{あれ K#F85E/5B28-D97C}宇田川浩行 デライトの理想主義は,柔品(ソフトウェア)においては極めて危ない橋。美しい剛品(ハードウェア)が売れることはあっても,美しい柔品が成功した試しはない。柔品の本質はその名の通り柔軟性であり,「こだわり」はそれと相反するものだから。
{あれ K#F85E/5B28-98AE}宇田川浩行 化石のようなものは別として,「美しい柔品(ソフトウェア)」というのは形容矛盾に近いものがある。そもそも,剛品(ハードウェア)に対する柔品というのが人間の雑さを許容するためにあるようなものだし,生きている柔品はもれなく醜い。
{あれ K#F85E/5B28-55FA}宇田川浩行 でも最近,それって本当に悪いことなんだろうか,という疑問もある。私の目標は,ある種の工芸品のような「美しい柔品(ソフトウェア)」を作り上げることだ。それは世界一,世界初でなくては希哲館事業の目的に資するものにならない。しかし,それは内面的な美しさと切り離せるものなのだろうか。
{あれ K#F85E/5B28-F784}宇田川浩行 「美しい柔品(ソフトウェア)」が成功しないのは,簡単な話,「美しい思想」を持つ人間がいないからだ。柔品は人間の知性をそのまま反映するが,全ての人間は何かしら錯乱している。だから柔品はゴチャゴチャしているのが普通で,それゆえに日本人のような神経質な民族は成功しなかった。
{あれ K#F85E/5B28-CDAB}宇田川浩行 最初からそういうつもりではなかったのだが,デライトは「柔品(ソフトウェア)の iPhone」とでもいうべきものを目指しているのではないか,と思うことがある。無駄なく洗練され,誰でも使えて,有用性の核心に陣取るような製品,という意味で。ただ,iPhone は結果的に成功したが,この手の製品開発は基本的にリスクが大きい。そもそも,「美しい柔品」なんて過去に成功した試しがない。
{あれ K#F85E/5B28-3D5C}宇田川浩行 世界で初めての,「美しい」と言える柔品(ソフトウェア)を作りたい。柔品というのは精神の産物だから,完全な精神の持ち主がいなかったように,完全な柔品もなかったのだ。