希哲14年2月8日のツイスト

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲14年(2020年)
02月08日 01:04
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
「なんでもメモ」サービス、デライト公開中!
https://dlt.kitetu.com

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一覧

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日本語はどちらかというと大器晩成型の言語,扱いはじめは難しいが奥は深い言語なので,むしろ英語よりも最終的な可能性は高いところにあるのではないかと思っている。そしてここに日本の情技(IT)産業逆襲シナリオがある。

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マイクロブログなんて肩の力を抜いて使うものなのだから,「トゥート」という言語的負債を残してしまったのは悔やまれるところ。

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なぜ「トゥート」がダサいと思われてしまうのかというと,さっきも言ったように,トゥよりもの方が日本人にとっては自然な(無理のない)発音なので,ツでいいところをトゥと発音するのは何か「意識が高い」ように聞こえてしまうから。日常会話〈two〉をわざわざトゥと発音すると気取った奴だな,と思われるのと同じ。

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ちなみに,私がデルンというブログでもウィキでもない独自の CMS を開発して運用している kitetu.com は日本の Mastodon の大手捌き手サーバー)よりもトラフィックを集めている(世界ランキング kitetu.com 53,197位, pawoo.net 91,743位, mstdn.jp 210,527位)。口先だけではないという参考までに。

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希哲館訳語を考えていても思うが,やはり今の日本の情技(IT)業界の問題として,日本人開発者日本語的に不自然なものを作ってしまう,だから外国製品に対して言語的親和性差別化出来ていない,というのは間違いなくある。国内ですら支持を固められない。

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一般人が「トゥート」と普通に口に出して使うかというと,それは多分ないし,「ダサッ」と言われるのがオチ。Mastodon足枷の一つではあると思う。

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まあ,好意的に考えれば,〈tweet〉〈toot〉はともかく,ツイートツートは流石に Twitter に怒られるんじゃないか,と心配したのかもしれない。

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企業なら,こういう普通の人が気付かないような非常に微妙なところを考える人がいたりして,Twitter なんかはまさにそういう努力を繰り返して今の地位を築いているのだが,OSS だと開発者に「自分は気にしないし」と言われてしまうとそこで終わりなので,やっぱりそこは OSS 製品の普及面での欠点なんだな,と思った。

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Mastodon日本話題になって間もない頃,「トゥート」は「ツート」にした方がいいとツートしてそれなりに拡散されたことがある。ツイート連想しやすいし,そもそも日本語では歴史的にタティトゥテトが発音しにくくタチツテトになったという経緯があるので,ツートの方がより親しみやすく感じられる。

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しかし,希哲館訳語が無ければデライト開発もここまで順調には行かなかっただろうな,と思うと,やっぱり言語は「知の血」だ。母語の力を最大限に活かして考え書く,ということがいかに重要なことか。

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今日の便利な希哲館訳語だいろく台録ディレクトリーdirectory)。原語源は「導くもの」で,指示規則をまとめたもの,住所氏名などを収録したものといった意味で使われるようになった。勘報コンピューティング)では譜類ファイル)の所在を表すものから転じて譜類の入れ物として機能する。「」は基礎になるものの意(台帳台本)。

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久しぶりに聴いた『夜へ急ぐ人』の「おいでおいで」が耳から離れないのだが,もしかして,デライトへの集客について考えているからなのか。

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考えてみれば,12年以上もの間,私は十中八九以上失敗するだろうと思って希哲館事業に打ち込んできたんだな……これでも上がった方で,最初は万が一にも成功しないと思っていた。

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1週間前と比べて,希哲館事業心証的な成功確率10%から90%くらいにはね上がった。私が希哲館事業について成功確信するようになったのは,これが初めてだ。

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この水準思想がこの水準のサービスになり,それも収益化目前となれば,それはどう控え目にいっても奇跡でしかない。この自信油断ではなく持ち辺モチベーション)にしたい。

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これは,どちらかいうと仏教的世界観に近いデライト東洋で初めて GAFAM を凌駕する企業を生み出すかもしれない,と思える理由の一つ。

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異なる文化的背景を持つ者が交流しようとすれば,「論理を明確にしてはっきりとものを言う」必要がある。その延長線上に「語りの文化」である西洋思想がある。

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西洋思想がなぜ「シーケンシャル」なのかというと,恐らくそれは言語に束縛されてきたから。言語は始まりから終わりに向けて並べるものだから。なぜ言語に束縛されてきたのかというと,文脈を共有出来なかったから。多様性の問題に行き着く。

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