希哲11年7月6日,ウェブ独立宣言からちょうど5年後となる希哲11年8月1日を目標に定める。
希哲館のオペレーティング システム構想の一部である SLFS 開発開始から三ヶ月経った今日,希哲11年8月1日は,希哲館の「ウェブ独立宣言」五周年の日でもある。希哲館は五年前の今日,デルンの実用化成功によってインターネット互換の独自ネットワーク「シンネット」(synnet)構想の実現に乗り出した。
SLFS 開発は当初,私の個人的な作業環境の刷新程度のつもりで進めていたが,予想を越えてとんとん拍子に一個の OS(虎哲*ツバメ,Synicware)としての体系を整えつつある。一ヶ月前から私は SLFS で構築した環境を常用しながらその開発を進めるという生活をしており,名実ともに独立したプラットフォームを保有することになった。ウェブ独立宣言から五年の節目ということもあり,「OS 独立宣言」でも書こうかと考えていたのだが,抱えている作業が多すぎて文章を考えている暇がない。そこで,この三ヶ月の経過報告をもって「OS 独立宣言」に代えたい。
さて,SLFS 開発で目覚しく発展したものの一つに希哲館の Unix 拡張標準こと「Synx」(シンクス)がある。もともと知機の初期実装に Unix 流 OS を利用することを想定していた希哲館にとって,その構成・運用方針を定めておくことは重要であり,それをまとめたものとして Synx を構想していた。GNU/Linux 環境を一から構成する SLFS は,当然それを必要とした。SLFS 開発を始めるまでほとんど具体的な内容の無かった Synx には,この三ヶ月で標準的な Unix に無く利便性の高い仕様が山のように盛り込まれている。
さらに,Synx 実装としての「KNU」(ニュー)や Linux 十分互換カーネルこと Lunax(ルナックス)の概念が固まったことも大きい。KNU は,GNU 相当の想品(ソフトウェア)群であり,つまるところ KNU/Lunax(ニュー・ルナックス)として GNU/Linux との十分互換を取りつつ知機に最適化された OS 環境を構築する道筋が出来た。その他,細かい成果は枚挙に暇がない。
今後,希哲館の主軸開発言語 CnD(キャンディ,Cμ/Cν and Dσ)で構築されるライブラリ体系「ミュージアム」を中心に,知機実装・虎哲はありとあらゆる想品を整理統合していく。その上で,これまでの GUI やウィンドウ システムに代わる SUI とミラー システム,インターネットやワールド ワイド ウェブに代わるシンネットとスペース スプレッド シーズ(SSS),言語表現を根本的に変える意味符号と Syncode,アプリケーション経済を変えるソフィスティケーションとハチ型開発,そしてデルンによる「脳直結型」ファイル システム……等々とこれまでの常識を覆すような無数のアイデアを具現化していくことになる。
ここ三ヶ月の変化は,技術面だけではなく経営面にも及んだ。「基盤主義経営」への転換だ。要は,完全にプラットフォーマーとして GAM(グーグル,アップル,マイクロソフト)と対決する道を選んだ。もともと私は強硬なプラットフォーム開発論者だったので,本懐を遂げる道ということになる。
一つの希望は,かつてマイクロソフトが社運をかけて失敗した WinFS 相当以上の技術(輪郭法・デルン)開発に単独で成功していることだ。緻密な知的作業を行う上で「大きさ」は必ずしも武器にはならない,というのがこの世界の難しさでもあり,それは現在の巨大企業の創業者がよく知っていることでもある。希哲館(希哲社)と GAM では企業規模が桁違いだが,それ以上に意思決定にかかる時間が桁違いなわけだ。
とにもかくにも,この三ヶ月はまるで三年のように感じられる時間だった。実は,途中で数日ほど OS 開発に深入りすることを躊躇した時間があった。言うまでもなく常識的に考えれば目先の収益化に取り組んでいる最中にやることではないからだ。しかし,その迷いも振り切った今となっては,もし歩みを止めていたらと想像する方が恐しい。渡った吊り橋が崩れ落ちるのを見ているような気分だ。失なったもの,失うかもしれないものより,得たものがはるかに大きい。蛮勇が報われる世界で良かったとつくづく思う。