希哲

描主宇田川浩行K#F85E
上描き希哲12年(2018年)
04月20日 01:23
下描き希哲6年(2012年)
05月31日 02:27
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール

「希哲」は,もともと〈フィロソフィア〉に対する宇田川の訳語。2007年頃から「希哲館」という名称に採用している。

元は西周(にし あまね)による「希哲学」。

後に〈フィロソフィア〉を,「希哲」〈クエソフィア〉と「哲学」〈ソフォロギア〉の併称「希哲学」とした(2014年)

希哲12年4月19日,「万人希哲」の語を練る過程で,先哲賢哲……などとの整合性から,人を表わす用法を正式に加えた。これにより,「希哲」は「希知すること」と「希知する者」を表わす語となる。

一覧

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そしてこれが,技術的に不可能だった希哲フィロソフィア)と民主主義の結合を可能にする。プラトンの挫折から2千年あまりの時を越えた,「希哲民主主義」の誕生である。

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プラトン民主主義における衆愚政治を恐れていたし,基本的に選り人(エリート)主義なのだが,私はむしろ「希哲」(フィロソフィア)というアイデアは民主主義と相性が良いと思っている。ただ,これまでは「希哲民主主義」を実現する情報技術がなかった。全ての有権者といちいちソクラテス的な対話は出来ない。

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あ,希哲が「おもいかけ」と読めるとしたら,私が自称している「希哲守」(Guardian of Philosophy)は「おもいかけのかみ」と読めるのか……。思兼神(おもいかねのかみ)に上手くかかっていて面白いが,流石に長いな。

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日本がなぜ古代ギリシャ文化である希哲学復古の砦になりうるのか。それは,日本が希哲学の導入に失敗し続けてきたことによる。明治日本人は,希哲学を「希哲」(精神)と「哲学」(知識)の二つに分離し,前者を捨て,後者のみを定着させた。結果的に,その精神的側面である「希哲」が純粋なまま歴史に取り残されることになり,この時代に「反知的権威主義的フィロソフィア」として再発見された。これは西洋ではありえないことだ。

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考えないこと,争わないことで寛容になろうとするのではなく,最大限に寛容であるような明確な考えを持つ。広く閉じる。それが私にとっては「希哲」だったのだと思う。

出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
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