に対する視野を広げるしかない。輪郭法の応用技術にはその可能性があると感じていた。この考え方が現在の KNS という概念につながっている(参考)。
この閃きは止まるところを知らなかった。17歳の少年の人生観も世界観も,何もかもを瞬く間に作り替えてしまった。この閃きをどこまで大きく育てられるか,それだけを考える人生になった。適当に金に換えることも出来たかもしれないが,世界にかつてない平和と豊かさをもたらす鍵を手に入れたようなものだ。中途半端な売り物にすることなど,現実には考えられなかった。能う限り最高の状態で世に出さなくてはならないと思った。
もちろん最初は,とんでもない宝くじに当たったような気分だった。天にも昇る心地とはこのことだろう。どんな人生の喜びも,この喜びには勝るまい。少しばかり時間が経ち,冷静になるにつれ,呪いのような重圧に苦しむようになった。
理論や技術として完成させられるかどうかは時間の問題だと考えていた。本当の問題はその先にあった。地動説にせよ進化論にせよ,世界の見方を大きく変える考えには無理解や反発が付き物だ。常識を越えた考えであればあるほど,その壁は大きくなる。どれだけ努力しても,死ぬ前に認められることはないかもしれない。当時の私は,エヴァリスト・ガロアのように生涯を閉じるのではないかと想像していた。偉大な発見をしながら夭折し,死後何十年も経ってようやく評価された数学者だが,なんとなく親近感を覚えていた。
そして,技術は良い方にも悪い方にも利用されるものだ。これが「世界初の実用的な知能増幅技術」になるとすれば,最初に使うであろう私は「世界初のトランスヒューマン(超人間)」になる。全人類の模範となって,人々を未踏の領域へと導く……自分がそんな重責を担える人間だとは,まるで思えなかった。能力はともかく,昔から自分の人間性を全く信用していなかった。
無論,そんな自信は20年ほど経ったいまでも無い。それでもここまで来たのは,曲がりなりにも出来そうな人間が自分以外にいなかったからだ。何もしないよりは,挑戦して失敗例を残す方が良い。それに,一度ここまでのことを考えた人間が,何食わぬ顔で平凡に生きていけるわけもなかった。
色々な葛藤を乗り越えて,2007年,22歳で「希哲館事業」を始めた。輪郭法を応用した知能増幅技術の開発・管理・普及活動を中核として,知による産業革命と知による民主主義の確立を目指す事業だ。
「希哲館」というのはこの事業の中心となる機関として構想したもので,その名は「哲学」の元となった「希哲学」という古い翻訳語にちなんだものだ。
「知を愛すること」を意味するフィロソフィーを「希哲学」と昔の人が意訳し,それがいつの間にか「哲学」として定着したわけだが,日本語で哲学というと,思想家や学者など一部の人のもの,という語感がある。実際,誰もが賢哲にはなれないだろう。しかし,誰でも「希哲」(知を希求する人)にはなれる。これからの時代に最も重要で,万人が共有出来る価値観を表現する言葉として,これ以上のものは見つからなかった。
情報技術を中心に知識産業が絶大な力を持ち,その反動からいわゆる反知性主義が世界中で社会分断を招いている今,この観点への確信は当時以上に深くなっている。
見ての通り,希哲館事業の一環であるデライトは当初から意図的に dlt.kitetu.com
というドメイン名で運営している。それも背景を踏まえればごく自然なことだが,利用者には分かりにくいことだった。今後,こうして説明する機会も増やしていきたい。
事業開始後間もなく,運が良いことに裁量の大きいシステム開発の仕事を得られたりして,それを足掛かりに技術的な蓄積を進めていった。
そして,2012年,26歳で輪郭法応用技術「デルン」の実用化に成功した。輪郭法は英語で〈delinography〉としていたので,それを縮めて〈deln〉とした。ウィキともブログとも異なる全く新しい CMS であり,おかしな語感もこれらにならった(参考:「デルン」の由来)。
しかし,世に出すことをすぐには考えられなかった。なんとか使えるようになっただけで,製品としては難が多過ぎたし,市場戦略や知財戦略も全く固まっていなかった。構想の大きさが大きさだ。万が一にも失敗は許されない。可能な限り技術としての完成度を高め,万全を期して世に出す必要があると考えていた。
それまでは,デルンそのものを製品化するのではなく,背後でデルンを利用したサービスで資金稼ぎするつもりだった。結局そう上手くは行かないまま,デルンと周辺技術の開発,応用法の研究,希哲館事業構想の体系化といったことに時間を費す生活が続く。
デルンを世に出す準備を始めたのは,実用化からさらに5年ほど経った2017年のことだった。私は32歳になっていた。
