以前公開した「SNS と社会分断」という文章の中で,SNS の中心にあるのは「感情」だ,と書いた。SNS,ひいては現在のインターネット文化において,感情は知識にも勝る関心事になっている。
私もそれなりに長くインターネットに触れているので,最初からネットがこういう雰囲気だったわけではない,ということも感じていた。ネット人口が急速に拡大し始めた2000年頃から,ネット利用者の質が変わった,というのはよく言われていたことだ。
初期インターネットでは,研究者や好事家が利用者層の中心であり,知的好奇心が大きな原動力になっていた。Wikipedia が開設された2001年頃までは,「インターネットをいかに知識の共有に役立てるか」というのが技術者たちにとっても大きな関心事だった。
今思えば,知的好奇心でネットを利用していた勢力はそこで頭打ちしていたのかもしれない。間もなく,ネット人口の爆発とともに SNS の急速な普及が始まる。2004年にはアメリカで Facebook が,日本では mixi が生まれている。2005年には YouTube が公開された。誰でも感覚的に楽しめるコンテンツがネットの中心となっていく。
しかし,ネットにおける「感情の隆盛」はネット人口の拡大で説明出来ても,「知識の衰退」はそれだけでは説明出来ない。かつての「インターネットをいかに知識の共有に役立てるか」という問題意識は,停滞するどころか消えかけている。ネット全体がこれだけ拡大したのだから,多少のおこぼれに与れそうなものだが,その様子はない。
こんなことを考えていて一つ気付いたのは,2007年の世界金融危機だ。この時,世界経済は大打撃を受け,多くの投資家や企業は生き残りのため「選択と集中」に舵を切らざるをえなかった。この時選択されたのが SNS に代表される「感情のネット」であり,切り捨てられたのが「知識のネット」なのではないだろうか。
SNS の弊害が広く認識されるようになった今こそ,かつて切り捨てられた「知識のネット」,いわば KNS(knowledge networking service)を再び志向する時なのだろう。