希哲12年7月17日

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲12年(2018年)
01月04日 17:15
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
この描出は「素描」です。

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希哲館情報整備事業TRON プロジェクトΣ プロジェクトと異なるのは,徹底した在野主義であることだ。TRON は学術寄りで競争力に難があり,Σ プロジェクトは政府絡みで迷走した。希哲館の強みは,世界最高の構想力と,独立的かつ機動的な体制を兼ね備えていることだ。

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希哲館情報整備事業に近い規模の事業というと,TRON プロジェクトや初期の Σ プロジェクトが思い当たる。平成バブルインターネット・バブルの崩壊,世界金融危機日本経済が打撃を受け続ける中で,日本人が主体的な技術開発を諦め,長い物(アメリカ)に巻かれるようになった。

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日本の IT 企業の実態は,「IT を上手く活用して商売する企業」であることがほとんどで,「IT 開発を主導する企業」がほぼ存在しないのが問題なのだ。結果として,単なるアメリカ IT 産業の衛星産業になってしまっている。

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例えば論組(プログラミング)言語にしても応司(OS)にしても,根本的なアイデアはずっと前に枯渇している。これは世界的な状況で,これを変える技術体系を持っているのが希哲社だ。

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もちろん,私が研究してきたのは日本の IT 企業の課題だけではない。アメリカの IT 企業,つまり現在の世界的主流に対する問題意識もある。希哲社の当面の目標は日本的でもアメリカ的でもない,新しい情報産業を確立することだ。つまり,シリコンバレーを一網打尽にする。

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日本人が普遍的なアイデアを探求出来ない理由は主に2つあると思う。第一に,そもそも日本が普遍的な環境ではないこと。次に,その普遍的ではない環境で普遍的なアイデアを探求する孤独に耐えられないこと。

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日本の IT 企業の事業内容を見ると,大抵一貫性がない。強力な軸が一本あって,それに様々な分野を巻き込んでいく,というのが理想形だとすると,軸が弱いので,あっちこっち無節操に多分野を抱え込んでいる,ということが多い。これはやはり,普遍的な概念を考えるのが苦手,ということなのかもしれない。

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だから私は,何よりも最初に,この世で最も大きな価値を持つ宝のありかを指し示す地図を求めた。

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私はよく,事業構想を「宝の地図」に喩える。この世界のどこに,どういう価値が眠っているのか,それを地図のように描き出すのが構想だ。多くの事業は,地図の小さな切れ端を持って始まり,手探りで宝探しをする。だから最初は調子が良くても,すぐ道に迷ってしまう。あるいは,すでに誰かが作った地図を引き写してくる。だが宝のありかに辿り着いた頃にはもう取られている。

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日本企業の停滞要因を「構想力不足」と見て,ならば最初に極大の事業構想を哲学として作り上げて,そこから事業化の可能性を探っていこう,という方法論は,論理としては極めて単純明快なものだ。それが出来ると思えないから誰もやらなかっただけで。

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逆算経営のようなものは昔からある考え方なのだが,希哲館事業のように,新しい社会思想体系から現実の事業計画を作り上げる,という例はほとんど記憶にない。その思想体系が資本主義近代民主主義の代替理論を内包している規模となるとなおのこと。経営学的に興味深い事例になるのは間違いない。

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もちろん,「AppleGoogle などと並ぶ」というのは最低条件であって,最終目標ではない。そこを最終目標にしてもシリコンバレー企業もどきが出来るだけでシリコンバレーは越えられない。

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よく,「世界一の企業を目指す」とか,漠然と大きな目標を公言する経営者がいるが,具体性の伴なった構想を持っている例は見たことがない。私がいう「構想力」というのは,思想を足場から天井までしっかり組み立てることであって,宙に浮いた天井を夢想することではない。その意味で,「本格プラットフォーム企業」は日本に存在していなかった。希哲社が現れるまでは。

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この10年で私が目標としていたことの一つに,「日本初の本格プラットフォーム企業」の確立,ということがある。この表現は伝えやすさを考えて苦し紛れに使い始めたものだが,例えば AppleGoogle などと並ぶ勘報盤本コンピューティング プラットフォーム)企業のことだ。最初から巨大企業は出来ないので,まずは構想段階でもいいからこの水準の企業を生み出すことが必要だと考えていた。

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こうして希哲社は,「人類史上最大の事業構想」という,かえって胡散臭いレベルに発展した構想に加え,安定性を手に入れた。あとは飛躍するだけだ。

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だからといって,別に私が類稀な勇者だと言いたいわけではない。もっと若い頃はそういう自惚れをしていた節もあったが,いろいろ冷静に考えられる年齢になってみると,結局,時代環境に恵まれ過ぎていたというところに落ち着く。あらゆる困難に一人で立ち向かっていたつもりが,実は多くの人の支援と追い風に助けられていたに過ぎなかった。この話も,追い追い詳しくしていくだろう。

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少し話を巻き戻すと,こういう,「他者と共有し辛い成果」の価値を感じられるかどうかが,結局,「誰もやっていないことは誰もやろうとしない」日本人の臆病さを克服出来るかどうかに直結しているのだと思う。分かりやすい成果が早く欲しい,と目先の結果に執着してしまうのは,要するに孤独に弱いということだ。希哲館事業なんて,長い間儲からず注目されることも無いことを覚悟しなければ始まらない。それを始めた生粋の日本人が私だ。

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希哲館事業のような,世界的に見ても規格外の事業が「安定」するということが実はとんでもないことで,数字だけ見れば零細経営者に過ぎない私が,異例の早さで東証一部上場でも果したかのような達成感を得ているのはそういうわけだったりする。

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その状況が変わり始めたのは,希哲館創立10周年を迎えた昨年11月1日からだ。そこを「追い込み月間」の最終日に設定して,事業の基礎固めに一区切りつけた。それから希哲館事業は「安定期」に入った。いまこうして総括なんてことをやっていられるのも,すでに希哲館が磐石の基礎を持ち,長期戦の構えに入っているからだ。

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希哲館経営が苦しかった主な理由は,先に述べたように,事業の下地作りに多くの時間をかけたからだった。基礎理論や基礎技術の研究開発に私自身の時間はほとんど奪われていて,金を稼げる仕事に回す時間がなかった。さらに,希哲館には投資家も含めて外部に一切の依存関係をもたない,という経営原則があり,「自活」を前提としていたために苦しい戦いを強いられた。

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希哲館事業は発足から約10年間,経営的には「火の車」のような状況だった。ただ,私は最初からその程度のことは覚悟していたので,決して異常事態とは考えなかった。むしろ,これから世界を一変させようという事業が,巨額の赤字を抱えずに経営出来ていることは奇跡のようにすら思えた。

=}{希哲12年7月17日のツイスト}

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