諸々の調査・研究・開発が一段落したところに,ブレグジットやトランプ当選などを巡り社会分断が世界中で顕在化した頃だった。特に着目したのは,その背景に SNS があったことだ。デルンによって SNS を知的交流の基盤に拡張する──長年温めていた KNS(knowledge networking service)構想を活かすならここしかないと思った。
それから1年ほどかけ,デルンの製品化に向けての検討を重ねた。2018年,最終的に,誰でも簡単に使えるメモサービスとして公開することに決めた。これが,ライト版デルン(Deln Lite),「デライト」(Delite)の始まりだった。
あとはひたすらサービス公開に向けた作業に没頭し,2020年2月13日24時15分,ついにデライトという形でデルンが,ひいては輪郭法が世に出ることになった。
ただ,後に「名目リリース」と呼んだように,積極的に人に見せられる出来ではなかった。公開はしていたものの宣伝はほとんどせず,改良を続けてなんとか最低限の品質になったと判断出来たのは同年8月13日のことだった。これを「実質リリース」と呼んでいる。私は35歳だ。
不完全な形での公開に踏み切ったのは,ソフトウェア開発において「完璧主義」が仇となりやすいからだ。不完全でも早く世に出して修正を繰り返した方が良い。そしてこれは正しかった。ソフトウェア開発では常識に近いことで,私も頭では分かっていたが,実は半信半疑だった。
実際,デライトに多大な貢献をしてくれている常連利用者の2名は,名目リリースから実質リリースの間に使い始めている。内心,誰も使わないだろうな,と思いながら一応公開していたわけだが,予測は良い意味で裏切られた。
デライトの公開からは,本当に,本当に,色々なことがあった。あまりに色々なことがあり過ぎて,時間の感覚もおかしくなっている。わずか2年前が大昔のようだ。とてもではないが,ここには書き切れないし,今はこれ以上書く気にもなれない。そもそも読み切れないだろう。
ただ,確かなことは,奇跡のように素晴らしい時間だった,ということだ。理解ある利用者達とともに,夢と希望に満たされて,デライト開発は快調に進んできた。“デライター”達への感謝はまた別の機会にしっかり綴るつもりだが,本当に皆のおかげだ。
近頃,私は「デライトの完全な成功」という表現をよく使っている。「デライトの成功」と目標を表現することに違和感を覚えるようになったからだ。成功していないと言うには,あまりに上手く行き過ぎているのだ。
今のデライトは,利用者が十分に集まっておらず,それゆえに十分な利益も上がっていない。ただ,それを除けば,ソフトウェア開発プロジェクトとしてほとんど理想的な状態にあると言っていい。ことインターネット サービスというのは,どれだけ人気があっても売上があっても,それぞれに様々な問題を抱えているものだ。デライトには,集客面以外で問題という問題がない。
本格的に集客出来るようになれば,鬼に金棒,完全無欠,つまり「完全な成功」というわけだ。その最後の課題である集客面でも,最近は改善の兆しがある。デライトは,“世界史上最大の成功”に王手をかけている。
生きている内に日の目を見ることはないかもしれない,などと考えていた出発点を思えば,やはり奇跡としか言いようがない。
何より,私はまだ37歳だ。それも,この技術に20年の時間を費した経験を持つ37歳だ。事故や病気でもない限り,あと50年は持ち堪えられるだろう。駄目で元々。命ある限り,私が諦めることはない。
デライトは4月29日から四度目の宣伝攻勢に入っている。この「一日一文」もその一環だ。
本来,一日一文は,その名の通り毎日一編の文章を書こうという日課なのだが,たまに何気なく重い題材を選んでしまい,筆が進まなくなることがある。今回も,5月半ばに何気なく書き始め,書き上げるのに2ヶ月以上かかってしまった。
20年の歴史をちょっとした文章にまとめるのには,流石に精神力が必要だった。無数の想い出を行間に押し込んで,無理矢理まとめた。
デライト開発が正念場を迎えているので,今後も頻度には波があるだろう。気長に待っていてほしい。
大変回答が遅くなってしまい申し訳ありません。色々なことを考えさせられるご質問で,デライトにとって非常に重要な宿題を頂いたように感じています。ありがとうございます。
だいぶ時間が経っているのでお考えが変わった部分もあるとは思いますが,他の方の参考にもなるように文章を残しておきます。まずは,ご質問の内容に沿って,出来るだけ端的に書けることを書いてみます。
宇田川さんは、知名のみの輪郭をよく引き入れられ欄に引き入れているように見受けられます。
