「選択と集中」はなぜ誤解されるのか

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
06月07日 23:32
下描き希哲13年(2019年)
06月07日 23:27
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

経営政策の分野で「選択と集中」という言葉が定着して久しい。しかし,ここ十年ほどでその内容は変化した。もちろん接している情報にもよるが,個人的には,どちらかと言えば批判的なニュアンスで語られることが多くなったと感じている。

その主な要因は,90年代から2000年代の流行に乗って選択と集中を実践した多くの日本企業が成功しなかったからだろう。言うまでもなく,この時期は日本経済の停滞期であり,それがいまだに続き,見通しも明るくないという状況にある。つまり,失望感なのだ。

日本人が選択と集中について議論しているのを見ていると,「選択」を軽視していることに気付く。とにかく適当な分野に注力してみたが駄目だった,やっぱり選択と集中は駄目なんだ,という調子の議論が非常に多い。一点に賭ける,というのは冒険であり博打だ。失敗例が出るのは当たり前のことであって,それを列挙してこの手の戦略を批判しても意味がない。選択と集中が失敗した時に反省すべきことは,「どう選択を間違えたか」だ。

「優柔不断と分散」にすれば大成功はしないまでも,そこそこの成功は維持出来る可能性が高い。しかし,それで日本企業,引いては日本に明い未来が見えるのかといえばそうではない。せいぜい衰退を多少遅らせるくらいだ。それでも安定志向日本人気質で,危ない橋を渡るよりは良い,と考えてしまった結果が「選択と集中は駄目」論なのではないかと思う。

日本が今の停滞から抜け出そうと思えば,やはり選択と集中が重要な戦略であることに変わりはない。もちろん中途半端でもいけない。だから私は,「一選万集」というくらい選び抜いた方向に突っ切る必要がある,と考えて希哲館事業を実践しているわけである。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
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