希哲12年1月30日

描主宇田川浩行K#F85E
下描き希哲12年(2018年)
01月13日 01:56
利承
ライセンス
希哲館普通利承(KULクール
この描出は「素描」です。

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ポスト〜」というカタカナ英語をどう訳すか,というのは結構難しい問題なのだが,最近「没〜」と「脱〜」を組み合わせると割と妥当な語感に落ち着くことを発見した。あるものが没落していくような状況を表わす時には「没〜」,そのものから脱しようとする運動などを表わす時(ポスト〜イズム)には「脱〜」を使う。例えば,ポストモダンは「没近代」,ポストモダニズムは「脱近代」と訳せば割と直感的だ。と,ポスト・トゥルースを「没真実」と訳してみて再確認した。

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あ,希哲が「おもいかけ」と読めるとしたら,私が自称している「希哲守」(Guardian of Philosophy)は「おもいかけのかみ」と読めるのか……。思兼神(おもいかねのかみ)に上手くかかっていて面白いが,流石に長いな。

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少なくとも,この規模・密度の構想技術を同時に保有している事業体は希哲館が史上初だと思う。自分でもときどき狂気の沙汰だなと感じるので,それが良いことかどうかは別として。

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だからこそ私は,「希哲」を大和言葉でどう読むか,という一見些細な問題にも腐心してきた。最近では,日本神話における知恵の神オモイカネ(思兼神)にかけて「おもいかけ」と読んでみたりしている。

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希哲館事業は,希哲学大和魂との調和の可能性を探る壮大な実験でもある。ここで最高の希哲学と最高の大和魂が共存したとき,現代文明の普遍と特殊を共存させる汎枠フレームワーク)が確立したことになる。世界のあらゆる伝統社会がそれ自身の美点のために希哲学と結びつき,希哲学の精神が新国際秩序の紐帯となる。私の仕事は,日本をその最初の模体モデル)とすることだ。

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ではなぜ今の日本人希哲学の精神的側面を蘇えらせうるのかといえば,現在の日本の課題が脱工業化であり,強い構想力を必要としているから。そして,より日本の思想的伝統と調和しやすい分析哲学があるから。明治期より必要性が高く,障害は低い。

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なぜ当時の日本人希哲学の精神的側面を切り捨てたのかといえば,当時の意識が「和魂洋才」であり,工業化のための実学志向だったから。単純にそれほど必要なかったというのと,当時主流だった大陸哲学民族主義の支柱だった「大和魂」と競合したという二点が大きい。

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日本がなぜ古代ギリシャ文化である希哲学復古の砦になりうるのか。それは,日本が希哲学の導入に失敗し続けてきたことによる。明治日本人は,希哲学を「希哲」(精神)と「哲学」(知識)の二つに分離し,前者を捨て,後者のみを定着させた。結果的に,その精神的側面である「希哲」が純粋なまま歴史に取り残されることになり,この時代に「反知的権威主義的フィロソフィア」として再発見された。これは西洋ではありえないことだ。

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反知性主義には,(知的)平等主義として機能しているという側面があるが,容易に思考停止につながる思想であり「反知性的」な性質があることは否定出来ない。ここで「万人のための知性主義」が要請され,それに希哲学フィロソフィア)への原点回帰で応えようとしているのが希哲館事業である。

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愚の枢軸」の僭主ドナルド・トランプという人物は,本人がそう語ったように,曲がりなりにも富豪であるという点を除けば,我々が思い描く「田舎のアメリカ人」像,最近では「デプロラブル」と呼ばれている人物像そのものなんだよな。無知にして品性下劣と叩かれれば叩かれるほど,共感を強める支持者がいる。

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