第一次総括

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲12年(2018年)
05月31日 12:36
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
この描出は「素描」です。

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いま世界では,大きく古い権威に固執する者とその権威を破壊して小さな殻に閉じ籠ろうとする者達が争っている。なぜか,この焼け野原から大きく新しい権威を創造しようという者がいない。私を除けば。

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インターネットが伝統的なマスコミの権威を破壊出来ることが示された今,なすべき事は古い秩序にしがみつくことでも無秩序に身を委ねることでもなく,新しい秩序を創造することだ。それが出来るのは希哲館だけだ。

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これからの私の仕事は,この一夜革命が,後に世界を変えたきっかけだと言われるように希哲館事業を推進することだ。

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暫定一夜革命が世界を変えた点は少なくとも二つはある。第一に,一夜革命以前には存在しないも同然だった希哲館が現われたこと。第二に,私自身の意識が大きく変わったこと。これまで,デルンの一般公開については希望や見通しを語ることはあっても公式に予定を設定したことはなかった。これは希哲館がもはや私的な領域内で完結するものではない,ということを意味する。

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希哲館事業が掲げる「インターネット改革」は,そういうインターネットの構造をデルンによって変えてしまうことで衆愚化を避け,「希哲民主主義」を実現しようという構想だ。プラトンが構想し挫折した「知による統治」を,インターネット民主主義の結合によって実現する。

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まあ,私の薄い読者層なんか乱暴に言ってしまえば「情報強者中の情報強者中の物好き」みたいな人ばかりなので,こんなことを書いたところで多分何の意味もない。

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例えば Mastodon なんて,そういう古き良きインターネットの空気を求めてやってきた人が多いところだし,層が限られている分,明らかに平均的な知的水準は高い。

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インターネットの空気を変えたのが SNS なのは,登場時期を考えても間違いないところだと思う。これは文字通りインターネットと実社会を結びつけた。インターネットが一部の専門家や好事家のものではなくなり,全体の情報リテラシーが格段に下がった。

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現在のインターネットの問題は,端的に言って無知を野放しにしてしまうところ。人が何の競争も障害もなく自分の思い込みを共有出来るようになり,それに対峙するものが無い。理性のない動物のように感情に振り回される。それが衆愚政治に結びつくのは必然だった。

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10年くらい前まで,ネット上の陰謀論なんてものは世間的に「ネタ」でしかなかった。例えば又吉イエスさんを見ているようなもので,おかしな人とそれを面白がる人が遊んでいるだけだと思っていた。インターネットの先駆者たちは,その手の情報を信じ込む人間の多さを想定していなかった。

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私が昔から指摘してきたインターネット言論の危険性に,バランス感覚が無い,ということがあった。マスコミが信用出来ない,と批判をするのは良いのだが,なぜかそれがマスコミ以上に信用出来る要素のない陰謀論に結びついてしまう。それは明らかに異常な光景だったのだが,実際の政治に悪影響を与えるまで多くの者が事の深刻さに気付かなかった。

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この文章,実は約5時間で書き上げたのだが,いま読み返しても色々味わい深いな。最初の勢いで書いていると短編小説くらいの長さになりそうなので,気付かれない程度に減速しながら落とし所を探っている。結果として,盛り込みたかった話の多くが省かれている。まあ,締め切りに合わせた仕事とはこういうものか。

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ついに何かが書けた……。

希哲館事業これまでのあらすじ

https://sss.kitetu.com/F85E/A-4686-992A

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私の言動を見ていれば分かることかもしれないが,私には病的といっていいほど完璧主義なところがある。だから希哲館事業に関しても不足ばかり感じてきた。理論面でもまだまだ甘いところが多くある。もっと古典も読み込んで,あらゆる角度からみて完璧な理論を用意しておかなければ,という思いが強かった。ただ,英米政治危機以後,あまりにも粗末な議論ばかり目にしたおかげで,「希哲館の思想が世界で一番マシ」という自信が得られた。なにせ,時の超大国から聞こえてきたのが「壁を作れ!」なのだから,肩の力も抜けるわけだ。