まず,「引き入れられ欄に引き入れる」という概念が私の中に無かったので,難しい質問でした。「引き入れる」というのは,ある輪郭の中に他の輪郭を文字通り「引き込むように入れる」,ただそれだけの極めて単純な操作で,それをする方にとっては「引き入れる」,される方にとっては「引き入れられる」ということになります。
例えば,フォルダの中にフォルダを入れる操作に相当します。ただ,多くのツールでは,データの内容とデータ同士の関連性は別々の画面に表示されます(別のウィンドウやサイドバーなど)。輪郭は,輪郭の内容と他の輪郭との関連性を一緒に表示させる仕組みを持っているのが特徴的です。これは,画面を切り替えたり視線を大きく移動することなく,内容と関連性を確認したり修正したり出来るようにする工夫です。
「輪郭をどの輪郭に引き入れたいか」というごく単純な考え方で使えるように設計したつもりでしたが,この見た目が「引き入れ欄に引き入れる」や「引き入れられ欄に引き入れる」という複雑な考え方をさせてしまっているのかもしれません。
このように、知名のみの輪郭を引き入れられ欄に輪括させるのは、主にどのような効果を狙ってのことなのか、ご教示いただけませんか。
あるいは、実際に効果があったと感じた出来事・体験をお伺いしてもよろしいでしょうか。
特に「知名のみの輪郭」という意識をしたこともありませんでした。その時に知名だけで十分なら知名だけの輪郭が出来ますし,当然その後描写に書き加えることもあります。知名があるか描写があるかということに固定的な意味はありません。私にとっては,この「知名のみの輪郭」という意味ありげな概念もどこから生じたのか不思議でした。
t_w さんも書いているように,アウトライナーで項目をざっと書き出していく感覚に近いかもしれません。ある項目をある項目の下位に移動させることも引き入れに似ています。
平面的なアウトライナーに対して,各項目が独立していて,どの角度からでも階層関係(立体階層構造)を作ることが出来る。これがデライトを「立体アウトライナー」と呼ぶ理由です。大袈裟な言い方をすれば,私はこれを使って「(普通のアウトライナーでは不可能な)森羅万象のアウトラインを書き出している」ところです。その単位をそのまま「輪郭」と呼んでいます。
アウトライナーで最初にざっと書き出してみた項目も,ご質問にある「知名のみの輪郭」も,言ってみれば「情報の種」です。どのようにでも成長していく可能性があり,何がどのように役立つかは予め分かりません。ひたすら蒔いてみるしかないわけです。
「効果」というのも正直困った部分でした。私は息をするようにデライトを使っていて,その恩恵に依存して生きているようなところがあるので,「空気に効果があったと感じた出来事」を聞かれているような感覚でしょうか。
ある言葉に関連する言葉がこういう形で連なっていれば,日々気付かされることは枚挙に暇がありません。思い出せなかったことを思い出すこと,気付いていなかった概念同士のつながりを発見すること……これ自体はデライトのごく基本的な使い方です。
当方が同じ操作を行う場合、短期的には全知検索の検索語として、未来の自分が検索することを見込んでいます。
しかしながら、ただ検索に引っ掛かるためだけに輪郭を増やしていくと、描写のない輪郭が増え、デライトの持つ「同じ知名の輪郭を複数作れる」機能の恩恵を受けられず、形だけの輪括だけが増えていってしまうように感じてしまいます。
これも理解の難しい部分でした。「同じ知名の輪郭を複数作れる機能の恩恵」,「形だけの輪括」が何を指しているのか分かりませんでした。「描写のない輪郭が増えることで何らかの恩恵が受けられない」と感じたこともありませんでした。
そもそも,「同じ知名の輪郭を複数作れる機能の恩恵」というのは,「絶対的な名前のない情報を扱えること」以上でも以下でもない,極めて単純で自然なことだと思っています。例えば,ツイートのような思いのまとまりにいちいち名前を付けていられませんし,同じ文字列で表現されていても異なる物事がたくさんあるのが我々が住んでいるありのままの世界です。ウィキなどでは全ての物事に固有の名前を付けるという極めて不自然なことをしてきたわけです。それを排し,文字通り「なんでも」記述対象に出来るようにしたのがデライトです。
「検索に引っ掛かるためだけに輪郭を増やしていく」という表現から,どうも全知検索の趣旨が上手く伝わっていないらしいということは分かりました。全知検索というのは,「検索に引っ掛かるように輪郭を増やしていく」こととデライトに知識を蓄積していくことを同一視し,それを促進するための仕組みなのです。
