「検索演心啓蒙」の別名として希哲13年11月21日から使い始めた(開発記録)が,間もなく独自の体系性を帯びるようになり定着。
今月3日,Google からの検索流入が12月29日以降,かつてないほど激減していることに気付き,SEE について色々考えたが,結果的には SEE 改良が楽しくなり,むしろ好機だと感じている。
デルンの実用化から11年以上,デルン/デライトはあらゆる面で大きな進歩を遂げてきたが,SEO では小さな浮き沈みを繰り返すだけで,長期的にはほとんど変化がなかった。SEO の成果が短期的に評価しにくいこと,デルン/デライトがウェブサイトとして特殊過ぎた上に変化が速過ぎたことで,施策の良し悪しを見極めるのも困難だった。
ここに来てようやく,曲がりなりにも結果らしい結果を示してくれた。最初は Google の無能ぶりへの憤りが強く──デライト以上に新規性・独自性・専門性等々を兼ね備えているサイトが存在するのか?──いっそのこと馬鹿な検索演心は無視してしまおうかとすら考えたものの,大整輪でデライト上の献典の現状と展望についての解像度が上がっていたところで SEE の課題が明確になり,改良作業がよく捗るようになった。
SEE における「教育」には自主自尊という意味も込められているが,検索演心が馬鹿なら馬鹿で,それを導く責務も伴う言葉だ。そう思い直した。
検索流入激減の理由は定かではないが,大整輪を再開した昨年10月に激増したインデックス登録済みページ数がコアアップデートがあったらしい11月から激減,更に12月頃から逆 SEO 目的と思われる無意味なページへの輪結スパムが見られたこと,あたりが絡み合っている気がする。いずれにせよ,インデックス制御の問題であることは明らかなので,そこを重点的に調整している(スパムについては最近の調整で解決済み)。
もう一つの収穫は,長期安定体制と新露出戦略によって SEO への依存度が限りなく下がっていること,その戦略としての正しさを改めて確認できたことだった。検索流入が激減したところで,収入的にも戦略的にも特に困らなかった。現状維持を続けていてもデライトの完全な成功には繋がらなかったので,冷静に,長年の課題の突破口と捉え直すことができた。長期安定体制への転換がなければ今頃は,ということでもある。
GAFAM の停滞,Twitter の混迷,中間選挙にも表れた米国政治・世界情勢の膠着。世界の行き詰まりは誰の目にも明らかとなり,その突破口である希哲館事業とデライトにとってはこれ以上ない舞台が整いつつある。
デライトの現状からすると,完全な成功はデライト3周年の来年2月13日までに果せるかどうかだろう,と考えてみて,まだ正式離立から3年も経っていないことに愕然とした。6,7年は経っているような気分だった。意識が先走り過ぎていたのかもしれない。
大輪郭整備では初期ツイストの見直しも始めたが,ちょうどデライト構想が出来たばかりの頃のツイスト群で,何かと感慨深かった。当時はデライトの離立が全てだった。当然,それでは何も終わらなかった。結局,「完全な成功」も通過点の一つに過ぎず,また新しい課題が立ちはだかるのだろう。これからもずっと,それが私の日常なのだと思うとかえって気が楽になった。
最近,輪郭整備を意識しなくても自然と丁寧な描出が出来るようになり,良い傾向だと感じている。
輪郭整備は無計画にやっているとキリがなく,迷子になりやすいので副日記に専用記録を加えることにした。「輪郭整備記録」というのも煩わしいので,「整輪」を造語し「整輪記録」とした。傾向や進捗の把握,中断・再開も容易になり,開発との釣り合いも取りやすくなるだろう。
最近,輪郭整備を強く意識するようになった現実的な理由の一つに,SEE による検索流入の伸び悩みがある。検索流入は極めて緩やかに増え続けているが,デライト市場戦略を補完する役割を十分に果せていない。
デルン/デライト自体が前例のない司組である上に変化が激しかったため,SEO 効果の測定も難しかったが,9月までの開発で司組上の課題がほぼ全て解消したことで,献典不足という問題に向き合わざるをえなくなった。特に,9月の輪郭情報取得改良による高速化,サイトマップ改良後は検索流入にも顕著な好影響が見られたものの,10月中旬頃からまた停滞してしまっている。こうなると,ページ数に対する献典不足以外に問題が考えられない。
乾燥が気になってきたため,梅雨頃から手を抜いていたスキンケアをまた意識することにし,品物を揃えた。
KNo.