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要するに,英米政治危機以後の世界の知的難民というか思想難民を,私は放っておけなかった。希哲館には,不完全ながらも「現代の先」を見越した体系的思想があった。本来であればそれは英米リベラルを圧倒するための思想だったが,彼らの世界はもう無い。その代わりに台頭してきたのが,新しい衆愚政治勢力,トランプ政権に代表される「暗愚の枢軸」(Axis of Dark)だった。今度はこちらから世界を守らなければならなくなった。

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この知的貧困……これは私が長年批判し続けてきた「知の肥満」の帰結ではないか。私は,現代の知識層選り人(エリート)が「情報を多量に溜め込むだけで知識を生み出せていない」問題を指摘し続けてきた。「世界を語れない思想家」たちが現代とはそういう時代なのだ,と開き直っている時,私は「正対主義」(resolutism)という反旗を翻し,真正面から世界を語ろうとした。

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英米政治危機が起き,世界中が動揺していた時,私は何よりも「憐れみ」を感じていた。この世界の知的貧困に対してだ。ある者はいつまでも更新されない錆びついた思想に拘り,ある者は陳腐な陰謀論にすがり,またある者はそんな対立を相対化しては弱々しい批評をするだけ。誰も新しい思想を語れなかった。

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完璧に手筈を整え一気に畳みかけるという一夜革命は,私の完璧主義が色濃く反映された理論であり,その準備にかかる時間は予め決められるものではなかった。それをわずか2年でやると決めた時点で,顕在的に世界が一変するようなことは期待出来なかった。ただ,世界が一変するきっかけとなる事実を作ることは出来るかもしれない,と思えた。歴史において,ごく小さな事件が後から考えてみれば大きな出来事の始まりだった,ということはよくある。

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きっかけは言うまでもなく英米政治危機ブレグジット・トランプ当選)だった。私はこれを,超大国として近代国際秩序を主導してきたイギリスアメリカの自壊現象と捉えた。それは,一夜革命が目標を失なったことを意味してもいた。

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その理由は,すでに述べたように,もうそういう世界情勢ではない,ということに尽きる。もうこれまでの自由主義世界は存在しないし,いまの世界を変える手段としては大袈裟過ぎる。「巧遅は拙速に如かず」というわけだ。

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私の中での一夜革命というのは,例えば希哲社が企業として成功し,その技術が世界的に普及し制度が十分に整った状態で,実はこういう思想的背景があるということを明かすというイメージだった。その状態であれば,ネットの片隅で発言したとしても十分な注目と影響力を得られるだろう。ただ,この意味での一夜革命の可能性はほぼ潰えた。

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現代において,政治家がまともな政治思想経済思想を持っていないことを責めるのは酷といえば酷な話だ。そのような思想が新しく生まれなくなったのが現代の特徴とされてきたのだから。思想家ですら持っていない思想をその辺の政治家が持っているわけはない。

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これまでの世界を支えてきた為道論(イデオロギー)が大きく揺らいで,今にも崩れるかという時,私が知る限り希哲館だけが本当に新しい為道論を持っていた。だから,あの状況で沈黙を貫いているわけにもいかなかった。世界の政治家やら学者やらが論じている古ぼけた思想に比べて,明らかに完成度が高かったからだ。

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落とそうと思っていた敵の城が,勝手に崩れて大混乱に陥いっているわけで,これはもう「一夜城」などと言っている場合ではない。いま必要なのは城ではなく「避難所」で,作りかけの城を避難所として開放するしかない。それが今の状況だ。

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一夜革命というのは本来,いつやるとかどうやるとか詳細を予め決めておくものではなかった。準備が完璧に整った時に,最良の手段でやればいいことであって,それがいつ実現するのか私にも分からなかった。今から数年前の時点でも,順調に行って10年先か20年先か,という話だった。それは,10年先も20年先も国際秩序に大きな変化が無いことを前提にしていた。その前提が崩れてしまったわけだ。