引き入れによってある輪郭からある輪郭への関係が作られるということは,脳内にある情報が輪郭として表現され,それがつながっていくということです。これは頭脳をデータとして再現するということであって,デライトが実現したいことそのものです。それはそのまま検索結果を充実させることにもなるわけです。
たまに「検索用の輪郭」という表現が使われることがありますが,「検索用の輪郭」「検索用ではない輪郭」という分類も全く本質的ではありません。それが有用な分類であればそういう機能にしています。デライトではそれをあえて排しているわけですが,この意図もあまり上手く伝えることが出来ていません。頭の中にある情報は全てが他の情報を引き出す鍵でもあり,その意味では全て検索用です。それをそのままデライト上で表現して欲しいというのが全知検索の趣旨です。
私はデライトを使って自分の頭の中にある全ての物事を紐付ける作業を日々しています。それによって,頭の中で情報を引き出すようにあらゆる情報を自由自在に引き出すことが出来ています。これ以上「恩恵」のあるメモツールを私は知りません。
どうせ輪括するのであれば、もっと長期的な効果を見込みたく(そこそこの信念を持って輪括したく)、輪郭法を長年使い込んでいる先輩のご意見を頂戴できればと思います。
一つ助言するとすれば,個人知識管理においては「書く前に考え過ぎること」が最大の障害です。
デライトはその障害を最大限排するように設計されています。例えば,名前を付けなくても体裁を考えなくてもまずは書き出してみて,後からいくらでも修正出来るように作られています。こういった点においてデライト以上のものはなかなか無いと思います。
引き入れについても同じで,そこまで思い悩んで使うものとして作っていないのですが,実際にはあれこれ考えさせてしまうことが多いです。これは明確に伝え方の失敗であり,日々反省しているところです。
「知名のみの輪郭」「検索用の輪郭」「形だけの輪括」……こうした利用者によって再発明されがちな区別を排して輪郭という単位であらゆる情報を平等化している理由は,情報が持つ役割を決めつけず,「設計」よる破綻を防ぐためです。
近年,Notion のように情報を自由に設計出来るツールが人気を集めています。それもそのはずで,誰でも最初は自分が思い描いたように設計出来ると嬉しいものです。絵に描いた餅を見ているわけですから。ただ,その大半がまず間違いなく失敗していきます。これは Notion どうこうではなく,人間の計画性というのはそんなものだからです。
個人知識管理の実践を重ねていくと,計画というものがいかに破綻しやすいかということを学びます。したがって,経験豊富な人ほど計画に依存しない方法を求めるようになります。これは,差別がなく自由市場のある社会の方が発展しやすいことにも似ています。人と同じで,情報も成り行き任せに育てていった方が強くなります。デライトは,どのツールよりもそこに最適化されたサービスです。
デライトは,その必要性が分からなかった人にとっては「意味不明な用語が多くて分かりにくいサービス」だと思います。見慣れない UI や用語に慣れようという動機が無いからです。
一方で,本当に使いたいと思っている人にとっては実は簡単過ぎるくらいのサービスです。用語といっても小学生でも分かるくらいの表現しか使っていませんし,量も他製品に比べて特に多いとは言えません。登録するのも使うのも実際には「超かんたん」です。というのも,デライトは誰でも使えるようなサービスとして設計され,誰でも理解出来るように努めてきたからです。
ただ,この徹底した「簡単さ」が,デライトの高度な部分に惹かれてきた人ととの間にすれ違いを生んでいるのではないか,という気がしています。小学生でも分かる 1+1 について考え込んでしまう大人がいることに似ているかもしれません。デライトは難しいもの,という先入観があると,簡単さにも構えてしまいます。
デライトは簡単に使えるように作られていますし,簡単に使えるものです。
その方から頂いたこの質問を読んだ時,最初から最後まで意味が分からなかったことに頭を抱えました。自分は一体どれだけ利用者について理解していなかったのか,という感じです。それから毎日,開発者と利用者の間にある溝について考えてきました。回答にここまでの時間を要した理由です。
それと同時に,デライトの大きな課題を解決するヒントがここに隠されているのではないか,という気がしています。これも,率直な勇気ある質問がなければ気付けなかったことなので,本当にありがたいことだと思います。
いまデライトは,「新生デライト」に向けて文書整備を一気に進めようとしているところです。cat さんに限らず,皆様には,ふだん疑問に感じていることがあれば遠慮なく投げかけて頂きたいです。どんな疑問であれ,それと向き合うことがデライトの財産になります。