和の精神と不和の謝罪

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲13年(2019年)
07月05日 01:35
下描き希哲13年(2019年)
07月05日 01:03
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

日韓関係が悪化の一途を辿っている。慰安婦問題にせよ徴用工問題にせよ,問題の多くは戦時中における日本の加害責任を巡るものだ。

この手の紛争を見ていてよく思うのが,日本の対応の不思議さだ。いつも謝罪したいのかしたくないのかよく分からない。

日韓合意の時,日本政府謝罪とともに,元慰安婦支援財団への10億円の拠出を約束した。これが不可逆の合意だというのだが,当時の私はそもそもここに違和感を覚えていた。

慰安婦として心身ともに傷つけられた民間人がいて,それを加害者にあたる日本が認めて,金を払い,時の政府間で「解決したことにして」,それで何が解決するのか全く分からなかった。案の定,何も解決していなかったわけだ。安倍政権支持者の中には,たった10億円で済ませた,よくやった,という人が少なくなかった。日本人は悪いと思って謝罪したのではないのだろうか。これは究極的には双方の国民感情の問題だ。常識的に考えて,この「謝罪」に誠意があるとは言えないし,誠意がない謝罪に意味はない。

不可逆もなにも,韓国人の多くが納得しない,と言い始めたらどうしようもない。一度国家としての責任を認めてしまった以上,日本に対する韓国世論は厳しいままだろう。それは人間の感情として当たり前のことだ。それを「解決したはずなのに騒ぐのはおかしい」と言っているのがどう考えても滑稽で,何かコメディ映画でも見ているような気分になってしまう。

この問題において「解決」があるとしたら,被害者達が納得して,韓国民がもう日本を許してやろう,と思えた時でしかない。そもそも誰かが解決したことにして解決する問題ではない。日本政府も当たり前のことを悟る必要がある。

では,日本人はいつまでも謝罪し続けなければならないのか,永遠に韓国に頭が上がらないのか,という人がいる。だったら謝罪しなければいい。なぜ大して悪いと思っていないことを謝罪するのか。まあ,日本人には軽々しく表面的な謝罪をする文化がある,ということは世界的に知られているし,これもその一つなのかもしれない。

あるいは,これは国家と国家の問題なのだから,感情とは切り離すべき,という人もいる。ではそういう人がアメリカ大統領への自国首相の健気な接待を見て疑問を抱くかというとそうではない。国家同士の関係というのは意外に人間的なものだ。国家の要素は人間なのだからそれも当たり前のことだ。

原爆投下という,日本史上最も日本人に残虐な真似をした相手には何を言われてもヘラヘラ,ペコペコ,頼まれてもいない接待の限りを尽くして,これが「美しい調和」の精神ですとウェットな対応をしておいて,自分たちが傷つけた韓国のような相手には感情の問題を金で片付けて,これが国同士の関係だと無神経でドライな対応をしているのが「美しい日本」だの「善良で礼儀正しい日本人」なら,目を覚まして鏡を見てみろとしか私は言えない。

私はなにも,韓国に謝罪しろと言っているわけでも,するなと言っているわけでもない。すると決めたなら筋を通してしろ,それが出来ないなら中途半端なことをするな,ということだ。日本人特有の「和の精神」が通用するのは国内に限ってのことで,何も考えずに世界に持っていくと,単なるご都合主義のいい加減で信用ならない奴にしか見えない。白洲次郎が言うところの「プリンシプルのない日本」とはこういうことか。

最後に,謝罪とは何か,ということを理解出来ていない少なからぬ日本人のために,勉強になる話を紹介しよう。

昔,少年たちが街中で喧嘩になった一人の大人の男性を殺してしまう,という事件があった。裁判の中で少年たちは口先で反省の弁を述べたが,その誠意のなさをみかねた裁判長は,さだまさしさんの『償い』という曲の歌詞を持ち出して,反省とは何かを諭した。

その『償い』の歌詞には,こういう物語が綴ってある。少しの不注意で交通事故を起こし,人を死なせてしまった真面目で優しい男性がいた。事故以来,他のことは全て忘れ,がむしゃらに働いては毎月黙って遺族に金と直筆の手紙を送り続けた。それから何年も経ち,ついに遺族から許しの返事をもらえた。もう気持ちは分かった,金も送らなくていい,と書いてある。それでも彼は償いの行為を止められなかった。

もし美しい日本美しい精神などというものがあるのだとしたら,私はこういうものであってほしいと思う。

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