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ところが,周知の通り,難攻不落だったはずのアメリカは勝手に自壊を始め,西側諸国の理想はもはや風前の灯火となり,世界は混迷の時代に突入してしまった。ここで一夜革命の意義が揺らぎ始めた。

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私はこの一夜革命で,アメリカ合衆国を中心とした現代の国際秩序,世界観,為道論(イデオロギー)を一新するつもりだった。もとより石垣山一夜城難攻不落といわれた戦国時代最後の砦,小田原城を落とすための策であり,私も難攻不落の城に対峙する覚悟でこの戦略を採用していた。

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希哲館事業は,豊臣秀吉の「石垣山一夜城」を模体(モデル)にした革命理論を持っていた。つまり,秘密裡に成立条件を整えておき,幕を切って落とすことで完成させる。一夜にして現れるはずのないものが現れる。血が流れるどころか,声すら上がらない「無声革命」,それが一夜革命という究極の平和革命理論だった。

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この総括,始めたのは5ヶ月前かと思ってみると早かった気もする。希哲館事業の10年が半年足らずでまとめられつつあるというのは,妙に感慨深いものがある。この期間,どれだけの発見があったことか。

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そんなわけで,「希哲」(フィロソフィア)を全人類が唯一共有出来る生産的な概念として,これを中心に,新しい学問,新しい産業,新しい国家,新しい世界,新しい時代の体系的確立を目指す機関として希哲館を創った。誰も神にはなれないが,何のための人間であるのかを考えることは出来る。感情や争いを捨てられなくても,それを何に向けるのかを考えることは出来る。それを実践する「新しい人間」を生み出すこと。これが私の十字架だ。

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私がこのような危機感を抱いていたのは,恐らく生育環境にあるのだと思う。この総括の最初の方でも触れたが,私は選り人(エリート)の多い父方の知的影響を受けながら,教養面ではごく一般的な母方の一族に囲まれて育った。知的な意味ではターザンみたいなもので,「」というものに漠然とした反感を抱く人々の感情をよく知っていた。この感覚は,それなりの教育を受けた人に囲まれて育った人には分かり辛いのかもしれない。

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昔,希哲館が「希哲」を中心的な概念にしている意味が分からない,という人と話をしたことがある。その人は,人が知恵を希求するのは当たり前じゃないか,と思っていたらしい。要するに「空気を売る」ような商売が成立するのか,ということだったのだと思う。反知性主義が世界に暗雲をもたらす数年前のことで,「人間を人間たらしめる知性を現実の人間は見失いやすい」という私の直感的な危機感が意外と伝わらないことに考えさせられた。

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事業の根想(コンセプト)設定において重要なのは,「潜在的普遍性」をどう掴むかだと私は考えてきた。もっと簡単に言えば,誰にとっても大切でありながら誰もが忘れがちなもの,を明確に捉えることだ。隙間(ニッチ)を狙うのではなく,かといってありふれたものの焼き直しをするのでもない。この意味で「希哲」は理想的だった。

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そういう意味で希哲館事業は,私にとって人生の最初の一歩だった。「希哲」(フィロソフィア)を核とした世界の「文明深化」。17歳の頃,世界に平和と繁栄をもたらす唯一の道をここに見て,それに生きる人間として自らの合い所(アイデンティティ)を確立しようとした。想像するだけで気の遠くなるような道で踏み出すまでにはかなり長い時間がかかったが。

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人生における「経路依存性」というのは,私が子供の頃から考え続けてきたことだ。こんな用語があることは大人になってから知ったことだが,どこかに向けて一歩進むということは,その次の一歩の可能性を決めるということであって,その積み重ねの差が人生の多様性だと思っていた。この直感は,「最初の一歩」を考えさせない教育への不信感につながった。だから物心ついた頃から私はひたすら教育に反抗的だった。

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柄にもないが,いま若い人には何よりも時間を大切にしてほしい。軽い気持ちで脇道に入らないように。想像しているより戻るのには時間がかかるし,気付いた時には届かなくなっている場所もある。

