本来は平安時代の貴族層が持っていた精神性。和歌に反映されているような機微を解する心,柔軟性や平穏,清潔を尊ぶ貴族主義的な性質が強く,野蛮・不粋を嫌う。それゆえ武家社会が台頭した鎌倉時代以降は廃れ,江戸時代の国学で復興,明治武士道などと習合し,第二次世界大戦を経て軍国主義の代名詞となってしまった。
近代化以降は,協調主義や滅私奉公・自己犠牲,特に戦中は天皇に対するそれを指していわれた。平安時代の貴族たちは勇猛な東国武士を東夷(あずまえびす)などと呼んで軽蔑していたので,実は武者的な勇猛さとはあまり関係がない。現在の「大和魂」が戦争と結びつけられやすいのは,どちらかといえば,軍国主義への盲従・盲信的な態度を正当化するために用いられたことが大きい。
華々しく生きて潔く死ぬことなどは桜に例えられるが,現実の武士はそこまでの美学は持っていない。これも死と隣り合わせの人生を慰めるための価値観(無常観)であり,実際の中世は生への執着と悪あがきだらけの時代である。
そもそも現代日本人ですら多くの日本語を理解しないまま曖昧に使っているので,大和魂に明確な定義はなく,当時の日本国民が共有していた雰囲気をなんとなく指すものでしかないとも思える。
戦中の歌謡曲などでは語呂のため「やまとだま」とも読まれている。