1980年代後半(昭和末期)から1990年代(平成)初頭にかけての日本におけるバブル。
先日の一日一文「日本はどう逆転するか」では,あまりにも長くなり過ぎたため最後の見出しを削った。なかなか理解しにくいであろう私自身の政治思想についての余談だ。
面白いことに,私は昔から「極右」の類ではないかと誤解されることが,どちらかというと多い。これは先の文章のように,日本を極大国にしようなどとずっと言ってきたからだろう。
しかし,そんなことを一人で勝手に語っているのだから,私自身は個人主義者以外の何者でもない。私がイメージする国家というのは,昔のヒップホッパーが肩に担いでいた巨大ラジカセみたいなものだ。国家に従属したり逃避したりする「小さな個人主義」ではなく,国家を担いで鼻歌交じりに世界を歩いてしまうような個人主義を「大きな個人主義」と私は呼ぶ。
私が日本という国家を重視しているのは,それが世界を変える有効な手段だと感じているからだ。
日本で知識産業革命を起こし,日本が極大国になれば,かつてのイギリスがそうであったように,世界中の国々にその技術や文化を伝えることが出来る。実際,平成バブル期までの日本は,世界の経営学に大きな影響を与え,「日本に学べ」という風潮を作った。
「成功」さえすれば,世界の注目を集めることが出来,世界の変革を主導することが出来る。希哲館事業におけるジパング計画は,その最初の段階というわけだ。
希哲館の目的は,まず「希哲日本」という成功模体を創り上げ,その後は国際連合に代わる国際機関として「希哲」の理念に基く新国際秩序を形成することにある。知性と反知性の分断を乗り越え,万人が知による繁栄と平和を共有出来る世界だ。
私は一人で「希哲紀元」という独自の紀年法を使っているが,これはキリスト教の西暦でもなく,天皇の元号でもないという,端的な独立表明でもある。中立性のために必要であれば,平和的・合法的にバチカン市国のような小さな独立国家を持つ計画まで準備している。
ここまで視野を拡げれば,私の政治思想が左翼だの右翼だの,リベラルだの保守だのといった既成概念の域をはるかに越えたものであることが分かるだろう。
私の政治思想は,「宇田川主義」としか言いようがないほど独自的で,それゆえに常に孤立しており,結果的に誰よりも中立を保っている。ノンポリというわけでもなく,波風を立てないために黙っているわけでもなく,日和見でもない,言動は明らかでありながら,あまりにも独特であるがゆえに中立なのだ。
この類稀な中立性は,デライトのようなサービスを運営するにあたっても重要だと感じている。
先の米大統領選挙を巡っても SNS の中立性に疑問が呈されたが,ほぼ全てのサービス提供事業者は,こうした点において明確な解決策を持っていない。政治について語らない,だけで中立を装える時代はとっくに終わったというのに。
特にデライトのような高機能メモサービスは「知」を扱うものだ。そのサービスの開発者・運営者が,政治,つまり社会のあり方について何の見解も持っていないということがあっていいだろうか?持っていて黙っている,隠しているのは信頼に足る態度だろうか?