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人生に寄り道しているような時間は無いなと最近よく思う。寄り道し始めた時は気付かないし,寄り道してしまった後は悔やんでも仕方ないが,想像していたより時間の濁流がずっと恐しいものに今は思える。というのも,希哲館事業は私にとってあまりに精神的な重荷で,最初は10年くらいの「モラトリアム」を過ごしてから始めようと思っていたのだ。結果的に2年くらいブラブラして始める決意が出来たのだが,今はこの決意に心から感謝している。もし本当に10年も空白期間があったら私は何だかんだ流されて,あまり良い人生は送っていない気がする。

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実のところ,私には時間がある。これは子供の頃からそうで,かなり早い段階で学校社会から離脱し起業していたので自由な時間は溺れるほどあった。その「スコレー」から希哲館事業は生み出された。これからも人並以上には自由な時間があるだろう。何かをする期限も全て自分で設定したことで他人と約束しているわけではないから,別に守れなかったところで何が起きるというわけでもない。それでも私は,常にそういう期限を作っては時限爆弾と格闘しているのかというほど神経をすり減らしている。そうしないと,希哲館事業のような遠大過ぎる仕事はまず進まない。時間はいくらでもあると思って過ごした10年と,いくらあっても足りないと思って過ごした10年とでは密度が比べものにならない。

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この総括もそうなのだが,最近,時間の無さを痛感することが多い。希哲館事業発足から,私は誰よりも時間を意識しながら過ごしてきたと思う。文字通り寸刻を惜しみ,金を捨ててでも時を稼いだ。海の水のように時間があっても,希哲館事業には足りないという焦りを常に感じていた。毎日を希哲館事業のために使い,毎日進歩した。それで10年以上経って,まだ焦りがある。というより,焦らなければという焦りがある。

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この長さゆえ途中で脱線することも度々あったので,後でいったん「総括の総括」を挟みたい。

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この第一次総括,最初は一日でざっと書き上げて終わりのつもりだったのだが,書きたいことが多過ぎて,結局『木隠』の草稿代わりに書き続けてきた。『木隠』は,一夜革命に向けた希哲館事業の全貌を明かすための書として構想してきたものだった。

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かといって,別に清貧主義者というわけでもない。今の感覚でいえば年収数百万もあれば私は十分過ぎるほど幸福に生きていけるので,希哲社はそれぐらいの待遇で世界中の人々をあまねく雇用出来るような企業にしたい。

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私が金銭欲名誉欲に乏しいのは,希哲館事業閃きの時点で全てがどうでもよくなってしまったからだろう。私にとってこれは,世界で最も価値があるおもちゃだ。例えば世界中全ての金を目の前に積み上げられても,希哲館事業の価値に比べればはした金,というのが私の感覚としてある。それぐらいだから,別に名誉もどうでもいい。他人から誉められるかどうかで揺らぐような自信の持ち主がこんなことを考え出したりはしないし,いますぐ死んでも私は世界で一番面白い人生を過ごしたと思って死ねる。要はもう「あがり」の後を生きている感覚なのだと思う。

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ベーシック・ウェルカムというのはつまり,知業化によって工業化時代の産業構造を換骨奪胎する,新近代化の過程だ。知識産業を制覇することで世界経済を実効支配(天下布知)し,労働者を再編成するわけだ。

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私はどういうわけか金銭欲名誉欲といったものに乏しい人間で,希哲館事業も発足時点で全ての執務員を平等に待遇することを決めている。だから,希哲社希哲館収益事業部門)が潤えば潤うだけ労働環境の改善や雇用に回せる。つまり,希哲館が「天下布知」を実現すれば,雇用で富の再分配が出来る。これが「ベーシック・ウェルカム」(基礎雇用保障)だ。

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義賊商法」が成立するためには,収益性独立性透明性公平性を高い水準で共存させる企業が必要だ。希哲社は潜在的にその条件を備えている。