}{握接}{希哲15年4月17日の開発}{半年近く}{手定め漏れ}{被輪結}{輪郭 URL}{真っ黒}(39)昔の月庭で使っていた KNo. 無しの旧輪郭 URL から握接すると真っ黒な画面が表示されてしまっていることに気付き,deln.conf を修正。
希哲13年5月27日の開発から月庭でも KNo. 表記に対応し,捌き手整理を終えた希哲13年6月1日からは KNo. 付きの輪郭 URL を使うようになっていた。
検索演心教育が一応完成したのが希哲13年11月30日の開発なので,Google Search Console を見ても検索演心側の移行はとっくに済んでいたはずだが,検索演心以外からの古い被輪結には KNo. 無しが多少残っている。
当時一通り確認したと思っていたが,単純な手定め漏れであれば,月庭・デライト転送を始めた希哲14年11月10日の開発から半年近く,この現象はあったと思われる。まだそれほど大きな影響にならない時期に気付けて良かった。
自我・輪郭ともに KNo. 無しの URI から KNo. 有りの URI に転送するようにして終了。
<meta>
}{noindex
}{描写}{進捗}{デライト}{希哲15年4月9日の開発}{希哲15年4月9日の進捗時限}{希哲15年4月9日の進捗}{希哲15年4月9日}(26)GSC で見る限り,月庭(https://kitetu.com)の検索流入はほぼデライトに移行したと見て良さそうだ。
昨年10月頃までゆるやかに右肩上がりを続けていた月庭の検索パフォーマンスは,11月10日の開発で実施したデライトへの 302 転送からゆるやかな右肩下がりに転換,今年に入ってからデライトも明確な上昇を始め,特に2月は検索演心教育の強化も加わり暴騰状態にあった。これは黄金循環の意識が高まった一因でもあった。
今月で表示回数・クリック数ともにデライトは月庭のピークを越え,入れ替わるように月庭の方はゼロに近付いている。
月庭・デライト転送が上手くいくかどうかは半信半疑だったが,細かい要因はともかく,全体として検索パフォーマンスが上がっていれば問題ない。
これで一つ心配事が消え,検索演心最適化に関してもデライトのことだけ考えていればよくなった。
デライト文書構造最適化の SEO 向けの作業は一段落した。
長いこと SEO に関しては放置状態に近かったが,HTML5 と Schema.org を活用してそれなりの形にはなった。 SEE にとっても大きな進歩だ。機会損失の最小化を考えると出来るだけ早く済ませておきたかったので割とあっさり終わって良かった。
これからの文書構造最適化は中景輪符整理など領当てや保守性の観点から必要な作業中心になるだろう。
SEO に加え第三次宣伝攻勢も始まればデライト高速化も急ぐ必要があるが,CDN に関してはやはり依存を避けつつ,体系的に上手く利用出来るようにしておきたい。
この体系を KNEST の一環として「KDN」(knowledge delivery network)と呼んでおくことにした。
やりたいことは色々あったものの,個人的なちょっとした危機を昨日乗り越えたばかりで精神的消耗が激しかったこと,午後から夜まで姪を預かることもあり半休にした。
これまで Google でじわじわと右肩上がりを続けていたデライトの検索パフォーマンスが跳ね上がっていて,これまで以上に検索演心教育の手応えを感じた。
結局,夜から妙に気分が高揚してしまい開発は平均的な水準で進んだ。
姪は相変わらず元気で,音楽が流れてくると踊ったり,3歩くらい歩いたりしていた。少し歩きかけたのは驚いたが,初めてではなかったらしい。
デライトの成長にも重なるところがあり,なんだか感慨深いものがあった。4月1日までのデライト収益化に成功すれば,新しい赤ん坊の誕生と春はめでたいことばかりだ。