この行き詰まりに明解な解答を出せる世界で唯一のサービス,それがデライトだ。ばりばりに語っているのに,ここまで“中立”な政治思想は世界を見渡してもまずない。私が政治を語ることを全く恐れない理由だ。ある種の「オープンソース」とも言えるかもしれない。
また長くなり過ぎないようにほどほどにして,この宇田川主義の全体像や成り立ちについては,また後日書いてみたいと思う。
昨日の一日一文では,日本人と独自性などについて書いた。その中では,日本人の性格における負の側面を強調してしまったが,もちろん,日本人にも良い面はたくさんある。
私が「ジパング計画」などと言って日本を最重要視しているのも,その日本人の性格を活かし,アメリカや中国に大逆転勝ちする道があると思っているからだ。
ある程度定常的に存在している事物には全て,進化論的な存在理由がある。つまり,この世界のいつかのどこかに適応しやすかったから存在しているわけだ。これは人間の性格についても言えることだ。
ある場面では勇敢で大きな功績をあげた人が,別の場面では無謀な行動で身を滅ぼすことがある。ある場面では臆病で役に立たなかった人が,別の場面では慎重さで成功することもある。性格というのは,状況や環境で良くも悪くも見えるものだ。
1980年代頃には,日本は世界最強の工業国だった。人口規模などの問題で「超大国」にこそならなかったが,超大国アメリカを凌ぐ富豪や企業が輩出し,金持ちといえば日本人だという時代が確かにあった。工業の時代がずっと続いていれば,日本がアメリカを凌ぐ超大国になるのは時間の問題だったはずだ。
ところがこの1980年代というのは,すでに「脱工業化社会」の到来が広く議論されるようになっていた時代であり,アメリカでは水面下で脱工業化に向けた産業転換が始まっていた。言うまでもなく,その中心は情技(IT)産業だった。
「シリコンバレー」が注目されるようになったのは70年代からだ。90年代になると,クリントン政権によって情技を中心とした産業改革が推し進められていく。「工業では日本人に勝てない」と悟った80年代のアメリカ人には,脱工業化という,あえて進むべき茨の道が見えていたわけだ。
日本はといえば,90年代初めにバブル崩壊という憂き目を見て,「失われた三十年」とも言われる長期停滞が現在にいたるまで続いている。
情技産業に牽引された中国が日本の GDP を抜いてからもう10年以上経つが,昨年には,GAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)などと呼ばれるアメリカ情技企業数社の時価総額が,二千社を越える東証一部上場企業全体の時価総額を上回った。
かつての日本の繁栄も今の衰退も,やはり日本人の性格によるところが大きいと私は思っている。
工業では,日本人的な,勤勉でよく協調する労働者には大きな価値がある。ありきたりだろうが模倣だろうが,価格に対して高い品質を提供出来る者が勝つ。
例えば,どんなに斬新で独自性に溢れる設計でも,まともにブレーキが効かない自動車には価値が無い。つまらなくても,乗り心地がよく信頼出来る車は必ず売れる。こういったもの作らせれば,いまだに日本人の右に出る集団は無いだろう。
しかし,情技産業,特に柔品の世界ではこれが逆転してしまうことが多い。バグだらけであちこち粗があっても,何か斬新な体験を提供してくれるものは飛ぶように売れる。
面白いもので,そういう荒削りなアメリカ製品が流行ると,日本人技術者達はこぞって「粗探し」を始める。ここが危ない,ここが汚い,などとみんなで言い合って,熱心に“改良”しようとする。そうして確かに丁寧で心地良い模倣品が出来たと思ったら,また新しい波に押し流されてしまう。日本の情技業界は賽の河原だ。
同じ柔品でも,間違いの許されない厳密な動作が要求されるような分野では,実は日本製のものが少なくない。私はいつもそんなところに日本人らしさを感じている。ただ,その手の「縁の下の力持ち」はどうしても知名度が上がらず,利益も上げにくかったりする。
いまだに平成バブルが日本経済を破壊したかのように語られることが多いが,それは原因ではない。
そもそも「バブル」というのは,弾けて,経済が停滞した時に初めて認識されるものだ。バブル自体が問題なのではなく,バブルが弾けた時に底が抜けてしまうような実体経済であったことが問題なのだ。そしてその問題の根は,日本人が工業に“適応”出来過ぎてしまったばかりに脱工業化に遅れたことにある。これも今となっては明らかだ。
アメリカ経済は,日本が「失われた三十年」にあえいでいる間も概ね右肩上がりを続けてきた。株価が高下するたびに「これはバブルなのではないか?」という経済学者達がいる。ところが,アメリカの場合,一つのバブルが弾けたかと思うと,またすぐ次のバブルが膨らんでくる。むしろ,次から次にバブルを作ってそれを推進力にしているかのようですらある。
そんな「バブルジェット経済」とでもいうべき離れ業が可能なのも,情技産業を中心として実際に社会のあちこちで革新を起こし,世界を席巻するような製品,サービスを生み出し続けているからだ。
日本にはそれが出来なかった。ならば,今からでもやればいいのだ。出来なければ,どうせこのままゆっくり衰退を続けるしかないのだから。
一日一文という日課で書くには長くなり過ぎたので,具体的にどうすべきか,という話はまた明日にでも書こう。