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希哲館事業を最終的に成功させるには,これまでの人類が手にしたことのないような異次元の富を生み出すことが必要だ。その一方で,希哲館はあくまでも人類知の守護者として,「知から力を生み出す」純然たる機関を目指しているのであって,それ相応の品位も必要だ。拝金主義に身を委ねることは出来ない。このジレンマについて,私はここ数年よく考えた。そうして得た答えが「義賊商法」だ。つまり,貪欲に稼いで公正にばらまくことだ。

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私の場合,これは人の良さというより,経験不足ゆえの自信過剰だったということも大きい。例えば,一ヶ月かかることを一週間で出来ると見積もっていたりした。時間の計算はどちらかといえば得意な方だったのだが,ほとんどの基礎技術が独自開発など,希哲館事業自体に不確定的な要素が多かったこともあり,とにかく見通しを外しまくっていた。ただ,それも実は確信的なところがあって,こんな未知の事業を進めるには極限まで自分を追い込んで,転びまくって立ち上がり続けるしかない,という気持ちもあった。それが成功に結びついたから結果としては間違いだったとも言えない。

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例えば,希哲館事業発足当初の私は,とにかくの交渉が苦手で,どれだけ取れるかということより,自分にとって最低限どれだけあれば良いか,ということで料金設定をしていたりした。これは,商売としては一番下手なやり方だ。足りないから値上げするというのは顧客からみると非常に印象が悪いし,安いからといって値段相応の要求してくれるかといえば,そうではない。むしろ,安いということは簡単なことだと解釈されて,過剰な期待と要求に繋がることが多い。これはつらかった。

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といえば,私が希哲館事業をやっていて特に自分の弱点だと感じてきたのが,「清く美しく金を稼ごうとしてしまう」というところ。これは典型的な商売下手の性格だ。金を稼ぐということにおいて,卑しくなれるというのは強みでもある。腕の良い職人が人の良さゆえに安請け合いばかりして貧乏でいたりすることがあるが,金持ちになれるかどうかは,結構そういう性格面での差も大きい。

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ちなみに,クラックは「割工」(かっく),クラッカーは「割家」(かっか)と訳している。発家(ハッカー)と割家

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発家」(ハッカー)というのは,読んで字のごとく「発(あば)く者」,発明家であり冒険家だ。適当な素材を組み合わせて素早く道具を作り,道なき道を切り開いていく。それを「発工」(ハック)という。

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工業知識産業で求められる資質が異なり,その点で日本人が不利な立場にある,という議論はすでに広く行われている。IT 分野では『発家(ハッカー)と画家』が有名だが,要は日本人は近代化工業化に最適化され過ぎたということなのだと思う。団結して頑張ることは得意だが,反面,その輪から離れて新しい発見をする者は少ない。

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で,悲しいかな,日本人のその能力が現代の産業では十分に発揮されにくい。これは Mastodon の流行初期でも感じたことで,多くの開発者が Mastodon を洗練させようと瞬間的に群がったあの勢いは確かに目を見張るものがあった。ただ,Mastodon を根本的に越えるものを創ろう,という者はほとんどいなかった。これが工業の時代なら,日本人ほど優秀な集団はいなかっただろうに。

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Facebook にしても Twitter にしても,課題は多いしその先にまた別の形のサービスがあるのは間違いないが,あの水準にサービスを育て上げるのは極めて難しい。どんな権威やどんな大企業がどんなに時間や金をかけても,日の目を見ていないサービスは山ほどある。考え方を変えれば,信念があるなら諦める必要はないということ。この感覚が分からない素人は例えば「Twitter を倒せないから Mastodon は失敗」などと簡単に言ってしまう。Mastodon だって,ここまで話題になってるだけで大したものなのだが。

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Google+は,この前触れたはてなブログとは別の意味で思い出深いサービスだった。これも,私がデルンの実用化に向けて必死の作業を続けていた頃に出てきたサービスで,特に「輪」を中心にした徹案(デザイン)を見た時,これは先取りされたか,とちょっと焦ったのをよく覚えている。結果的にはまったくの別物で杞憂だったのだが。

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人工知能分散型仮想通貨の根本的な問題を指摘するのは難しくない。そもそも,人工知能にせよ仮想通貨を含む分散型技術にせよ,それを最終的に人間社会に繋ぐのは誰か,という視点が欠如している。それこそディストピアのように人間が主体性を捨ててしまわない限り,そうした技術を人間がどう管理し,どう届けるのか,といった問題はあくまでも人間の問題なのであって,機械任せには出来ない。ところが,この「人間の問題」を語れる者がほとんどいなかった。

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人工知能(分散型)仮想通貨の一部論者にみられる,「人間を超越した主体」を万能視する思想を私は「技神論」(technotheism)と呼び,希哲館では,あくまでも人間の力を技術によって連続的に拡張する「技人論」(technohumanism)を唱えている。

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そう思うと,希哲館事業の最初の10年を「希哲館草創期」と名付けたのは間違っていなかった。荒削りでも何でも,とにかくひたすら新境地を開拓することに全てをかけた時代。

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過去の自分に対して湧き上がってくるこの感情は畏敬なのか憎悪なのか。とにかく,とんでもないものを残してくれたな,という感じで,何か茫然としている。

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まず単純に,要素技術や知識が多すぎる。デルンが無ければまず整理のつかない情報規模と複雑性がある。つまり,完全にパラ・シンギュラリティ以後可能になった技術開発だ。

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見返せば見返すほど,こんな想品(ソフトウェア)開発をやっているのは世界広しといえども希哲館だけだということに何の疑いも持てなくなる。ありえないものがここにある,という感じだ。もはやそれが褒められたことなのかどうかすら分からない。

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デルンの一般公開に向けて,しばらく離れがちだった虎哲開発作業に本格復帰するのだが,冷静に見てみると一言で言って「無茶苦茶」な開発案件だと再確認した。「冒険」なんて言葉が生ぬるく感じる。これは狂気の沙汰だ。

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そう考えると,デルンの実用化から約6年,技術の枠におさまらない希哲館事業の総合的な研究開発が一段落し,知的権威主義反知性主義の対立を克服することが要請される世界情勢が到来した今この時というのは,デルンの離立(リリース)に最良の時期とも言える。

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この前の翻訳の話にも繋がるが,デルンが世界的に普及することは希哲館が世界の知的権威の頂点となることであって,それは希哲館が第一言語としている日本語英語にかわって国際共通語となることでもある。簡単ではないが,不可能でもない。

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デルンの場合は,それが「知的権威」を揺るがすだけに一層難しい問題を孕んでいる。デルンの普及というのはつまり,それを開発した希哲館を頂点とする新しい知的秩序が誕生するということを意味している。それは当然ながら,世界のあり方を大きく変えることになるだろう。

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そんなことになったら,スポーツはもちろん,産業治安に与える混乱も計りしれない。デルンにも同じような問題がある。

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これは喩えるなら,薬も使わずに,人間が現在の100倍の速度で走れる陶練(トレーニング)方法を編み出してしまったようなものだ。一見凄い進歩だが,果して手放しで歓迎されるだろうか。

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ただ,冷静に考えてみて思ったのが,その水準の情報を扱う人が世の中にどれだけいるのか,ということだ。人間社会は,ある程度上限の決まった情報整理能力を前提として構築されているので,その限界を大きく突破するデルンはその均衡をも破壊しかねない。これがよくいう,デルンの普及戦略における「現代の壁」問題だ。

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私は「人類史上最大の事業構想」こと希哲館事業を整理するために,あらゆる情報整理通類(ツール)を試していた。しかし,デルンの実用化直前には,ほとんど破綻寸前だった。事業を構成する要素が多大過ぎて,当時「最先端」の通類を使ってもまるで整理がつかなくなっていた。デルンの実用化によってその窮地を脱した。これこそ人類の知的活動が限界を突破した瞬間,パラ・シンギュラリティだ。

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デルンの利便性は,既存のものよりちょっと便利,とかそういう程度ではなくて,もはや「異次元」だ。だから,出し方さえ間違えなければ飛当商品になるだろう。

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私は情報整理情報管理においてデルンを越える通類(ツール)は無いと断言出来るが,それだけに今まで何故公開しなかったのか,自分でもときどき考えることがある。希哲館事業自体が巨大過ぎて,色々先にやっておきたいことがあったからなのだが……。

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私は, 江戸時代後期から明治時代頃にかけての,大量の外来語日本語に翻訳された時代を「第一次大翻訳時代」と呼んでいる。そしていま,希哲館は「第二次大翻訳時代」を牽引しようとしている。

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カタカナ語独特の語感」を理由にカタカナ語依存を擁護するのは筋が悪くて,そもそも演出の基本として,カタカナ語だらけの文章の中でカタカナ語を使うのは,印象付けのためのカタカナ語の使い方としては意味がない。それこそ,ここぞという時に使うべき。メリハリというやつだ。

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実際,私はかなりの数の翻訳語を考案して自分で使っているが,その上であえてカタカナ語を使うことも少なくない。「デルン」なんかはブログウィキを参考にあえてカタカナにした名称だし,多用している「コピーリフト」,「ツイスト」,「パラ・シンギュラリティ」なんかもあえて既成のカタカナ語をもじって造った語だ。

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カタカナ語問題に対する誤解その二,「カタカナ語は微妙な語感を表現出来ることがあるので和語漢語訳する必要はない」。翻訳語を考えることは,日本語表現の選択肢を増やすことであってカタカナ語を排除することではない。問題は,比較的新しい概念を使うときにカタカナ語しか選択肢が無いことであって,カタカナ語が適切な状況でカタカナ語を使うことを問題にしているわけではない。

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カタカナ語問題に対する誤解その一,「カタカナ語は理に適っている」。表音文字としての仮名にはラテン文字ほどの音声表現力はなく,文化的伝統である綴りを表現することも出来ないので,あくまでも仮名漢字の補助として便利なものに過ぎない。カタカナ語依存は端的に言って日本語の表現力の衰退現象でしかない。

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なんかそんなこと昔書いた気がするな,と思ったら,「ユーザー インターフェイス文学」(user interface literature,UIL)という描出がすでにあった。もう5年以上前だ……。

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文芸的論組(プログラミング)」という有名な概念があるが,用相UI)に使われる言語表現を文芸的に考究した「文芸的用相」というのはあまり聞かない。こちらの方が多くの人にとって重要な気がするのだが。

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裏を返せば,美しい日本語文学のように統合した応司(OS)は,日本市場で上手く差別化出来る可能性がある。

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この前の学生たちじゃないが,我々がちょっと麻痺させられてるな,と思うのは,IT 日本語の致命的なダサさだ。ずっと使ってきたからすっかり慣れているが,少し引いて眺めるとやはり美しくないし,分かりにくいし,使いにくい。この汚泥に浸かっている悔しさは忘れないでいたい。

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書体本図フォント)の美しさには妙にこだわるのに,書かれている文字列の美しさに頓着しない日本人が多いのは不思議なことである。はっきり,現状の IT 日本語 は汚物同然だ,とまで言わなければ分かってもらえないのだろうか。

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切り取り」と「貼り付け」の間に「コピー」があるトホホな用相(UI)が日本人を言語音痴にしてしまった。なぜ誰も「写し取り」にしろと言えなかったのか。

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日本語が力を失なっている理由の一つに,「盤本(プラットフォーム)で勝てていない」という現実がある。外国企業が作った盤本の下手な翻訳の世界で生活することを我々は余儀なくされている。これを変えるにも「日本語適応」の盤本が必要だ。虎哲がその嚆矢になる。

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近い将来に虎哲を売り出す時,私が使おうと考えている獲句(キャッチコピー)の一つに「日本語適応」がある。カタコトのローカライズのような単なる「日本語対応」ではなく,日本語によく馴染み,日本語の品質を重視した製品にする。

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出力論組プログラム虎哲*イチ 1.01
制作・運営:希哲社
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